———目覚める。

　うなされていた覚えはないが、酷い寝汗を掻いていた。
　一枚着の襦袢がしっとり濡れていて、肌の稜線に張りつき不快感を生じさせている。

「何の夢を見ておったかの」

　夢とは、目覚めと同時に色褪せていくものだ。
　それは人姿の状態であっても変わりない。しかし、悪夢ならともかく良夢も忘れやすいのは寂しいことだ。

　眦に触れてみたが、涙の痕は無かった。
　ならば、糞坊主の裏切りでも、坂東武者の死境でも、獣と人の未来を唄った彼との別離でもあるまい。

　不思議な心地で、ベッドに腰掛けながら天井を見あげた。
　継ぎ目の少ない木造の壁には薄い黄緑で蔓草の模様が描かれており、優しげな色使いもあって気分が安らぐ。
　うまくは云えないが、獣人種が自然回帰して健やかに過ごせるよう誂えられた部屋に思えた。

　昨日を振り返る。

　殺されかけた処を、メイアという女に救われた。
　メイアはツヅミの置かれた状況を訊いた後、自分の元に来ないかと誘いをかけてきた。
　否と突き放す理由もなく、彼女に導かれるままに辿りいたのが、此処だった。

　二頭立ての黒馬に引かれた、小洒落た風貌の巨大な幌車。
　訊けばメイアは家族同然の獣人仲間と共に、旅をしながら喫茶店を開いているらしい。

　馬車には特殊な魔法が掛かっているらしく、室内は、外見から想像できないほどに広かった。
　最初に通されたのは、妖しい紫色のシャンデリアに派手な桃色のソファーが並ぶ、奇妙な大部屋。
　この広間で客に紅茶等の持て成しをするのだと聞いた時は、耳を疑った。

　機動獣耳『Mofu Mofu★Cafe』

　なんと、ふざけた名前だろうか。
　雰囲気は、実に怪しい。室内はよく掃除されていて整っているが、とても真っ当な喫茶店には思えない。

　……恐らく、"そっち" 方向の持て成しも受けつけている、ということなのだろう。
　かつて、追手から逃げる為 我が身を潜める先に選んだ、華やかなりし吉原遊郭を思い出して苦笑する。

「どうぞ、お食事です」

　ソファーに座り ふかふかの感触を楽しんでいると、一人の少女が現れた。
　成熟の半歩手前、といった感はあるが、細見なれど肉付きの良い女の子だ。
　ツヅミが眺める先で、少女は平机に、湯気がもうもうと沸き立つ銀製の食器を置く。

「——なん、じゃと」

　喉が、ごくりと鳴る。
　すり鉢状の食器には熱々に煮えた浅黒いつゆが並々と注がれており、白い練り麺が折り重なって沈んでいる。
　軽く炙られた葱の波間に、筏の如く姿をさらすは油揚げ。艶めく姿、まさに至高なり。

　其の名を、《きつねうどん》と云う。
　まさか、異世界であるメルンテーゼの地で再会することが出来るとは……！？

「狐の方だと伺ったので、こちらが好みかと思いまして」

　少女はお盆で胸に抱きながら、はにかみ気味に云う。緊張しているようだ。
　ツヅミは目を剥きながら尋ねた。

「まさか、お主が作ったのか！？」

　はい、と応える少女は、自分をセラと名乗る。
　この "かふぇ" ——とやらで、専属料理人に就いているるらしい。

　薦められるがままに、一口啜る。
　……美味い。

「おお、絶品じゃ。これほど美味しい饂飩は、実に五百、いや、六百年ぶりかも知れぬ」

　ツヅミの呟きの意味を捉え損ねて、首を傾げるセラ。
　いちから説明するのも面倒だと思い、驚かせても仕方がないと判断して説明はしない。
　代わりに口にしたのは、

「美味しすぎて箸が止まらぬ。厚かましいが、お代わりを戴いても良いじゃろうか……？」
「ありがとうございます、よろこんで！」

　セラは表情をほころばせて微笑むと、空の丼器を引き取って厨房へ駆けていった。

　踊る風切り羽根は、鳥種の特徴。ただ、気配に人が混じるあたり半獣なのかもしれない。
　獣人は王族でもない限り混血も多いから、特に驚くことでは無いだろう。
　しかし、"人" の血が混じってしまうと、途端に此の世は生き辛くなるものだ。

　メイアは、彼女のような者を多く手元に引き取って庇護しているという。
　たいしたものだと、心に頷き。

　そろそろ良いだろうかと、ずっと感じていた視線へ振り返った。
　大量の気配が、ドレープ掛かる厚いカーテンの裏に一斉に引っ込んだ。
　この "かふぇ" で働く、他の獣人たちであろうか。新参者が、とても気になると見える。

　だが、途切れない視線がひとつだけ残っていた。
　隠れ損ねたのか、周囲に押し出されてしまったのか。不安な表情をした子供が、ひとり佇み。

「……お姉さん、誰？」

　落ち着きなく、怯えている。されど不思議なことに、瞳には一切の感情が浮かんでいない。
　気配と視線が、酷く不均等な少年だ。

「ツヅミっていうのよ。これから私達と一緒に暮らすの」

　ぽん、と子供の頭に手をやって、わしゃわしゃと撫でたのはメイアだった。

「この子は、リオン。
　ツヅミより少し前に入ったばかりの新人ね。仲良くしてあげて」

　リオンは、メイアの手を嫌そうな顔で乱暴に振りほどいて逃げた。
　部屋の隅から、がるるると唸りながら此方を睨んでいる。

「ふふ、可愛いの。あの子は狼種じゃな」
「ツヅミと同じように、ホケン・ジョーに追われていたところを助けたのが出会い。
　ここは、そんな子ばかりだけどね」

　メイアはカーテンの向こうへ、「大丈夫、怖くないわよ」と声をかける。
　おずおずと、幾人かが姿をあらわした。比率としては女性が多いが、男性も幾人か混じっている。

「ようこそ、ツヅミ。今日からここが、貴女の家よ。
　私の大切な仲間たちを紹介するわね！」

　妖しい広間の中央で、桃色の兎娘が、両手を大きく広げながら誇らしげに云った。

急に樹里の話す言葉を口にされれば、慌てたように口元を手で隠す。
こっくりさんではない、と言われれば失礼な事をしただろうかとやや慌てた様子であり。
——ただ、残念ながら、オカルトにあかるい方ではないのか、狐霊の類とこっくりさんの違いはわからなかったらしく、首を、捻った。

確かに自分が身につけているのはセーラー服であっている。
と、いうか正確にはまともに着れる服がこれしかないのが現状であるからなのだけど。
自分の服の上に手を置いて軽く撫でた後、ひとつ、頷き。

……頷きついでに、少しばかり、また妙な誤解をしてしまったようではあるが。
こっくりさんといい、今といい、無意識に失礼だ。

ふんすふんす、と鼻から息が出そうなくらい得意気だ！

そう、呟いて。

同族。その言葉に、ぴくりと鋼の腕が動いた。

数度、頭を振って。

自分の人生だと、自分だけの人生だと。
そう、ツヅミから言われて。

拳を、握りしめた。

そう言うと、ぐぐっとポーズを決める。

ラーフィーの肩に陣取ったセレスは、はぁ・・・と一つため息を吐いた。

寝ていた‥・・という部分でセレスとラーフィーが顔を合わせる。

睨みつけるような目に一瞬なり、すぐに戻る。そして、目を閉じる

目を閉じたまま、口も閉じる。

（相手の苦笑は知ってか知らずか。表情は幾分楽しげに、席について相手を見遣る。
妖精は席には着いたが気を遣ってなのか姿勢を正しているようだ）

（肩を竦めると、さらりとメニューへ目をやってその隅をウエイトレスに示して２つ、と告げる。
彼女は少し目を開いたが、畏まりました、と頭を下げて奥へと下がり）

（真面目すぎて柔軟性が必要ね、妖精らしさもあんまりだけど、と付け加え。不服そうにむっとした妖精だったが、続く彼女の言葉を効くと一瞬さっと表情を青ざめかけ）

（抗議の声を上げながら鼓を睨む妖精。金髪の娘はそちらに向けてくすりと笑ってみせてから、少し顔を引き締めて）

（少なくとも今のツヅミちゃんみたいな可愛さと面白さはないわね、と付け加え）

2人揃って宙を踊る狐火を見つめている。

一筋の疑問点。一瞬それについて考えようとしたが…。
すぐさま首を左右に振った。

特に含みのようなものは見せず、笑顔で答えていく。

それだけ言うと、ハルは目を閉じて何かを考え始めたようだ。
自らの胸に手を当て、静かに呼吸をし続けている…。

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相変わらず何とも言えぬ笑みを浮かべているツヅミに対し、トガノは柔らかめの物腰で応える。

普段と異なるツヅミの着物姿は彼女の姿を色艶やかに映す。
そして普段よりもどこか積極的な彼女の姿勢に内心喜びを感じながらも…幾ばくかの疑問がないわけではなかった。

ハルと一緒に会話していた時には口に出さなかったこと。
それは『呼び方』。
言葉自体は同じだ。ただ、トガノにはそれがどこかイントネーションがまちまちなものであるように思えた。

そんなことを考えているうちに、ツヅミから発された「エスコートしてくれ」との言葉。
普段よりしおらしいその姿を無碍にするのも勿体無い。そう、考えた。

胸元に当たりそうな位置の腕に多少の気を取られつつ。
取られた腕をそっと引き寄せ、そのままツヅミの身体を自らの横へと交差させるような形で移動させる。
そして反対の腕をツヅミの背中から肩にかけて回し、力を入れすぎない程度にきゅっと支えた。

知ってか知らずか。
トガノの口からは普段とは違う口調の言葉が漏れ出ていた。