ENo.112 天音　ちさめ

アルカナ・ソルシエールは、16歳の誕生日にその力を次世代に引き継いで引退する。
いわゆる一子相伝的な物なのだけれども、いまはなぜかかるてと由紀の二人に分割されている。
そして引退した魔法少女は、卒業生となり、アルカナ・ディプロームを名乗る。

ディプロームとは卒業生という意味のある言葉で、力を渡してしまってはいるが、使い方も覚えていない新人アルカナ・ソルシエールよりはよほど強い力を持つ。
だから、次世代のアルカナ・ソルシーエルが一人前に育つまでの間、文字通り先輩として行動を共にし、守り育てるのが慣例となっているのだ。　

かるてのいつになく元気召喚呪文が響き渡ると、愚者のカードの力を媒介に歴代のアルカナが召喚される。誰だろうか。わかっていても、つい一瞬の期待をしてしまう。

銀髪に赤い眼で眼鏡をかけ、紫を基調とした露出度の高い衣装を着ている。
「Diablo---拘束---私の世界へようこそ。味わって、甘い檻。」
かるての召喚に答えたそれは、ディアブロ。つまり14代目で悪魔のカードを象徴する元アルカナ・ソルシエールだ。名は魔帳(まとばり)フィアヴェル。クロエによれば、かるての力と、歴代アルカナとの相性の関係で呼びやすさというものはあるらしいが、ここ最近の召喚はこれで安定して成功しているのでおそらく良い傾向なんだと思う。これで、やる気さえ出してくれたら、私も安心できるのだけど。

ここのところ、私は怪異や怪物を目の前に私は上の空だった。
以前の戦いでは正義を象徴する10代目アルカナ華嶋明日奈を呼び出して力を借りていた。
そして今は14代目を。そしてもしかすると、19代目も呼び出すことが出来るかもしれない。
そう思うとますます体は動かなくなるのだった。

19代目とは、審判のアルカナ・ソルシエール羽刈（はかり）みもり、私の先輩。

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あれは雪の降る寒い日、私はみもり先輩と二人で、姿をいっこうに表さない怪異を追いかけていた。
まるで病原菌のような敵を相手に、微弱な気配を辿っては逃げられを既に4日繰り返し、やっとのことで居場所に目星が付いたところだった。

「あらあ、今度こそ捕まえられそうなのかしら？」
「気配が動きませんね。これなら行けそうです」
場所は、中規模な廃病院。一般の建物でも無いので居抜きで新しい病院が入りそうなものだけれど、さすがに設備が古すぎたのだろう。数年前から野ざらしになっている場所だ。
「それにしても因果な物ねえ。ウィルスが病院に隠れてるなんて」
「そうですね。これがもし人の居るところだったら、こんな事できないから不幸中の幸いですね。」

自宅の神社でお清めして来た石をぽつぽつと置いて回りながら、敷地を回る。
これを要石として病院をアルカナの力で別次元に隔離するのだ。
石を置きながら敷地の外を一週すると、正門の内側に立ち、儀式を始める。

とふかみえみため
「吐普加身依身多女」

かんごんしんそんりこんたけん
「寒言神尊利根陀見」

はらいたまひきよめいたまう
「波羅伊玉意喜餘目出玉」

ちさめの手に持つ、カード。アルカナの21番。世界。The World。
カードは陽炎のように揺らめくと、足元の要石から次の石へと向かって眩い光の筋が走る。
一瞬の後、光の筋はまるで壁を作るかのように天に向かって伸び上がり、そして世界は隔絶された。

しばらく目を閉じてそっと気配をさぐる・・・うん。どうやらアルカナの結界の中に捕らえることは成功したようだ。
「みもり先輩、まずはうまくいったみたいです。」
「はあい。よくできました。まずはお疲れ様ね。でもここからが大変だからね。」
「はい。わかってます。」

見つけた怪異をまずは逃げられないように結界で囲うという計画の第一段階はまずは成功だった。
このあと、何段階かにわけて結界を狭めて行き、十分に小さなサイズになったところでアルカナの力を解放して区画をまるごと異次元へ消し去るのだ。

要石の置き方や建物の形状の都合で、何度かにわけて徐々に結界を狭めて行く作業を淡々と続ける。
世界のアルカナの力で、いくら私の得意分野とはいえ、なにしろ回数が多いうえに、
石を置く作業は分担できるけれど、結界を張るのは私にしかできない。
結界を作るたびに魔力と体力を根こそぎ持って行かれるような感覚が強くなっていく。

「ちさめちゃん。大丈夫かしらぁ？さすがにちょっと顔色が悪いわよ」
「大丈夫、です。」

そろそろ荒くなった息を整えもせずに答える。怪異は結界にすでに気づいているのだろうか？
まだ、破られようとする気配はない。だが、空間をまるごと消滅させるためにはもう少し頑張らないと・・・。

「大丈夫じゃないわよう。ほら、ここ座って。まだ相手には動かれてないみたいだし、お茶の一杯ぐらいは飲む時間はきっとあるわよ」
確かに気がせいていたかもしれない。何も言わずにみもり先輩の隣にへたり込むと、紅茶を受けとって一口すする。
私は生涯このお茶の味を忘れることは出来ないだろう・・・

「もうちょっとかしらね」
「たぶん、あと2回ぐらいで・・・」
「そう。無理しちゃダメよ。」
よほど、疲れてるように見えてしまったのだろう。結界を破られようとしている気配もないし、最後の詰めを考えれば休憩は必要だった。

「これが片付いたら、ちゃんとしたお店でお茶飲みたいわねえ」
「そうですね。駅前のケーキ屋さんで打ち上げしましょう。」
先輩はくすくすと笑いながら
「じゃあ、私はいちごのたっぷり乗ったショートケーキがいいかしらねえ」
「くす。じゃあ、私はティラミスにしようかな」
つられて軽く笑うと、肩の力が溶ける。
「よしっ。ケーキのために最後の一息やっちゃいましょう。」
先輩の手をとって立ち上がらせると、作業を再開する。

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一休みはしたけれども、根こそぎ力を持って行かれる感覚は強くなるばかり。ちょっと不安になってくる。でも、最後までやりきらなければ、光が丘の町が大変なことになるのだけは、はっきりしている。頑張らなくちゃ。

最後になる予定の要石をようやく置き終わり、みもり先輩と最後の石を挟んで向かい合うように立つ。

たかあまはらにかむづまります
「高天原に神留まり坐す」
「高天原に神留まり坐す」

すめらがむつかむろぎかむろみの　みこともちて
「皇が親神漏岐神漏美の命以て」
「皇が親神漏岐神漏美の命以て」

大祓の詞と一般に呼ばれる、神に奉ずる言葉の中でも特に長いものを先輩と二人で唱和を始める。
さすがに大規模な式になるため、先輩にはここまで力を残してもらったのだ。
事前に組み立てられた儀式が祝詞の奉上と共に進んでいく。

やおよろづのかみたちを　かむつどへにつどへたまひ
「八百万神等を神集へに集へ給ひ」
「八百万神等を神集へに集へ給ひ」

パリッ
一瞬、静電気でも走ったような音がする。いや、気のせいのわけがない。
目の前で青白い火花が走ったのを確かに見たのだ。
目で会話すると、事前の打ち合わせに従って、みもり先輩はぼんやりと形の浮かびあがった怪異を相手取り、結界に干渉させないように妨害を始めてくれる。

「こっちは任せて。ちさめちゃんは儀式を！」

かむはかりにはかりたまひてあがすめみまのみことは
「神議りに議り給ひて我が皇御孫命は」
二人で分担していた儀式の負荷が一気に私一人に押し寄せる。
負担を軽減しようとしてくれているのだろう、先輩は口の中で祝詞を唱えながら怪異を押し込めてくれている。
しかし、結界を破ろうとするその力は、間接的に私へのダメージになる。
体の中に響く痛みを噛み殺し、吹き出す汗にも構わず私は一心不乱に唱え続ける。

先輩の様子はどうだろう？戦っているらしい音は聞こえるけれども、もはや目で追う余裕はない。
中に居る「やつ」にも状況がわかったのだろうか、結界に激しい力を浴びせかけている。」

きょうのゆうひのくだちのおおはらへにはらへたまひきよめたまふこと
「今日の夕日の降の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を」

もろもろきこしめせとのる
「諸々聞食せと宣る」

全力で祝詞を報じきった。しかし、その力は怪異の反撃によるものか、ちさめの魔力が尽きたことによるものか、荒れ狂い、すべてをはみ出そうとし始める。

「いけないわ！」

先輩の悲痛な叫び声が聞こえる
必死で、中へ、中へ抑えこもうとするが、もはや私の魔力は限界だった。
ギリギリの一線で保っていた均衡が破れ、アルカナの力が暴れ始める。
きっと、このままならこのあたり一帯、どれぐらいになるか見当もつかない。
結界のない状態で無理やり別の次元へ飛ばされてしまうだろう。

まるで糸の切れた操り人形のように私は立っていられなくなり、ぷっつりと倒れる。
先輩が駆け寄って私を抱きかかえる。力強く体を揺するが、力の入らない私の体は、ゆすられるままに揺れるだけだった。
だめ、もう、ちからが、はいらない。それでも儀式は私の体から力を吸いだそうとする。
ぶちぶちと嫌な音が手先とお腹のあたりから聞こえる。

先輩は駆け寄ると私の体を力強く抱いてくれた。体になにかほんのりと温かいものが流れこむ。
力をわけてくれているんだろうな・・・
そして、私は空間のねじ曲がっていく音を聞きながら気を失った。

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意識を取り戻した時に空はもう白んでおり、ぽっかりと何かで切り取ったように消滅した病院の隙間から消えかけの月が見える。
私はすぐにみもり先輩の姿をさがすが、見当たらない。
嫌な予感にかられながら、動かない体に鞭打って、病院の中を歩きまわる。
何かに気が付きつつも、探すことをやめられない。
それでも、きっちり病院の中を３週も探しまわったところで、私は認めるしかなかった。

足元には、先輩が持ってきていたバスケットが、ころりと転がっているのみだった。