ENo.937 綾辻優衣

彼女は先を急いでいた。
流石に体力が限界ではある。
闘うものを探しながら、
どこか、
山野ではなく、
屋根ある家で休息を取りたいとも願っていたから。
些細な事かもいれないが、
長旅であれば、あるのとないのでは、
大きな違いがある。
それ故に。
彼女は探してもいた。
見つからないのであれば、
それはそれで良いと考えもしたが――
ここでの道程と闘いは激しすぎる。
そして、疲弊は当然の如く悪影響を及ぼす。
だからこそである。
そして――
遠目に街を発見する事に成功する。
当然の如くその街へと彼女は歩みを進めようとし――
気付いた。
強き気の力を。
それはこちらには向けられてはいないが、
気に留めるには十二分過ぎた。
それに――
気になったのはその気の質である。
強者であると感じるに十二分な気の力。
それだけでも十二分なのに、
その気はまさに、幾千幾万と闘ってきたもののみが纏えるもの。
ゆっくりと彼女は歩みを進める。
その気を纏うものがいる方向へと。
――そのものと会うのに、
そう長い時間は必要なかった。
圧倒的ともいえる気を纏うもの。
多少消耗している様子が見て取れるが、
それでも、強い相手なのには変わりない。
だから――
彼女は躊躇なく戦いを挑んだ。
――修羅に挑む。
それもまた、神へと近づく道と確信して。
何故なら――
修羅もまた――
……
「いざっ！尋常に立ち会えいっ！」
闘いは問題なくする事が出来た。
相手は疲弊しきっているとはいえ、
強敵には違いなく、
彼女もまた疲弊している。
……
そして、彼女は自分のスタイルを崩さない。
「ふぅっっ！
　ぬうぅんっ！」
気を高め、
流れるような構えを見せる修羅に対し、
彼女は小さな龍と、
守護者を呼び出だす。
拳の拳の戦いではない、
とはいえ、相手は修羅。
「舐めるなっ！」
獰猛(どうもう)な笑みを浮かべながら、
そんな事等大した事ではないといわんばかりに、
攻撃をはねのけながら拳を繰り出してくる。
――楽しい。
これならば、拳だけでもと彼女は思いもしたが、
それは、彼女の全てではなく、
彼女には手を抜く余裕もない。
だから――
着実に攻めたる。
単調だが着実に。
それは、確実に相手の体力と力を奪っていく。
だが――
それは相手にとっても予測は出来たこと。
百戦錬磨の修羅であれば当然の如く。
だから――
彼は力をためて溜めて解き放つ。
「ちぇぇすとおぉっ！」
裂帛(れっぱく)の気合と共に放たれたそれは、
彼女を正確に急所を穿つ。
「――カハッ……！」
彼女の息が止まる。
だが、
それでやられるようなら、
彼女はここまでこれてはいない。
直に歯を食いしばり反撃を繰り出す。
――彼が完調であったなら、
また結果は変わっていただろう。
だが、今、この段階においては、
届かなかった。
星の巡り合わせなのか、
それとも別の何かなのかは分からないが。
「強さが……足りぬかっ……！」
崩れ落ちる修羅。
ともあれ、
彼女は勝利する事が出来た。
強敵だった。
もし、一歩間違えれば、
もし、彼が完調だったと思うと冷や汗が出るほどに。
一礼をし、先を急ぐ。
……
先を急ぐ彼女の目の前を桜の花びらが一枚横切る。
「――桜？」
こんな場所で？
とも彼女は思ったが話には聞いた事があった。
この世界には狂い咲きの桜がある。
それは見事な桜なのだと。
此処から遠い場所だとは思うが、
ここまで花びらが飛んできたかと、
彼女の口元に少し笑みがこぼれた。
どうしてなのか。
それを彼女が考えた時、
思い出した。
あれは――

＊　＊　＊　＊　＊

「わぁ――」
子供の頃、
彼女は悪い事をした事がある。
既に神に懺悔した事ではあるが、
その時の事は忘れてはいない。
その日は、
彼女は絵本を読んだ。
夜に咲く桜の絵がとても印象的で、
実際にそれを見て見たいと思い、
こっそりと両親が寝静まった頃、
彼女は一人ベッドから抜け出して、
桜を見に行った。
――桜が咲いている場所までの距離はそう遠くはない。
が、
子供の足にとって、
そこまでの道のりは遠く、
暗い夜道を歩くという事も考えてみれば、
一つの冒険だった。
心細くもあったけれど、
彼女にとってそれは問題ではなかった。
――彼女の心には常に神への信仰がある。
それだけで――
彼女は心細くなんて無かった。
どんな困難も苦痛も恐怖も、
彼女はそれだけで耐える事が出来るのだから。
――
どれほど歩いたのだろう？
一時間か？
二時間か？
ひょっとしたら、３０分くらいだったのかもしれない。
誰にも咎められる事もなく、
彼女はたどり着いた。
夜に咲く満開の桜。
それが沢山。
まさに絶景だった。
「わぁ――」
あれほど綺麗な光景をみたのは過去何度あったろう？
それは分からないけれど、
未だに彼女の記憶に焼き付いている。
特に、奥にあった大きな桜の木は格別に美しかった。
まるでこの世ならざるが如く。
神に、
この光景が見れた事を感謝する。
だが――
所詮子供の浅知恵だったのだろう。
そんな余韻(よいん)に浸る暇もなく、
彼女は顔を思いっきり叩(はた)かれた。
「――夜中に出歩くなんて何を考えてるの！？」
ふっ、と彼女が顔を上げてみると、
そこには彼女の母親がいた。
眼が赤く、
泣いていたのが分かる。
「……」
其れを見て、
彼女は罪の意識に苛まれた。
分かっていた事だとはいえ、
肉親をこうまで心配させたのかと、
認識する事でより胸が痛くなった。
だから――
「ごめんなさい。
　どうしても夜に桜をみたくて――」
一言謝った。
すると、抱きしめられた。
どれほどそうしていたのか覚えていないが、
これほどまでに人の手が温かいものだと、
この時以上に感じた事はない。
だから、彼女は抱きしめ返した。
だが――
今、彼女はこの人の温かみを覚えているのだろうか？
覚えていたとしたら、
彼女の神への想いは、
それよりも大切だというのだろうか？
答えは分からない。
ただ、
夜に咲く桜達だけが、
その光景を見ていた――

＊　＊　＊　＊　＊

(人の温もり――)
ずっと忘れていたような気がする。
だが、
もうそれを取り返す事は出来ない。
それもまた、彼女が捨て去ったものだから。
新しい温もりを求める事はできるだろう。
だが、
彼女が彼女であるが故に、
それはもう望めない。
――温もりを得られない方を彼女は選ぶだろう。
何か、きっかけでもない限り。
だから、
頭を振って考えを打ち払う。
今は良そう。
それよりも今はやる事があると。
――先を再び急ぐ。
そんな彼女の前に、
一体の人形が現れた。
兎を模った人形だ。
可愛らしいといえば可愛らしい。
だが――
見た目で判断してはいけないのは、
もう十二分に承知してきた。
だから、屍を喰らう鬼を呼び出し――
「さぁ、砕けなさい！」
思いっきり殴り飛ばした。
これで勝てるとは思っていない。
だが――勝利への布石にはなる。
だが、そんな心配も杞憂だった。
屍喰鬼と、拳。
単純な力押しに、
素早く跳ねながら踊りかかる兎の人形は次第にぼろぼろになり、
動きが鈍ってくる。
そして、兎の攻撃は軽く、
彼女にとってはどの一撃も致命には至らない。
勝敗は明らかだった。
無論彼女一人だけなら、
どうなっていたかは分からない。
だが、
彼女は一人ではなかった。
それが、完全に明暗を分けた。
崩れ落ちる人形。
それを振り返ることなく、
彼女は真っ直ぐ歩む。
街に向かって。
残る道程は後少し。
だが気を緩めることなく歩みを続け――
ついに、街を到着する。
だが、彼女は、
拠点とは考えず、
彼女は先へと進むことを決意する。
だが――
それでも街についたのだ。
ゆっくりと休息を取る事にした。
治安こそ良くないとはいえ、
それでも街には違いない。
ゆっくり休息するものもあれば、
物資もおいてある。
山野を走りながら、
休息を取るのとは大違いではある。
――今は安らかな一時を―