ENo.1082 キータ

薄暗いテントの中で、わたしは目を覚ます。

「……ん、うぅ…………あ〜〜〜…………」

肺の奥に溜まった息を吐くように、自分でもよくわからないうめき声を上げながら状態を立ち上げる。
目がしょぼしょぼする。わたしは目元をこすって、ぎゅうと一度強くつぶってから、やっと目を開くことができた。

「あ〜……」

最近、わたしが目を覚まして最初に目にするものは、たいていテントの中に張った紐に干してある自分の下着である。
スケジュールの関係で、昼間にお洗濯をする時間がないので、こういう小さなものは夕方に洗って夜の間干しているのだ。
幸いなことに、わたしのテントは鍛冶場も兼ねることがほとんどなので、洗濯物を乾かすための熱気には困らない。

わたしは紐にぶら下がった下着の一枚に触れた。

「うん、乾いてる……」

村を出たときから履いてるものや、こちらに来て買い足したもの。
どれも白い布地の安物だけど、丈夫そうな生地を選んだので長持ちだ。……ちょっとゴワゴワするけど。

ちょっとふらつきながら立ち上がって、寝袋を畳む。

最近はいつも眠る寸前まで“勉強”をしているので寝る前の記憶は曖昧だったけど、面倒くささで鍛冶仕事が終わったあとのテントの中の換気をサボッていたらしく、寝袋の内側のシーツは汗を吸って重たくなっていた。
そろそろちゃんと洗濯しないと、汗の匂いが染み付くどころか、カビとかが生えちゃうかもしれない。

「今日は、早めに探索が終わればいいんだけど……」

実のところ、今日の探索は時間いっぱいは山越えをすることになっている。ちょっと洗濯するのは難しそうだ。
ためしに自分の二の腕の匂いを嗅いでみると、予想通りよくない汗の匂いがする。

少しだけ迷ったあと、わたしは脱いだ下着を洗濯物入れに詰め込んで、水差しの水で濡らした手拭で体を拭き始めた。
早朝の空気はだいぶ肌寒いものだったけど、おかげで目は覚めた。

◆◆◆

「いち、に、さん、し……。にー、にっ……さん、し……」

陽が昇る頃に、いつの間にか自分のテントから出てきていた腐乱さんと揃って朝の柔軟体操をする。
この行事は、わたしが軽業の技術を腐乱さんからずっと、一度も欠かしたことがない。

いつでも思い通りに体を動かせるようになるために必要なことなのである。
ゾンビである腐乱さんはどうなのか良く分からないけど、わたしの体は毎日こうやって関節にどれくらい曲げられるのかを教えてやらないと、すぐにちゃんと動かなくなってしまうのだ。
例えば鍛冶仕事とか、例えば学校の授業とか、一日の中であまり動き回らない時間が多いのが原因だと思う。

「ごー、ろく、しち、はちっ…………さん、にっ……さん、し……ごー、ろく、しち……はちっ……」

掛け声を上げるのは、そうした方が体を動かすタイミングがつかみやすいから。
逆に、腐乱さんは自分の中でリズムを独自に作れるみたいで、わたしの掛け声と関係なくテキパキと体操を続けている。

実のところ、わたしと腐乱さんが二人きりのときは、ものすごく会話が少ない。

旅に出た最初のうちはわたしが色々と質問攻めにしていたけれど、最近はひっきりなしになにか聞かなくても大丈夫になったからだ。
もともと、腐乱さんはほとんど喋らない人だし、自分もあんまり話題にするようなお話があるわけでもない。
今ではずっと一緒にいるのに丸一日のあいだ一言も言葉を交わさないなんて事もある。

わたしは、それを居心地がいいと思うときと、ちょっと居心地が悪くなってしまうときがあった。

柔軟体操の時間は、そのうちの前者である。

「……いっち、にー、さんっ、しー……ひらいて、とじてっ……ひらいて、とじてっ……！」

ただ、一人だけで掛け声を上げるのは、ちょっぴりさびしいと思ってしまうわたしだった。

◆◆◆

午後になったら、探索の時間である。
今日は仕事の依頼である、大山猫退治に出ることになっていた。

強敵という噂をたくさん聞いている。
なんでもものすごく強い敵で、最初の頃は二人がかりでも返り討ちにされる救援者の人が少なくなかったのだそうだ。
三人相手でも一匹しか出てこないとかで、その戦いのためだけに仲間を募るなんてこともあったのだとか。

けれど、今では新しい材料の発見で装備品は充実しているし、その頃の救援者と比べたらずいぶん強くなったと思う。

ついこの前、武器作りをさせてもらったちっちゃい天使さんの話では、頑張ればわたし一人でも退治できるそうである。
それはさすがに言いすぎだと思うけれど、腐乱さんと二人で頑張れば負けることはないはずだ。

そして、それに加えて今回はダメ押しの秘策があるのである。

そのちっちゃい天使さんに紹介してもらった救援者さんに作っていただいたもの。
街で頂いてきた野菜から作った“カボチャの煮つけ”である。

「……ああっ、おいしいっっ！　おいしいですこの料理……こんな、カボチャって、こんなホクホクで柔らかくて甘い食べ物だったんですね！　てっきり生で食べるものと思って甘くないし硬いし美味しくないって思っちゃってました！！あああ、なんてもったいない！　カボチャはこんなにも美味しくなれるのにそんなことも分かってたなんて……！！　でもそんなことよりカボチャ美味しいです！！！」

まさに魔性の味。

こんな美味しいカボチャの煮つけを食べられるわたしは特別な存在なので、大山猫さんとかひとひねりにちがいありません。
そんな勝利の確信とともに、わたし達は大山猫が潜んでいるという山河口へ向かったのだった。

◆◆◆

とにかく色々あって夕方。
予想通りというかなんというか、探索と戦いがずいぶんと長引いたので、シーツを洗濯する時間はなかった。

いつものように野営地の準備をしたところで時間終了。

今度は、わたしが毎日通っている学校――――魔法学校カメーリエに登校する時間である。

わたしは大慌てでテントの中に入って、学校の制服に着替えることになった。
ポイとワンピースを脱ぎ捨て、大急ぎで制服を頭からかぶる……前になって、思い直してちゃんと汗を拭くことにする。
髪はちゃんときれいな水で綺麗に洗って、匂いがちゃんととれたら、最後に香水を少しだけつけた。

「うーん……」

水や香水がもったいない……と思うのだけど、学校では身だしなみをしてはいけないという厳命を師匠から受けてるので仕方ない。
なんでも学校という場所では、あまりみっともないところを見せて目立つのはよろしくないのだそうだ。

「よし……これで、いい……かな？」

テントの端に置いた安物の鏡を覗き込んで、ちゃんと身だしなみが整ってるのを確認してから、やっと制服に袖を通す。

つい最近、フリアミスタ師匠から入学祝いにと買っていただいた制服は、以前にメイドさんから頂いたメイド服と同じで、ちょっとわたしには不釣合いなくらい可愛らしい。
けれど、魔法学校の豪華な校舎とその施設は、わたしには別世界すぎて、この制服がないと落ち着かないのだ。

少し別の自分になったような気分になれるのは、この制服にもなにか魔法がかかっているからなのかもしれない。
今日、ルナリア先生に会ったら、そのことを聞いてみよう。

◆◆◆

野営地に帰ったら、テントの中に作っておいた窯に火を入れて、すぐに鍛冶仕事にとりかかる。

鍛冶仕事をテントの外でやらないのは、鉄を打つのを外でやっていると、風で鉄が冷めて歪んでしまうからだ。
だから、テントの中はかなり暑くなるけれど、暑くなりすぎないための最低限の風通しを確保することしかできない。

作業着はメリムさんから貰った作業用のエプロンとワンピース。それに作業用の特別な手袋になる。
実のところかなりの軽装だと思うのだけど、灼熱地獄みたいなテントの中ではこれでも暑いと感じるほどだ。

手拭で何度も額の汗をぬぐいながら、もくもくとハンマーで鉄を引き伸ばし、思い通りの形に変えていく。

夜遅くまで続く作業に、隣に立てたテントで休んでいる腐乱さんが一言も文句を言いに来ないのは本当にありがたい。
眠ると音が気にならないタイプなのか、そもそもゾンビだから寝てないのか、ちょっとだけ気になるけれど。

その日は二振りの刃と、たくさんの弾丸を作った。
弾丸は市販の大口径の銃弾の改造加工品なのでずいぶん楽をさせてもらったと思う。
その分、数をおまけしておいたから許してもらいたい。

仕事が終わったあと、自分で使うカタナを打とうかと思って、余っていた材料を金床の上で伸ばしみたけれど、鍛錬の途中で材料が悪すぎて刀にするには芯鉄になる部分が少なすぎることに気づいて途中で止めてしまった。

余った材料なんかでは、ちゃんとしたカタナを打つのはやっぱり無理のようだ。
けれど、貴重な材料を費やしてカタナを作っても、あっけなく折れてしまうのではないかと思い、今日も二の足を踏んでしまう。

◆◆◆

窯の火を落とし、部屋の換気をちゃんとしてから、わたしは作業机の上で学校から貰ってきた共用語のテキストを開いた。
このテキストはルナリア先生から貰ってきた“宿題”である。

わたしは学校に通うことになったものの、同年代の学校に通っている救援者の人たちに比べると、ひどく学が劣る。
このままでは学校の授業を受けることすらできないので、ルナリア先生の厚意で、特別に集中授業を受けさせてもらっていた。

最初にわたしが教わることになったのは、公用語という、あちこちの世界で使われているという言語だった。
なにしろ、学校のテキストはみなこの文字で書かれているので、これが読めなければ話にならないのだ。

わたしにとってはまるで未知のものだったこの勉強というものは、てとても楽しいものである。

今まで武器作りの仕事で、契約書とか、お客様の記録とかを紙に残すために最低限の文字は教わっていたけれど、むずかしい言葉……例えば手紙の文章とか、本の内容はぜんぜん分からなくて、腐乱さんに頼み込んで呼んでもらったり代筆してもらっていた。

それが、ちゃんと自分で読めるようになっていく喜び。
自分が『分からない』と思うものの正体を見破ったような、不思議な高揚感は、とても言葉にしがたい。

テキストに書かれた文章の意味を読み解いて、それがどんな言葉なのかを知るたび、もっと勉強したいと思う。

けれど次第に重くなっていく瞼には逆らえない。

「あ……だめ…………かぜ、ひいちゃう……」

わたしは、なんとか眠気を振り払ってランプの火を消すと、ふらふらした足取りで床に敷いた寝袋の中に潜り込んだ。
ランプの火と同じように、すぐにわたしの意識も眠りに落ちた。