「マコトさん、少し話……いえ、お願いがあるんですけど」

森から砂地へ向かう途中、ユパックはマコトを呼び止めた。

「……どうした？」

振り返る少年。左眼に、少女が映る。
四人は移動する際、前方と後方に二人ずつ別れて進軍することにしていた。
前後の索敵、そして戦闘への以降を速やかに行う為だ。
ゲオルギウスを先頭に、メィレーが少し離れて、前方。
殿を森に慣れているユパックが務め、その前を行くように魔異はいた。
彼女の密やかな音に、何かしらの意図を察したのか、声は潜めて。

「この森を抜けた後、一旦水辺に戻りたいんです。だから」

前を行く二人を視界に入れて続ける。

「戻ってくるまで三人で進んでもらっても良いですか？」

歩く速度は落とさずに、少女は真剣な声で言った。

「水辺へ？　そいつは、なんでまた」

少年の疑問も最もだった。
森からの進軍を諦めた一行は砂地へ引き返し、別の経路からの侵入を図ろうとしていた。
自分たちは、一揆という共通の目的の為に集った仲間だ。
である限り、ユパックの行動は魔異の意に介さぬものであった。
しかし、声から伝わるその真剣な色を、少年は無視出来なくて。

「水辺のエンブリオの噂、マコトさんも聞きましたよね」

光を纏う魔物と契約したものが居るという噂が、他の一揆参加者から回ってきた。
ネクターが貴重な今、強いエンブリオを探す参加者は多い。

「どうしても契約したいんです」

他の仲間なら離れてしまっても良かった。迷ったとでも言えば許してくれるだろう。
けれど、魔異はユパックが一揆に巻き込んでしまったようなものであり、それを蔑ろにするわけにはいかなかったのだろう。

「必ず戻ってきます。追いかけて、追いつきます。もしそのエンブリオに会えなくても、すぐに戻ってきます。だから……」

少女は次の言葉を捜しているかのように、言葉を切って。

「パロロコン……だったか」

パーティの中でも特にユパックと多く行動を共にしていた魔異は、その情報を知らない訳が無かった。
幻想に生きる種。魔異にとっては、魔法生物や、神話生物とも言うべき存在。
その力を、彼女は求めているという。

「……君は森に慣れてる。その気になれば、俺に気取られずに勝手に発つことも出来た筈だ。
　それでも、敢えて俺に知らせてくれた」

それはきっと、彼女が自分を他人だとは思っていないと言うことだ。
だったら自分も、その気遣いには応えたい。柊　魔異というのは、そういう人間だった。

「皆には俺から説明しておくよ。……理由を聞かせて貰っても構わないか？」

「いいん、ですか？　ありがとうございます」

前を歩くゲオルギウスとメイレーが時折振り返るが、視線だけ合わせてやりすごす。
森を抜けるには、まだ少し時間が掛かる。ユパックは少しだけ間を空けて口を開いた。

「私が強くなるため、というのもあります。けど、一番は私の恩人のためです……以前、今はこの世
界の住人って言いましたよね。私が生まれた所は、違う世界なんです」

少女は魔異に、恩人は体質のために世界移動ができない事、元居た世界にある魔法に近い生き物が居ればそれが可能になるかもしれないこと、そしてそれを恩人に頼まれた事を説明した。

「城への入り口をさがしてからだと、間に合わない気がして……だから、どうしても今行っておきたいんです」

彼女がすべての言葉を紡ぎ終えるまで、魔異が言葉を発することは無かった。
歩調を合わせ、ただ真剣な面持ちで、少女の語る内容に聞き入って。
それからやっと、その真一文字に結んでいた口を開いた。

「……なるほど。それならやはり、俺も君は行くべきだと思う。後悔だけは、しちゃいけない」

一揆という大義の元に戦っている自分もまた、それをおいて大事なものがある。
だからこそ、彼女が彼女にとっての『恩人』に懸ける想いも、理解出来ないものではなかった。
——魔異は今、後悔してしまっている。
彼女に同じ想いをさせたくはない。そう思っていた。

「教えてくれてありがとう。くれぐれも、怪我には気をつけて行って来いよ。……パロロコンと、契約出来るといいな」

そう言ってみせた魔異の表情に浮かぶのは、儚げな微笑。

「後悔しないように……。そうですね、ありがとうございます」

その表情を見て、少女は何を思ったのだろうか。

「ああ。……これから先は、俺たちも君の目的に出来る限り協力する。進行経路も、魔法生物の出る噂のある道を提案してみよう」

魔異たちの戦いはこれからどんどん苛烈になっていくだろう。
この先、彼女の求めるエンブリオと出会える保障は何処にも無い。
そうなれば、彼女がこの世界に来た意味が——

「マコトさん。森であった事、まだ気にしてるんですか？」

「……全て忘れてしまえたら、良かったんだけどな」

少年は森での事件を想起する。
もう気にするまいと決めていたのに、心の片隅に残る翳りは少女にすら見抜かれてしまう。

「大丈夫ですよ。また会えます、その時に話をすればいいんですよ。だから大丈夫です」

大丈夫だと、自分にも言い聞かせるように繰り返して。

「それに、私は我儘で自分勝手ですけど、運は良いんです。だから、マコトさんも自分のために道を選んで良いんですよ」

笑顔を作って言う。『彼女と再会することこそ、魔異に必要なことではないか』と、諭すように。

「……ユパ」

少年は、目の前の少女を強い子だなと思った。
気付けば、大丈夫という言葉に勇気付けられている。

「君と出会えて良かった。君と一緒に旅が出来て良かった」

彼女のような少女さえ、目的の為に勇気を振り絞っているのに、自分は何をしているのだろう。
そう思うと、いてもたってもいられなくなっていたようだった。

「俺の為の道を……もう一度だけ、選んでみようと思う」

「はい」

返事して一息置く。少しだけ前を行く魔異をしっかり見て。

「でもマコトさん、勝手に居なくなっちゃだめですよ？　今は仲間なんですからね。私も、必ず戻ってきて追いつきますからね」

「勿論だ。君の帰ってくる場所を、無くしはしないよ」

振り向いた表情は、今まで一番晴れやかなものに見えただろうか。

「——ユパ。無事を祈ってる」

「ありがとうございます」

丁度、森が開けて。

「じゃあ、行ってきますね」

小さく手を振って、ユパックは魔異たちとは違う方向へと歩き出した。



冬花が独り暮らしを始めてから、俺のバイトが無い時は一緒に帰るようになっていた。
どちらが言い出したのかは覚えていない。ただ、自然とそうなっていたのだと思う。
あの頃の俺たちは、何をするにも不慣れで、『友達』なんて存在に、戸惑ってばかりだったんだ。

俺にとってはいつもの帰り道。アーケード街に差し掛かったところで、隣の違和感に気付いた。
冬花がいない。後ろを見やれば、露天の雑貨屋の前に立ち止まる彼女の姿があった。
何かを手に取り、日に透かすように、少しだけ高く掲げて。……一目惚れした時のような、瞳で。

「こういうの、興味あったんだな。……雑貨か？」

彼女が突然足を止めてしまうのにも、随分と慣れたものだ。
こうして二人で歩く時は、いつも彼女のマイペースに振り回される。
それでも、上手く話題を見つけられない自分にとっては、それも救いなのだけれど。

「……へぇ、よく出来てるもんだな」

手に取ったものに視線をやれば、祈りの花の描かれたステンド栞。
その絵姿は、まるであの日森で見たような静謐さそのままで。

「初めて見た、けれど……綺麗だと、思って」

心奪われたように、普段よりもぼんやりとした声音で返す。
手作りだからそれ一点だけだと言う店主の言葉が、とどめだったらしい。
彼女は言いながら、鞄の中の財布を探し始めていた。

「ああ。俺も、詳しい訳じゃあないけど、これはきっといいものだと思う」

彼女が財布を探し出すよりも早く、店主の掌に小銭を落とす。

「店主さん。こいつを一つくれないか」

そうして受け取った栞を、ほら、と冬花へ向けた。
多少強引かもしれないけれど、こういうのもたまになら悪くは無いだろう。

「……引越し祝いだ。ちょっと遅れたけど、まぁ、許せ」

手際よく可愛らしい紙袋に梱包されたそれを反射的に受け取りながら、ぱしりと、瞬き。

「引っ越しは、……祝うものなの？」

自分が真依と共に独立した時も、確か叔父さんが同じように祝ってくれたっけ。
そんなことを思いながら、ふふんと笑って言葉を紡ぐ。

「ああ。引越しってのは、新しい始まりだ。後輩の門出を祝うのは、先輩として当然のことさ」

ことりと首を傾げながら、再び瞬きをして。

「新しい、始まり……。なるほど。確かに、そう言う気持ちには、なっていた」

思い出すように視線を宙に。それから一つ、頷き。少女の瞳が、和らぐ。

「ま、受け売りなんだけどな」

「誰の」

気になっているのか、首を傾いだまま。

「叔父さん。父さんと母さんが死んで身寄りのなくなった俺と真依を引き取ってくれた人だ。第二の父親みたいなものかな。……多分、冬花にとってのおじいさんのような存在だったんだと思う」

噛み締めるように、僅かな記憶を手繰る。
会わなくなってから、どれくらい経つだろう。彼は元気にしているだろうか。
手紙のやり取りはしても、しばらく顔は見ていなかったように思う。
……親不孝者だな、と自嘲した笑みを見せて。

「……先輩にとっての、暖かだった人」

同じく、遠くを見るように。祖父を思い出しているのだろうか。
自嘲混じりの笑みに、視線を戻される。見上げられた視線は、気遣うようにも感じられて。

「ありがたく、頂く。……それから、」

じゃあ行こうか、となる前に、制服の裾を引かれてしまう。
視線はまた、広げられた商品の上。俺が振り返り尋ねる前に、離した指で、さしたもの。

「……これ、下さい」

「——これは」

花や、斑。綺麗に飾られた物もある中で彼女が選んだのは、向こう側が見透かせる程、混じりけのない、青の色。
それは、少女の瞳のような、冬空の色を写した青いトンボ玉の、チェーンネックレスだった。

「……お礼。色々、してもらったから。……ずっと、何か形にしたいと思っていた」

お札と小銭を渡せば、店主が再び手際良く包んでくれる。
それをそのまま、俺へと差し出して。

「お守り、みたいなもの。人の目は人によって違うものをうつすから。先輩が見えないものは、その子が、うつしてくれるように」

「——お礼」

きょとん、と目を丸くする。
冬花に手渡されたそれを受け取って、言葉に耳を傾ける。
同じ景色を、共に視れるようにと。その言葉が、俺たちにとってどんな意味を持っているかを、彼女もきっとよく知っていた。
だからこそ。
——お守り。まるで彼女の瞳のようなトンボ玉を、袋から出して。

「……付けてみても構わないか？」

「……うん。そうして貰えるのなら、自分のこの緊張も、報われる」

安堵するように息を零しながら、仄かに笑む声。
もっとも、表情はいつも通り。眠たげなそれなのだけど。
自分も少しは彼女に慣れてきたんだな、と思ったら、くすりと笑みが零れていた。

「冬花でも緊張ってするんだな」

彼女の勇気を噛み締める。その想いで、胸が溢れそうだった。
袋から取り出したネックレスのトップを、太陽に透かしてしてみる。
冷たい筈のガラス質のそれは、どこか、あたたかくて。

「……先輩、それはかなり、失礼。……初めてなのだから、仕方がない」

人に、何かを贈ること。じと、と拗ねたように目を細めてみせて。

「悪い悪い。……大切にするよ。冬花にとっても記念すべき最初の贈り物、だしな」

向けられた視線に、申し訳なさそうなそぶりを見せて。

「それじゃ、つけるよ」

首をそっとくぐらせて。胸元で、輝く蒼玉。

「……似合うかな」

「……うん。変では、ないと思う」

声に、はにかみめいた濁りを混じらせて。
気付けば冬花はくるりと俺に背を向けて帰ろうとしていた。

「ありがとうな、冬花」

その先の言葉は、気恥ずかしくなってしまって言えなかったけれど。
彼女の代わりとばかりに渡されたそれが、どうにも嬉しくて仕方なかった。

俺に視えないものも、冬花なら視ることが出来る。
彼女と共に在る限り、なんだって出来ると。そう思ってさえいたのかもしれない。

冬空を写したようなトンボ玉は、冬花という人間を象徴するかのように、綺麗に透き通っていて。
冬花も、この瞳も、大切に守っていこうと、そう思ったんだ。

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だから、マコトさまの名前も素敵です。
そう言ってにこりと微笑みました。

とても恥ずかしそうに、手を前でもじもじさせながら尋ねました。

怪傑X達との練習試合を終えて間もない頃、背後から突然声を掛けられた。
脅すような口ぶりではあるが、武器を構えた気配はない。

口調や話し方は怪傑Xに似ているかもしれないが、声の質は全く異なる。
怪傑Xとの共通点に気付くことは難しいだろう。

もし振り返ったのなら、ありふれた旅人装束に加え、マントを羽織った男が見えるだろう。
そして、男がただの人間であることが視える筈だ。

　

酷い早とちりである！

エンブリオと契約する野鳥がそうそういる訳はなかった。

鳥脳だが大丈夫か。

同じようなカラーで同じような声で同じ群れなのに、名前がないという驚愕の新事実。

取り成すでもなくそう言って、あとは魔異の語るそれを聞いていた。
ある意味では無感動に。ある意味では受容するように。

そう一言感想を漏らした。
それから魔異に眼の由来を問われれば、暫しの沈黙。

口を開くまでの静寂が示すものは、逡巡か、或いは。

2013/0X/XX 13:24
差出人:有城冬花
宛先:柊魔異

人狩りにあった。

もう森を抜けているかもしれないけれど、気を付けて。