ENo.136 エルヴィラ・コンラート

　遊園地での出来事から、一週間が過ぎた。

　薬を飲んだ後にやっと冷静になったヴィラは、事情を飲み込むのも早かった。
　まだ結佳は遊園地に残っている。
　流石に今の状況を見られるのも拙い為、交代前にエルが着ていた服を今度はヴィラが纏って、彼女は早々に遊園地を出た。

「今思うとすっごい恥ずかしいわね……」
　帰り道。
　心持ち早足で道を往きながら、ヴィラは独りごちた。
　感じることのベクトルが他の人間と若干異なるものの、ヴィラとて羞恥心くらいはある。
　彼女には、自分が薬を仕込まれてからこれまでの至る間の記憶が残っている。
　その殆どが、思い出すだけで穴を掘って埋まってしまいたいレベルのものだった。
　いくら結佳の恣意的行為の賜物だったとはいえ、自分の行動や言動は本来のヴィラからすれば「ありえない」。
　極端な話今となっては結佳に対し憎しみさえ抱きそうにもなったが、それは自重する。
　だいたい、最初に彼女の誘いに不用意に乗った自分にも非がないわけではない。
　なんとか世間一般に正体がバレずに事を収めたのだから、寧ろエルに感謝すべきなのかもしれない。

　――などと考えた所で、ヴィラはあることを思い出した。
　二度目の気絶前に現れた、赤髪の少女の存在である。

「……α、っていうのはエルのことよね、たぶん」
　口元を手で押さえ、思考を整理する。
　ここは貴女の居場所ではない――確かに少女はそう告げた。
　真理ではある。
　ヴィラの居場所は一個存在としてではなく、エルの中の一部分としてあるべきだ。
　現実を甘受しながらもヴィラはそう分かってはいるし、口に出さないだけでエルもそうだろう。
　――ただ、それを第三者に指摘されることは予想外だ。
　ただ単に瓜二つの二人というだけではそこまでは言えない筈なのだ。
　そこには正体を見破られた、以上の何かがある。

「――あたしたちですら知らない、何か？」
「知りたいですか？」

　呟きに、返ってくる声があった。
　息を呑んで周囲を見回すと、ちょうど通りがかろうとした路地裏に――あの赤髪の少女がいた。ついでにその後ろには、先程は見なかった黒服の男の姿がある。
　少女の服装は先ほどと殆ど変わっていなかったが、一つだけ、傍らに異質なものが増えている。
　――腰に据えた、赤鞘。
　ここまでくると、たとえその中に忍ばせているのが真剣であろうと不思議ではない。

「何をよ？」
　背中に嫌な汗を感じながら、強張った笑みを浮かべる。
　一個存在として独立してから初めて感じる緊張感だった。
　少女はそんなヴィラの目を鋭利な刃物のような眼差しで見つめ返すと、言った。

「貴女たちが二つになった理由と――β、貴女を消さなければならない理由です」

　■　■　■

「……あら？」
　時は過ぎて、セルフォリーフ。
　立ち寄ったオルゼの街で仮眠を取っていたエルは、不意に目を覚ましてから呟いた。
　ベッドの上で身体を起こし、窓の外に目を向ける。どうやら夢を見ていたらしい。
　わずか一年ほど前の、元いた世界での出来事。
　第三者の立場から「そんなこともあった」それを回想していたのだ。夢であって当然だった。
　それが苦笑交じりだったのは、結佳の真意を知り、それを全てそのまま受け入れることはできないと答えたものの、結佳との交流関係はセルフォリーフに来る直前まで続いていたからだ。
　此方に来てから元の世界の時間経過がどうなっているのかわからないが、もしかしたら心配しているかも……などと考えてみる。
　と、そこまで考えてから頭を振った。
　今――結論は出ないかもしれないが、それでも考えるべきことは他にある。
「どういうこと……？」
　口元に手を当て――奇しくもそれは、エルとヴィラ両方に共通する癖だった――思考する。
　回想の最後。アレは明らかに、エルではなくヴィラの視点だった。
　特に遊園地をヴィラが出てからは、エルは普通に友人として結佳と遊園地を楽しんでいたのだ。
　ヴィラの身にこんなことが起こっていたことなど、今初めて知った。
　単なる想像かもしれない、とは不思議と思わなかった。根拠は何もないのに、何故か。

　そういえば――。
　あの日の夜、エルが部屋に戻るとヴィラは確かに先に帰ってはきていた。
　ただその様子は、いつものヴィラらしさはなかった。
　やることはやりつつも基本偉そうな態度を取る彼女が、妙にしおらしかったのだ。
　その時は、エルをも面倒に巻き込んだことを彼女なりに反省しているのかと思ったが――そうではない？

「知りたいですか？」
「――！？」

　部屋の入口から聞こえた思わぬ声に、猛然と身体を翻す。
　そこには、確かに――『ヴィラの』記憶の中で見た、赤髪の少女の姿があった。豪奢なドレスアーマーに、例の剣を携えている。

「な、ん……！？」
「別に、今何かをするつもりはありません。ただ少し話をしたいだけですから」
　唇を震わせるエルを安心させるかのように、少女は穏やかな笑みを浮かべて言う。
　ただこの少女が記憶の中の少女と同じなら、これはあくまで一面に過ぎない筈だ。
（……これは、ある意味チャンスでもあるんだから……）
　自分はなぜここにいるのか。
　ヴィラは、どうしたのか――それらを知るための。
　そうして自分を落ち着かせながらも、エルは警戒心だけは緩めなかった。
　そうでもしていなければ、次に放たれた言葉に再び、我を忘れるほどの戦慄に陥っていただろう。

「まず、β――貴女の言う『ヴィラ』は、もうあらゆる世界のどこにもいません。
　消え――いえ、私達『管理機関』が、彼女の存在を抹消しました」

「消え……」
　つまり、殺したということか。
　愕然と呟いたその言葉を、しかし少女は首を振って否定した。

「『死ぬ』ことと私達の言う『消す』ということは定義が違います」
「え……？」
「消える、ということは、それが『居た』という事実自体を世界から抹消するということです」
「……じゃあ、もう誰もヴィラのことは……？」
「少なくとも、あの世界にいた人間の中には彼女に関する記憶は一切残っていません。
　彼女を貴女だと思っていた白浜結佳についても同様です」
「でも、私は覚えています」
　反論すると、少女は肩を竦めた。
「それは貴女が当事者だったからですが、それにしても『どんな人間だったか』までは覚えていない――と、言いたいところだったのですが」
　少女は嘆息する。
　エルも何故彼女がそれを断定しなかったのかは理解出来た。
　つい先程、確かに思い出したのだ。
『ヴィラは普段は偉そうな態度をとる』――バイトの時そのままの性格の持ち主だったと。
「貴女たちは二つに分かれながらも、根のところでは深く互いに影響を及ぼしている。
　それが、私たちの想定を上回っていたということでしょう」
「互いに、影響……？」
　言われてみれば自分はたまに、思い返してみるといえるヴィラっぽい行動や言動があった。
　ただ、ヴィラが自分に影響を受けているかというと――。
「白浜結佳の薬がβに簡単に効いたのは、貴女の『感情』がβの深層心理に根付いていたからです」
　疑問を口にするとそういう答えが返ってきて、なんとなく得心がいった。
　それは同時に自分が薬を飲んでいたらどうなっていたか、ということを暗に示していたが、今はあえてそこは考えないでおく。
　もっと根本的な疑問があったからだ。
「でも、それで何故、ヴィラを『消す』必要が……」
「貴女も薄々分かっていたと思いますが、『同じ人間が二人いる』ことが貴女自身以外の『世界』に認知されると、歯車が狂うからです」
「歯車……？」
　彼女の言うとおり確かに「ばれてはいけない」という意識は常にあった。
　でもその理由を改めて言われても、いまいち判然としないものがある。
　もっと深く、尋ねてみたい――。
　そう思った矢先、部屋の外にある階段を、誰かが上ってくる音がした。
　元々仮眠の為にとった部屋だ。そろそろ時間だと、トレニアかシルベリスが告げにきたのかもしれない。
　少女もその気配に気づいたのだろう。微苦笑すると、ベッドまで歩み寄ってくる。
　より警戒を強めてはみたが、杞憂だったらしい。少女はベッドの傍の出窓を開くと、縁に足をかけた。

「――また会う機会もあるでしょうから、話の続きはその時に」

　階段を上がる最後の一歩が聞こえる寸前にそれだけ言って、少女は窓の外へ身を躍らせる。
　緊張感が緩和するのを感じながらも、エルはただその背を見送ることしか出来なかった。