ENo.533 リヴェリア

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術胎書。

ソレは、魔法学校カメーリエの入学者へと与えられる教材の名。
教材であり、本の形式を持っているが、教科書と呼ぶにはいささかニュアンスが違う。
その使途が“所有者の行動を記録する”という点であることからすれば、むしろ日記帳に近いと言えた。

何月何日────正確には焔の月の幾日目に、あれこれどういうことをした。
そんな事柄が、自動書記によって、日々つぶさに書き連ねられていく。
これだけ聞けばなんてことはない。ちょっと便利な、ただの日記帳だと感じるだろう。

されど、否。

術胎書と名付けられしこの書物こそは、
ソレ単体が術を孕み、術を育て、術を産み落とすマジックアイテム。
これは比喩とかそんなんじゃなく、真実コイツは、そういう挙動を示すものとして扱われていた。

故にこそ、魔術の胎盤となる書物。
日本の諺に「名は体を表す」というものがあるけれど。
術胎書という呼称ほど、その本質を簡潔に表現した例も珍しいだろう。

そして“出産”させるために与えられた条件は、受精でも、温度調節でも、時間の経過でもなく。

たった一つ。即ち────その書を用い、魔術を行使することだけ。

術胎書を持っている限り。そして、この条件を満たし続けている限り。
まったく新しい。もしくはより高位の魔術を、完成された状態で入手できる未来が、所有者に約束されるのだ。

思うに。

術胎書を傍らに、治癒の魔術を行使する者がいたとする。
彼、或いは彼女はごくありふれた才能の持ち主で、ごくありふれた程度にしか傷を治せない。

しかし、彼は。或いは彼女は。
それでも真摯に、それでも懸命に。それでも自分の行いが、誰かの役に立つと信じて。
ただ治癒こそを己の本領とし、廃都で。病棟で。戦場で。災禍に苛まれた人々を癒し続けた。

結果は常に、必ずしも幸福なものではなかったろう。
治したいと思った。癒したいと願った。されど及ばず、最後を看取ったことの幾多なるか。
その度に彼は。彼女は。己の無知を嘆き、己の無力を呪い、己の無能を恥じて────そして次こそは必ずと、誓いを新たにする。

術胎書はその行動を。その結果を。その心理を。その精神性に至るまで、淡々と。けれど遍く、正確に記し写す。

列挙されるのは単なる事実。過去をありのままに記録しただけ。
その者はそう行った。その者はそう考えた。何より、その者はそう在った。
けれど、己の良心に従い、ただただ実直に治癒を行使し続けたという記録は“治癒という概念の蓄積”に他ならない。

そうして最後、全てのページが埋められたその時には。
彼の、彼女の持つ術胎書が蓄えた概念は、その厚みを膨大なものとしている筈なのだ。

そう。例えば────“死という概念”すら、凌駕できてしまえる程に。

概念は、より強い概念によって上書きされる。
死という概念を、治癒という概念で上書きできたなら。
既に死んでしまった人間さえも、或いは蘇生させることが叶うだろう。

これこそ、術胎書が魔術を出産するカラクリの、ひとつの仮説で。そして恐らくは、そう的外れでもない。

これは……凄いことだ。

特定の概念を実用レベルまで蓄積した兵器は、地球においても存在している。

“不死”という概念を持つ対象へ、それよりも強い“死”という概念を上書きすれば、対象は不死では在り続けられない。
ならば、アンデッドやヴァンパイアに対しては、文字通り、切り札レベルの武装となるのではないか。
聖水よりも、十字架よりも、銀の弾丸よりも、白木の杭よりも。なお有効で、かつ実用的な、不死を殺しうる武装。

そんなファンタジーさながらの理論に裏打ちされたソレら兵器は、しかし現在まで運用され。その実績たるや、枚挙に暇がない。

されど。概念の蓄積はそれ自体が長期の年月を必要とする為、量産は不可能に近いとされてもいる。

とれくらい長期かというと、大抵は100年から200年。
500年クラスのものになると、もうとんでもない威力らしいのだが、それはまァ置いといて。

ともかく、人間一代では到底完成しえない程の、時間と労力が求められていて。
そんなことしてる暇があるなら、その時間と労力を、自分の魔術の研鑚に割いた方が良いよね！ってのが魔術師の本音だったりする。

度外れて強力だけど、コストパフォーマンスが劣悪すぎる典型。
故に、地球では正直なところ、流行ってない。
所有しているのは教会の、異端狩り・化物狩りをメインの仕事とする部署くらいだろうか。

それが、モノに拠ってはたった十日で完成する。術胎書の何が凄いって、ここが凄い。

教会の連中にして見れば、今までの常識を根底からひっくり返すレベルの驚きだ。
異端狩りのスペシャリスト達が愕然と肩を落とす様は、それはそれでちょっと興味を惹かれるところではあるケド。

ただ、書という形式を取っているからには、必然、第三者に読まれることを前提としているようにも思う。

神秘はなべて秘匿さるるべし。

この言葉の意味は、神秘は公衆の手に渡らないからこその神秘である、ということ。
誰もが、生涯を費やして生み出した発明の特許を、他者へ無償で譲り渡したがらないのと同じ。
神秘が広く一般に認知されれば、それは次の瞬間から神秘ではなく、ただの常識に成り下がってしまう。

簡単に言えば、価値が落ちる。
そして、魔術師は何より、自らの神秘の価値を保持しようとする。

故に、神秘はなべて秘匿さるるべし。これが地球の魔術師全員が持つ、共通の認識。

無論、このわたしもその例に漏れないワケだけど。
だから術胎書が、それはもう凄いものだと頭では分かっていても、実際に使うに際しては「ウーーーーン」ってなるのだ。

いやだって、オリジナル魔術を完成させた過程を、文章として他人が勝手に読む可能性があるワケでしょ？
その時点でもうアレよ。なんてゆーか、ありえなくない？

しかもルナリアは、術胎書から産まれる魔術がひとつだけ、とは言ってない。
出産を経験した書さえあれば、産まれたものと全く同じ魔術が、いくらだって複製できたりしちゃうかも。
そんな神秘の叩き売りとか、無断転載とかみたいな結果は、魔術師の中でも現代に適応してるほうだ、と自負するわたしでも御免だし。

まァそんなカンジで、わたしが所有してる術胎書は、ミレッティ自室内のどこかで、今日もホコリを被っているのである。

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