ENo.58 夢猫ぴあの

　St. Valentine's day
　分割世界の一地方における、女神の祝祭日にして聖者の殉教に由来する愛のアニバーサリー。
　何故か『お菓子を贈る』という風習に変化した記念日は交易市場の増長もあり、今や銀河規模で広く知られている。
　多くの異邦人で賑わうセルフォリーフにも、お菓子に翻弄される乙女たちがいた。

「甘！？」

　表層はそうでもなかったのに、融けると途端に蕩ける味。
　隣の席で同時に口に入れた雛姫が、｢でも美味しーい♪｣とピアノを代弁するかのように黄色い嬌声をあげた。

　艶やかな琥珀色を持つ花びら姿の飴細工。
　トレニア＝フロイントリヒが試食と披露したお菓子は、一般的な飴に似ていながら不思議な特性を持つ甘味だった。

「んんーっ！こっちの欠片はちょっと酸っぱいかも？」
「それはレモンのシロップを混ぜたものですね。配分は、セルフォリーフの菓子教本を参考にしたのですが」
「少し酸味が強いかもしれませんわね。飴本来の甘味が打ち消されて、もったいない気がしますの」

　そうですかと頷いて、淡々とメモを取るトレニア。
　彼女は栄養価を重視する性格なので、味覚を優先するお菓子は慣れていないらしい。
　…なるほど、前に連れて行ったドルチェの店で複雑そうな顔をしていたのには理由がありましたのね。

　しかし、そんなトレニアの言葉に疑問を感じたのか、雛姫が首を傾げながら訊ねた。

「あれ？でも今回は気にしたんですよね？じゃあやっぱり……」
「人に渡すものではあります」

　ピシャッと言葉を遮られるも、雛姫には喜色が浮かんでいた。
　意外にもトレニアが、わずかに眉をひそめて『しまった』という表情を見せている。

「やっぱりー！」
「あらあら、トレニアも隅に置けませんのね？」
「いえ、そういう意味ではなく」
「「ねえねえ誰に？」」

　ハモる２人の声に、ぐっと言葉を詰まらせるトレニア。仕方ないとばかりに肩を落とし、

「雛姫ちゃんはご存知かどうか知りませんが……ラナさんという方です」
「―――え？ラナさんなのですか…！」

　ラナンディア・フェルシュングは、雛姫にとっては馴染み深い旅の仲間だ。
　ピアノにとっては、カメーリエにおける敬愛すべき先輩。最近、”敬愛”が”憐憫に”変わることも多いけど。
　偶然の人間関係にトレニアも驚いたらしい。
　だが、事情解説すべく投げかけた逸話も、コイバナに餓えた年頃の乙女相手には逆効果だった。
　恋心と大前提で捉えている２人にどう説明したものかと、たった１歳程度しか違わないはずのトレニアは悩む。

「それより、完成したのも見て頂けますか？」

　微笑みはにっこりと。
　笑顔に込められた意味にピアノは気づいた。
　…ヒナキは出会ったばかりだから気づかないだろうが、引き際だ。これ以上は後日間違いなく、倍返し報復をくらいますのよ！

　と、思ったのも束の間。見せられた完成品に、２人は否応なく魅せられた。
　先ほどまで試食していた花びらは単なる前座にしか過ぎなかったらしい。
　飴細工なのに、完成された一個の芸術品であるかのよう。
　うねる茎から伸びた草葉、寄り添う花弁が滑らかなカーブを描いて花開こうとしている。
　
「Ja，全部飴細工で作ったものです」

　薄い琥珀色の花片が重なり合うと、蜂蜜色にも見えてくるものらしい。
　雛姫が興奮してトレニアにぐいと詰め寄った。

「これって簡単に作ることができるのです？」

　――必然、ここに飴細工の講習会が始まったのだった。
　
　飴は高温を与えると柔らかくなる。つまり熱いということだ。
　氷を入れた冷水のボウルに掌を浸し、感覚を麻痺させながら熱した飴を捏ねていく。
　手本を見せるトレニアの手捌きは鮮やかで、練った飴に無理な力を与えるでもなく美しい花の形に整えてしまった。
　意識せず拍手がこぼれる。

　２人は知らなかったが、彼女は飴細工が得意というわけではない。
　過去の記憶を手繰り寄せながら一晩中飴を練り続けていた結果、いつの間にか職人レベルと見まごう技量に達しただけだ。
　才能というより執念に近い、努力の賜物である。

　ふと、雛姫が質問した。バレンタインにどうして花の飴細工なのかと。

「私の故郷にそういう習慣があるのです」

　トレニアは頷いて応えた。
　大切な人へ花を贈る。彼女の祖国で交わされるバレンタインの祝祭は、どうやらそういうものらしい。
　ピアノの故郷にも、名前をサインしないカードを贈るという風習がある。
　雛姫に至っては、どうもバレンタインを『恋人限定』と信じ込んでいる節があった。
　産まれ出でて間もない彼女だから、まだ理解が浅いのだろう。面白そうなので黙っておくことにする。

「トレニア…。貴女、もしかして自分から誰かに贈るのは初めてだったりしませんの？」
「初めてですよ」

　素直に切り返された。

「機会が無ければ、この先も私が誰かに物を贈るなどありえなかったでしょう」
「………」
「だから、いい機会を得られたのですよ」

　安心させるように、トレニアは優しく続けた。
　一拍を置いてピアノは頷く。

（――ふふ、本当に良かったですわ）

　…その後、プレゼントに対して何かを目論んでいるような顔を見せてきたのには若干引いてしまったが。
　気にしないことにする。犠牲者はきっとラナ先輩だから、触らぬ神に祟りなしである。

　軽く息をつき、ピアノは口元に手を寄せ雛姫に声をかける。

「今日のチョコ作りはお流れですわね」

　そもそもトレニアに遭遇する前は、２人でチョコを作ろうとしていたのだった。
　偶然の出会いのお蔭で、素敵な体験をさせてもらっている。
　雛姫も同じ思いだったらしく、彼女と知り合えたことをとても喜んでいるようだ。ピアノはどこか誇らしい気持ちを感じた。
　ただ、雛姫もいずれ知ることになるだろう。トレニアの本質的な『おっかなさ』というものを。

「……あ、でもピアノは大丈夫？本命さんにあげるチョコとか作らなきゃいけなかったのじゃ…｣
「本命？残念でした。そんな人いませ……あ」

　ある人物のあどけない素顔を思い浮かべてしまう。
　あれは夢。夢でなくては駄目。何故なラ私ハ、”×××テハイケナイ”。――ダカラ、……忘レなさい。

　何かを考えてしまった気がする。

「渡したい人がいないわけではありませんのよ？」

　思考が遊離した感覚。自分ではない自分が、自分の口を使って声を発した。

「ヒナキは受け取ってくれるかしら…？」

　ああ、と。ここでようやく心が同期した。慌てる雛姫を見て、言詞に含まれた”意味”が追いついてくる。
　ヒナキは可愛いですわね。突然成長したりと驚かされてばかりだけど、まだ心は無垢な雛鳥のよう。
　彼女の心を穢す人を、私はきっと許さないだろう。私自身がからかうのは全く問題ないけれど。

「―――私は特別な人を作るのは……怖い、かも」

　しばらくして、言葉を振り絞るように呟いた雛姫。息を飲む。トレニアが何かを言いかけて口を噤んだ。
　………。ここにいる３人は全員が全員、不器用なだけなのかもしれなかった。

　七難八苦のドタバタを繰り広げ、生徒の２人がようやく”花”を完成させたのは、夕日が稜線に差し掛かる頃合いで。
　トレニアも試食の感想を反映させ、完成品を更なる至高へ近づけていた。
　もう一度味見をとお願いされて花弁を戴いたが、どこか勿体無い気もする。

「あ、こっちは美味しいですわね……」

　思わず口にすると、トレニアは深く頷いた。

「では、後でピアノちゃんにはそちらをお渡ししましょう」
「え、いいんですの？！」
「友人に分けるのに上も下もありませんが」

　ここで雛姫が絶叫した。
　バレンタインのお菓子は友達相手に贈ることもある。…いつ気づくかと思ったけど、ようやく気付いてくれましたのね♪
　暗黙の了解でトレニアも説明しないでいてくれていた。そして今は、絶妙のタイミング。

　顔を真っ赤にして怒る雛姫、口元を抑えながら顔をわずかに背けているトレニア、机に突っ伏して震えているピアノ。
　３人の声が、散らかった調理場に響いて。

　作業場に使ったトレニアの宿を辞する直前、彼女はピアノを呼び止めて言葉を贈ってきた。

「”甘いものは心を楽にするんですよ”……か」

　意地悪なくせにお節介な友人に、泣きたくなる。
　何故涙が溢れそうになるのか、自分でもまだよく意味が解っていない。頭に靄が掛かっているみたいだ。

　私は―――てはいけない。―――くれる人を――――運命へ突き飛ばしてしまうから。

　不意に暖かな温度を感じた。
　雛姫が手を繋いできたのだ。彼女が何を想い、私の手を取ったのかは解らないけれど。
　また泣きそうになってダメだった。何も喋れないまま、ピアノは帰り路をふわふわと歩く。

　後日譚。
　深夜の女子寮を窓から抜ける。こんな時、地上２階部屋のロケーションはとても便利だ。
　こそこそ向こうから足早に歩いてきた女の子がいたが、お互い無言のまま親指を立ててすれ違う。

　やがて辿りついたは男子寮。普段は施錠されている門扉が、今宵は何故か開いていた。
　誰もいないのを見計らい、郵便受けへ忍び寄る。
　部屋番号の記憶と照らし合わせ、手提げ鞄から取り出した小箱を幾つか投函し。

「あら、鈍い音。さすがは…。あ、こちらも。ふふ、みんなモテモテですわね？」

　最後のひと包みを手にするに至り、動きが止まる。
　少しだけ大きな箱。調理室を借りて造りなおした、飴とチョコレートの協奏曲。

「…ええ、これは感謝の気持ちですのよ。だから決してそういうことでは」

　声を言い訳にし、迷い、悩み、唸って考える。
　本命だとか、そういう複雑なことは深く考えてないけれど。どうしてだろう、躊躇いが後ろ髪を引く。

　しばらくして、コトンと郵便受けへ滑り落ちた小箱。少女は息を呑む。もう取り返しはつかない。
　背後の気配が「どっか行け！」と無言の圧力をかけてくる。次の選手が焦れているのだろう、場所を譲らねば。

　誰かを想い両腕を掻き抱いて身悶える。――そんな甘い恋の蜜に溺れることはしない。
　何故なら、私が”本当に大切にしたい相手”は、どこかで幸せになってくれることが一番最良なのだから。

（恋って、とても残酷なのかも知れませんわね）

　ピアノは毅然と夜を見上げる。
　暗闇に眩い弓張の光。地表は、冴え冴えとした白蒼に閉ざされていた。

※今回の日記は、トレニア(96)さん＆雛姫(1445)さんとコラボレートさせて戴きました。