ENo.854 享楽

14日目

　前哨戦は肩慣らしと言ったレベルで終了した。
　野党再討伐の依頼をこなすために向かった場所へ着くまで後一日と言ったところだろうか。遭遇戦はその名の示すとおり唐突に始まり、あっけなく集結した。
　享楽、フィンチの両名は拳や魔法、罠を駆使して敵を確実に葬っていく。最後の一匹が倒れたとき、お互いの調子を確認しあったが特に大きな怪我はやはり無かったようだ。
　この調子であれば、明日にでも野党再討伐の依頼をこなすことが出来るだろう。

　その日の夜、見張りを交代してテントに入った後享楽は一人昼過ぎに行われた戦いを思い起こしていた。
　技に慣れるため、熟練を稼ぐためとは言え無理な技構成にしていなかったかなどを確かめ明日の一戦へと備えるためである。
　「ん〜。色々な技を使ってはみたものの、何が一番良いのかわからなくなってきたさ･･･」
　昼間の戦いでは表に出さなかったものの、今の享楽には余裕というものがあまり無かった。外で見張りをしているフィンチの胸中にも不安は残っているだろうが、度合いの程はわからない。が、自分のことならばわかる。享楽は確かに緊張しているのだ。

　緊張と一口に言っても2つの種類がある。良い緊張と悪い緊張だ。
　良い緊張というのは武者震いの類で、神経が研ぎ澄まされたり精神が高ぶる事で恐怖などを薄れさせる効果を持つ緊張である。
　それに対して悪い緊張というのは、体が硬直してしまったり自分が何をするべきかわからなくなる精神の錯乱などを含む緊張のことを指している。
　享楽が陥っているのは言うまでもない。悪い緊張だ。
　「む〜ん。前回の野盗戦みたいな醜態は晒せないさ･･･今回こそ頑張らねば･･･」

　こういう悪い緊張に陥った場合、過去の経験や努力が緊張を和らげる為の骨格となり良い緊張へと変える作用を起こす起爆剤となる。しかし、この世界に来た時点で享楽が元の世界で培ってきた経験や努力は半分リセットされているに等しい。
　と言うのも、その身に経験や努力を蓄積させるヒトとは違い、妖怪という身である享楽にとっては経験や努力と言ったものが身に半分、現世に半分蓄積されるものだからである。
　妖怪が尋常ならざる命を得ている理由もそこに起因している。
　大地の上に立って生きているのがヒトであるが、妖怪は大地とともに在る。｢共に在る」というのは比喩ではなく言葉そのものの意味を持つ。
　現世が滅びれば妖怪も滅びる。現世が続けば妖怪もいつか復活する。
　どうしてと言われてもそういう存在だからとしか答えようがないが、妖怪の中にはヒトは外の世界から来て妖怪は今の現世で生まれたからだと言う説も囁かれるくらいだ。
　
　そんな妖怪である享楽が、生まれた現世を離れて別の世界へ来た。
　そうなると自分の半身と分かれたような行為であるため、現世に貯めてある力は持ってくることが出来なかった。
　それが、今の享楽を型作ってしまっているわけだ。
　記憶や性格に異常をきたさないだけでも僥倖と言うものだろう。

　以上の背景もあり、今の享楽には実践の裏付けというものが薄くなってしまっている。それが、悪い緊張を引きずり続ける要因となっていた。
　「いやいや、この感じ･･･初めて冒険にでた頃を思い出すさぁ。」
　テントの屋根を見上げ寝転がりながら、呟く。あれは何年前のことだったかと。
　「自分でも分かっちゃいるんだけどさ。こればかりはどうにもならんわな。」
　初めて冒険にでて色々な土地をまわっているときもこういう事があったのを享楽は思い出す。あの頃は経験も浅かったため、大きな戦いの前になると緊張で眠れなかったものだ。
　「あれ、そういえば･･･いつから緊張が無くなったんだか･･･ん〜」
　記憶をたどるため、寝ていた体を起こしテントの中をうろつきまわる。歩いていれば思い出すというわけではないが、じっとしていられないのだからしょうがない。出そうで出ない記憶というのは大抵がそうだ。
　その時、享楽の前を一片の花びらが横切っていく。
　足を止めた享楽の鼻には、花びらの残した香りが微かに香る。
　「そうだ･･･あの時も同じようなことがあって･･･それから体が思うように動くようになったんだ。」
　
　享楽の前を横切った花びらの名は「桜」
　テントに迷い込んだ花びらは、山一つ向こうにある大きな桜の木が花咲かしたことの証であった。
　
　「これは偶然か必然か･･･あの時はお礼に行けなかったが、今回は忘れないようにしないとさ。」
　また迷い込んできた花びらをその手に乗せながら、享楽はほっとしたように笑っていた。
　その笑いは自然に浮かんだもので、享楽にとっては久しぶりのものだった。
　
　「さて、さっさと明日を迎えて野盗を退治して、帰りに酒買って桜の精と酌み交わしにいくさ！！」

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次回は文章コミュ主催の「桜」イベントに参加しまっす！！