ファルクレイのあるじは色々なことに気を使いながら食事を作る。同じくらい気を使いながら、甘味も作る。
　彼はいつでも普通に飯を食っているように見えて、娘の食事の様子をつぶさに観察し、それに合わせて日々の食べるものの計画を立てているようだった。
　そんな中で彼が一等に気にかけているのは、クローシェが残さず食事を食べること。完食さえするなら食べ物の食べ合わせなり栄養なりを気にするのは親の役目だ、とフォルカーは言う。
　そういうことは大変でないのか、と尋ねると、彼は決まって首を横に振った。
「子育てなら、そこらの母親より経験豊富だよ」
　目を丸くするファルクレイの前で、フォルカーは軽く笑った。
「みんな俺の子ってわけじゃない。縁があって育てただけで」
　言いつつ、彼は大きな掌で用意してあった生地をころころと丸め始める。ザラメ糖の茶色が目立つ、白に近い色の生地だ。
　大きな塊の生地から小さな玉をたくさん作り、作り終わると手を洗って、荷物の中から型を出す。独特の格子のような模様の型に丹念に油を塗りながら、フォルカーは顔を上げた。
「クローシェは？」
「水辺の方に。エンブリオと遊んでいますよ」
「そうか」
　フォルカーは少しだけ、考え込むような顔をした。
　それからすぐに型を焚き火に掛けて、ひとくち、傍らにあった水を飲む。
「……、クローシェはな、いい子だよ。俺が育てた奴らはみんな、もっとずっと手が掛かった」
　ファルクレイはなんとなく、前足の上に載せていた顎を持ち上げた。
　何か、言うべきことがあったような気がする。けれどもそれを思い付くより先に、フォルカーが再び口を開いた。
「そろそろクローシェを連れて来てくれ。今日はクーちゃんも大好き、ザラメたっぷりのワッフルの日だ」
　それを聞いたら、続く言葉は何も出て来なかった。
　ゆえにファルクレイはおとなしく立ち上がり、四本の足でてけてけと川縁の方へ歩いて行く。嗅ぎ慣れたクローシェの匂いを辿って彼女の居場所を特定することなど、ファルクレイには造作も無い話だった。
　——そうして目視が叶った娘は、先にあるじに告げた通り、小さなエンブリオを連れている。と言ってもそれは一体二体の話ではなく、少なくとも、今のファルクレイの片足にある指をすべて使っても数えられないだけの数だ。
　中でも一番に狼の接近に気づいたのは、一等甲斐甲斐しく彼女の面倒を見ていたピクシーだった。
　ピクシーの合図で顔を上げたクローシェは、すぐに大きく顔を綻ばせて、ファルクレイの方へと駆け寄って来る。
　勢いのまま飛びついて来るであろうことは分かっていたから、狼は軽く息を吸って胸を張った。そうして膨らませた毛皮で娘の矮躯を受け止めて、そのまま襟首を咥えて背中に載せる。
　小さな手がしっかりと毛並みを確かめてから、ファルクレイは緩やかに尾を振って歩き出した。
　とはいえ、元より主人のいた場所からそう離れて来た訳ではない。帰り道の距離は、うんと短い。
　焚き火の側へと戻ると、丁度焼きあがったワッフルを、フォルカーが皿へ取っているところだった。
　フォルカーが使うワッフルの型は、荒い格子模様のついた鉄板を二枚重ねたような重厚な代物である。殴っても武器ぐらいにはなるだろうと思える厚い鉄板の片側——上にした方をぐいぐいと持ち上げるほど、ワッフルの生地はよく膨らむ。
　しかしながら、薄い金属の皿へと落とされたワッフルは意外にも、固そうな乾いた音を立てる。
「今日もよく焼けてる。蜂蜜は掛けるか？」
　フォルカーの傍らに伏せたファルクレイの背中から恐る恐るの風情で降りつつ、クローシェは小さく否定の言葉を述べた。
　そうか、とうなずいて、フォルカーは傍らに腰掛けた娘の膝にワッフルの乗った皿を乗せる。
　ワッフルは二枚同時に焼けるから、すぐさまその片方にわらわらと彼女についてやって来たエンブリオが群がって来た。
　わあわあ騒いでワッフルの分前を決める彼らを眺めるクローシェは、どこか呆然としているようにも見える。ファルクレイは仕方なしに彼らに睨みを効かせながら、鼻先でクローシェに間食を食べるようにと促した。
　応じて、クローシェは恐る恐ると言った様子でワッフルを手に取る。それからすぐ、彼女はちらりとフォルカーの方を伺い見た。
　フォルカーはわずかに眉を持ち上げて彼女の視線を受ける。
　ついで幾ばくか交わされた親子の会話に口を挟むほどの無粋を、ファルクレイは持っていなかった。
　——そんなファルクレイの眼前で二組目のワッフルを焼き上げ、フォルカーはその片方を口へと咥える。更に相方のもう一枚をシチュー用の木皿の縁へ乗せ、皿の中へはミルクを入れて、慣れた様子でファルクレイの前へと置いてくれた。
　それから三組目を焼き始めつつ、再びフォルカーはクローシェとふたりで何事かを話し込む。
　明瞭には聞こえない言葉に、ふたりはもうすっかり親子であるのだと今更のように思い至りながら、獣は皿の縁に乗った菓子を顎の中に捉えた。

＊＊＊

　またしっかりと食事の様子を観察しながら夕食を終えると、後片付けや軽い腹ごなしを挟んで、フォルカーはクローシェを寝かし付けに入る。
　寝かし付けが終わったら、彼にとってはある種の自由時間だ。そこで彼はだいたい朝の用意をし、更に時間があれば本を読む。
　ファルクレイは大抵、それに付き合って考えごとをしたり、半分だけ眠ったり、毛皮を舐めたりする類の身繕いをする。
　今日もまたフォルカーは本を広げて、焚き火の明かりでそれを読み始めていた。
　ファルクレイは彼の体重を支える形になりながら、重ねた前足の上に顎を乗せて焚き火自体を眺めていた。
　そうしてそのうちそれにも飽いて、狼は鼻先をフォルカーの方へと向ける。フォルカーはしばらく気づかず本を眺めていたが、ふと顔を上げると、手遊びのように髭を撫でてくれた。
「俺も、あなたにとっては子どものようなものですか」
　問うと、フォルカーは少し口元を歪ませる。
　意味を問うより先に、鼻の上に軽く掌を乗せられた。
「お前は、単に友達だと思ってる」
　息を吸うにも吐くにもフォルカーの大きなたなごころは邪魔なものである。すぴすぴと鼻を鳴らすと、笑いと共にその掌が外された。
　猫がするように顔を拭い、ファルクレイは改めて前足の上へと顎を乗せる。
　一方のフォルカーは本を閉じ、クローシェが被った薄掛けの中へと潜り込んでいた。
　目線だけで彼の姿を追いながら、獣はぼんやりと彼の先の言葉を吟味する。
　——友、と己を呼ぶ者は決して稀ではない。ファルクレイが、己を呼ぶ幽かな呼び声にすら応じてどこへなりとも出掛ける類の悪魔であるために、悪魔を友人と呼びたがる年頃の子どもをあるじとすることも少なくないからだ。
　フォルカーの場合も、きっとそれと同じなのだろうと思う。
　彼は基本的に、とても、
「フォルカーさん」
　——呼び掛けると、フォルカーは薄掛けの中で顔を上げた。クローシェの頭を撫でながら、少しだけ眠そうな声で、なんだ、と応じて来る。
　対してファルクレイはそっと頭を彼らの方へと寄せた。
「クローシェね、不思議とエンブリオに好かれやすいでしょう？」
「ああ確かに……、いや、なんだまた唐突に」
　獣は声を潜める。
「俺にとっての昔話をしようと思って」
　フォルカーは答えなかった。クローシェの細い髪を梳きながら、ただ黙っている。
　その反応を、獣は拒否とは取らなかった。ゆえに。
「クローシェはね、本当のところ————」
　囁く声は、うんと低く落ちた。
　その末にフォルカーは娘の寝顔を覗き込み、あくまで慎重な所作で、纏った薄掛けを掛け直したのだった。