ENo.1082 キータ

※今回の日記には、ENo.265エロ触手モンスターさん、Eno.738エイザさん、ENo.2151パーミルさんをお借りしました。

入口を閉めきった薄暗いテントの中。幾何学模様で構成された複雑な図形が地面に描かれている。
その前に立ち、わたしは右手には三叉の蝋燭立て、左手にはびっしりと文字が書かれた革張りの分厚い本を手にして、舌を噛んじゃいそうな難しい呪文を唱えていた。

「にょるぅん・にぐるぉん・ふぐぁと・ぬぐとん・にゅるるぬふ……」

地面に描かれた図形から、いく筋もの白い煙が立ち昇り、身をくねらすようにぐねぐねと形を変え続ける。それは次第にただの煙から、粘液に塗れた触手へと姿へと形を変えていった。
そうして図形から染み出した無数の触手は、やがて完全な実体手に入れると、その触手の先端をテントの上端までぴんと伸ばし、わななくように一度震えてから、べちゃりと湿った音を立てて地面に横たわる。
やがてその中の一本が粘液の糸を引きながら立ち上がり、その先端に巻きつけた奇妙な機械をわたしに向けた。

あいふぉん、という、小さいけど色々できるすごい機械である。その液晶画面にはこんな文字があった。

『呼びました？』

その問いかけに、わたしは「はい！」と勢い込んで答える。
このウネウネでヌルヌルな方こそ、わたしが以前にふとしたことでお知り合いになった奇妙な旅人、エロ触手モンスターさんその人なのだった。

「わざわざお呼びしてすいません！　あんまり時間がないので、緊急に手伝ってくれそうな人を探してたんです！！」
『そんな時のために喚び方を教えたわけですから、構いませんよ』
「ありがとうございます！」

ちょっと見た目が不思議な感じだけど、エロ触手モンスターさんはとても紳士的な方なのである。
喋ったりできないから、コミュニケーションの手段は”あいふぉん”での筆談になるのがちょっと大変だけど。

「あの、ですね。お料理のこととか、ご相談しても良いでしょうか？」
『良いですよ。嗜む程度ですが心得はあります』
「チョコレートをお世話になってる人に贈りたいんですけど、わたしは料理もできないし、どんなのを作れば良いのか分からないんです。料理のできる人なら、どういうのを作るのがいいかとか相談できるかなって思ったんですけど……」

わたしの相談に、エロ触手モンスターさんは何かを思いついたとばかりに触手を叩き合わせてぺチンと鳴らした。

『しばしお待ちください』

そう書いた”あいふぉん”をわたしに見せてから、触手でぺちぺちと文字盤を叩くことしばし。
エロ触手モンスターさんがもう一度画面をこちらに向けると、そこには美味しそうなお菓子が画面に表示されていた。

『初心者がチョコレートでなにかを作るのでしたら、これが良いでしょう』
「わぁ……ありがとうございます！」

”あいふぉん”の画面に映ったお菓子の名前は”チョコブラウニー”。
エロ触手モンスターさんに感謝の言葉を述べて、わたしはそのレシピを急いでメモ帳に書き留めた。

　◆◆◆

それから数時間。わたしのテントは戦場跡と化していた。
テーブルに突き刺さった包丁、作ってみたものの暴走したミキサー、中身をぶちまけるボウル、噴き出す薄力粉、砕け散って中身をこぼしたタマゴ、そして商人さんから大量購入したチョコレートたちの成れの果て。

「ずいぶん派手にダメにしたもんだね」
「うぅぅぅ、恥ずかしいです……」

苦笑してこの戦場跡を見回すのは、わたしが以前にふとしたことでお知り合いになった優しい旅人、エイザさんである。
様子を見にちょっと立ち寄ってみたらこの惨状。さすがにいつもの笑顔も引き攣ろうというものだ。

「……えぇと、これは…………これは、何を作ろうとしてるんだい……？」

テーブルを覗いて、なにかを言いかけてから、口をパクパクさせてるエイザさん。予想はしていたけれど、わたしの作業は見て分かるレベルの完成度にすら到達していなかったみたいだ。

「チョコブラウニーです」
「え」
「チョ、チョコブラウニーですよ！？」
「こうなるんだ……チョコブラウニーを作ろうとして…………」

テーブルをまじまじと見つめてゴクリと喉を鳴らすエイザさん。そんなにありえない惨状なのだろうか。
新しい武器とか作るときも、色々試すうちに大体これくらいゴチャゴチャしちゃうし、割とセーフだと思っていたのだけど。
そんなことを主張してみたら、エイザさんは「いやいやいやいや」と手をパタパタと振ってわたしの主張をはげしく否定した後、肩をがっくり落として大きく溜息を一ついた。

「よし。とりあえず一度片付けてから、使える材料を集めなおすところからはじめようか」
「え？」

唐突なその言葉に、きょとんとその顔を見返す。

「俺さ、こういうイベントを手伝うの、大好きなんだ」

エイザさんは少し悪戯っぽく白い歯を見せて笑いながら、そう答えたのだった。

「できましたーっ！」

両手で掲げ上げたお皿の上には、完成予想図どおりに見事に完成したチョコブラウニー。
味見もバッチリ。食感はしっとりと濃厚、味はほんのり甘くてちょっぴり苦い、天にも昇る美味しさの一品だ。

「いやぁ、どうなるものかと思ったけど、なんとかなるもんだねぇ」
「なんとかなりました！」

ここまでのものができたのは、エイザさんのおかげである。
ご本人の料理の技術もさることながら、すごく丁寧に、辛抱強く作り方を指導してくれたのが嬉しかった。
きっと自分の手で作ればあっという間に出来ちゃうに違いないのに、エイザさんは最後まで一度も材料には手を触れることなく、最初から終わりまで、全部わたしにやらせてくれたのだ。
そのおかげで、このチョコブラウニーは間違いなくわたしの手作りだと、胸をはって言える。

「あっ、エイザさん！　残り物になっちゃいますけど、エイザさんもカットしたのをもらってくれませんか？」

メリムさんは妖精さんなのでそんなにたくさんは食べられないから、結構大胆にカットしないといけない。
もちろん一番美味しい部分はメリムさんのものである。

「いいのかい？　役得だね」

なにしろ最初から最後まで手取り足取り教えてもらったので、ほとんど自分の手で作ったも同然のチョコブラウニーなのに、エイザさんはとても喜んでそれを受け取ってくれた。
『せっかくだから自分でもなにか作ろうかな』なんて楽しそうに言うエイザさん。わたしの手で作ってもすごく美味しいチョコブラウニーができちゃうくらいなのだ。エイザさんのチョコはきっとほっぺたが落ちるほど美味しいものに違いない。

　◆◆◆

わたしはチョコブラウニーを詰めた箱を両手でしっかり持って、足早に街を歩いていた。

「えぇと、オルゼ行き〜、オルゼ行きの定期便は〜……」

今からだと、どんなに急いでもメリムさんのいるオルゼの街近郊の草原までとても間に合わない。ちゃんとプレゼントの時期に合わせてメリムさんに届けるには、馬車の定期便にお願いするしかないのである。
そんなわけで、町外れの停車場まで足を運んだのだけれど、そこでわたしは珍しい人に出会った。

「やぁ、ちっこいメイドさん。ご主人様のお遣いかね？」

シュタッと片手を上げてニコニコと挨拶する美人のお姉さん。わたしが以前にふとしたことでお知り合いになったメイドでアイドルでガンマンな旅人さんである。

「わたしは本職のメイドさんじゃないですから！　そうじゃなくて、今日はこのお荷物を届けてもらおうと思ったんです」

たぶん半分冗談だろうと思いながらも質問に答えて、手の中の箱を軽く持ち上げみせる。
すると、メイドさんの瞳がキラリと光った。

「ほほう、もしやその箱の中身は、チョコかね？」

ついつい箱を見せるとき得意げな顔になってしまったからバレちゃったんだろうか。
ちょっと気後れしながら「えっと、一応そうです」と答えてみると、メイドさんはいきなりビシッとわたしに指を突きつけた。

「甘い！　それが本命チョコだというのなら、あなたの考えは甘すぎるわね。チョコだけに！」
「ええええええ！？」

まさかの完全否定に、わたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ど、どこが甘かったでしょうか！？」

食いつくように尋ねると、メイドさんは「これこれ」とわたしの手の中の箱を指差す。
しっかりと藁紐でくくられた、灰色の厚紙で作った箱。

「見た目が貧相！」
「はっ……そ、そう言われて見ると！？」

たしかにこの箱はあんまりプレゼントな感じがしない気がする。

どうしよう。今から街まで戻ってなにか可愛い包み紙を探した方が良いだろうか。
でも、オルゼ行きの定期便に遅れたらメリムさんに届けられなくなるし。だけど、やっぱりせっかくのチョコだから喜んで受け取ってもらいたいし――

「そこでお困りのアナタに耳寄り情報。なんとここに、プレゼント用の包装用紙と可愛いリボンがあります！」
「ええええええええ」

まさかの助け舟に、わたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「な、なんで」
「それはそれ、こんなこともあろうかってね」

猫のように目を細めて笑いながら、指先でつまんだ包装用紙と可愛いリボンをひらひらさせるメイドさん。
その笑顔を見ながら、もしかしたらこの人は魔法使いか何かなのかもしれない、なんてことを思うわたしだった。

「はい、でーきあーがりー」

薄く花の模様がプリントされた赤い包装紙でラッピングして、ふわふわしたピンクのリボンで結んで完成。
たったそれだけで、わたしのチョコブラウニーの箱は見違えるように可愛らしくなった。

「すごいです！　ぐっとプレゼントっぽくなりました！！」
「うんうん。やっぱりバレンタインのチョコはこうじゃないといかんね」

満足そうに頷くと、メイドさんは別れの挨拶もそこそこに立ち上がる。

「それじゃあグッドラック！　また今度会ったときにでも、結果を聞かせてもらうからねー」

わたしに止める暇も与えずに、メイドさんは来たときと同じように風のように去っていったのだった。

「……また、名前聞き忘れちゃった」

またしてもやってしまった自分の失敗に気付いたのは、その後のことである。

こうして、わたしのチョコレートは、駅馬車の定期便に乗せられてエスタの町を出発したのだった。
チョコレート、ちゃんとメリムさんのところに、届きますように。

オチ
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