もうひとつの人生を

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　眼前には荒野が広がっている。

　寂しい場所——…と思う以前に、とても驚いてしまう。
　遠目に見るだけでは判らない、想定以上に広い王城内の風景に。

　荒野を見つめる私の隣には、眼鏡を掛けた優男が座っている。
　彼には尋ねたいことがあった。
　故に呼び出したのだ。こんな事をやるのは彼しか居ないという想定の下に。

「最近、貴方たちを行使するときの負担が軽い気がするの。貴方の所為かしら？」

　単刀直入な質問に、レイフは笑って頭を掻いた。
　気付いて貰って嬉しいと言わんばかりの照れ笑い。

「お気づきでしたか。気付かれないよう行ったつもりでしたけど」

「あら、私の目は節穴じゃなくてよ。
　……いったいどんな手を使って“生命力”の負担を和らげているのかしら」

　照れている人狼というのは、どこか滑稽で薄気味悪く見えるものだ。
　その血に肉食獣を宿す男達に照れ笑いなど似合わない。
　しかし、レイフに限ればそうではない。女性的な面立ちも相まって、妙にかわいらしく見える。
　それらを全て押し隠すように、彼は小さく咳払いをつく。

「僕を成すエンブリオは、受け取った生命力を蓄積し“肉体の補修”にあてるのが定石です」

「頂いたものをそのまま使っているだけでも問題はありません。
　ただ、ほんの少しだけ——生命力を節約して、同じだけ効果を発揮できないかなと模索していたのです。ずっと」

　僅かに差し出した右腕に雷光が走る。
　僅かな間だけ、相手を感電させて動きを鈍らせる技。

　そうして、はっとする。
　彼がこの技を使っても、他の技のように倦怠感を感じることはないと。
　彼はこの雷を、私から生命力を得ずに発生させているのだ。

「そうです。これが答えです。
　効率よく力を変換し、余分な生命力を蓄積する術を学びました。
　更に、貯蓄した生命力を増幅することで、何時でも貴方を助けられるようにしました」

「言うなればギフト——でしょうかね？
　レディが僕に与えた生命力を“僕への投資”と見立て、運用した結果の“利子”をお返ししている訳です」

　与えられた武器を最大限に生かすのが傭兵だ。
　傭兵の中にあって、彼だけは徹底した費用の圧縮に努めていたのだ。
　圧縮するだけでなく、運用して増やす術まで考えついたのだ。

「まあ、見事に商人らしい考えなのね！」

「ヴォルフスムーン屈指の織物商、タッカー家の生まれは伊達ではありませんよ」

　そうして、事実は諸刃の刃でもある。
　彼の生来の才能は、数学と経済学・社交界での立振舞とに偏っていた。
　傭兵としての才は全く無いというのに——無くても良い商才だけは、非常に高いレベルで保持していたのだ。

　現実は彼も知っている。
　先ほどまでの笑顔は消え失せ、救いがたいほどに惨めなため息を零す。

「人狼としての僕は弱い。軍職も金で買っている。実力で手に入れたものじゃない。
　それでいて、僕は人狼であって人間ではありません。
　姉の縁談を何件流したか判りませんよ。商家を継ぐ権利すら存在しない。僕が人狼だという理由で」

　深い傷跡を隠すように肩を抱く。
　ここは枯れた土地。寒くもないのに、両肩をふるわせて。

「かつての僕は何の役にも立てなかった。此処に居ながら、何処にも居場所は無かったんだ」

　僅かな沈黙。
　肩を抱く手はほどかれ、決意にきつく握りしめられる。
　人狼らしからぬ甘い容姿を、最大限に人狼らしくぎらつかせて。

「ある意味で、僕は今が一番幸せなのかもしれない。
　貴方のお役に立て……ひいてはそれが、パック全体の幸いに繋がるでしょう。
　僕ははじめて、僕の力を認めて貰える機会に恵まれたのです」



「レディ・ロル。貴方に再び出会え、この僕を使って下さって……本当に良かった」



　かつての彼は全てを望んだ。
　けして埋まらぬ溝を埋めようとし、けして崩せぬ壁を壊そうとした。
　そうすることでしか、彼は自分の存在理由を見いだすことが出来なかったから。

　彼はようやく手に入れた。彼が“誰かの為に生きられる人生”を。
　それが死と権利の放棄によって得た“エンブリオ”としての生であったとしても、彼は表立っては嘆かない。

　　　　　　アナザーライフ
　彼のもう一つの人生はこれから花開いていくのだろう。
















デズモンド・オーエン。

“一匹狼”と呼ばれる人狼が居る。
パックには属さず、単身で生きることを選んだ人狼のこと。

デズモンドは一匹狼だった。
人狼パックではなく、イーストエンドに生を受けた彼にとって、最も近しい存在は人間だった。
人狼と校正術士が闊歩する世界に於いて、ただの人間に望める力は微々たるもの。
彼らの用心棒として、デズモンドは刑事となった。

彼は人間を愛し、人と共に歩み、人として生きようと考えていた。
しかし、人は彼を化け物としてしか見なかった。

おぞましい“殺人事件”の始まり。
殺されたのは女達。
うら寂しい過去と涙とを化粧で隠し、我が身で日銭を稼がねばならかなったもの。
彼女たちは、彼を同胞の様に扱い、時に犯人の確保に繋がる重要な情報をもたらしてくれた。
彼にとっては家族のようなものであった。

彼は死力を尽くして戦った。
“家”であるイーストエンドを荒らし、女達を殺す敵を仕留めるため。
寝る間も惜しみ、凍える夜も街頭を見張り、ただただ犯人を追って戦い続けたというのに！
彼の努力は、彼自身を犯人に仕立て上げる材料にされた。
人狼で、大男で、イーストエンドの生まれで、事件の晩に“獲物を求めて徘徊していた”という理由で——。

証拠も、彼の功績も、描き出されていた犯人像も。
彼が“人ではない”という理由の前に、何も意味も成さなかった。



オーエンは傭兵だ。
恵まれた身体能力とヤード時代の経験とにより、他に換えが効かぬ優秀な兵士。

エンブリオとして目覚めた彼は、他の誰よりも屈強な肉体を得た。
数多の刃、鉛玉すらものともしない、鋼のような肉体を。
彼が本当に守りたかったものは、全て彼の手を離れていった後だというのに。

砂地へと進路を取った一行を、うだるような猛暑が襲う。
あまりの暑さにへたばっている仲間と、馬車を引くラファーガの体調を考え、考古学者はパチンと指を鳴らしてウンディーネを呼び出した。

出てきたものの、攻撃すべき敵が見当たらないことに首をかしげていたウンディーネだったが、カーライルの指示を聞くや否や、嬉しそうに頷いて丸い塩水の玉をみんなの口に向かって放り投げ始めた！

恥じらいもなく馬車の中央でぐでーんと両手を伸ばして仰向けに寝転がってうだっている。と
突如ししょーのエンブリオである水の女性が塩水をぶん投げてきた！

べしゃん

駄目でした。

哀れ、塩水漬けになった社長夫人。
隣に座っていた老貴婦人は、彼女の身に何が起こったのか理解できていないらしい。
旧式の銃を抱えたまま、困惑しきった様子でうろたえていたが——。

突然、黒い毛並みの狼が現れる。
老貴婦人の銃をひったくると、目にも留まらぬ速さで馬の影へと走り込んだ！

馬を盾にしてもなお気は休まらないのだろう。
鋭いはしばみ色の瞳は、しっかと水精霊を見張っている。
何が飛んでこようとも逃げる腹積もりなのだろう。筋肉はこわばり、姿勢を低く取っている。

困惑しきった老貴婦人。
質問を投げつける前に、塩水の塊が叩き付けられたのは言うまでもない。
シルクハッドを取ると濡れ犬みたく顔を左右にふるわせた。
そうして気付く。

海を知らぬ老貴婦人は、塩辛い水に驚いている！

一同が騒ぐ様子を振り返ることもなく、笑い声混じりで御者台から注意を促せば

一方、二頭立ての馬の片割れ——ラファーガは面倒くさそうな視線を遣すと
丁度影へと回り込んだ狼と、騒動に対しても鷹揚に笑う主人を守るように風の膜を張った！

王についての考古学者なりの意見を述べるが、老婦人が亜人について言及しているのを聞きつけて、

墳墓の探索に連れて行って欲しいとの申し出に、

しょげる老婦人を気遣いつつ、基礎からと聞かれると、

考古学者ならではのアドバイスを伝える。

ウンディーネは水の塊をふわふわ浮かべたままキョトンとしている。

頭からずぶ濡れになって、程よく塩水がヌルく嫌な温度になった状態で馬車から出てくる。

再び真水の水玉を構えている彼女に思い切り☓マークでジェスチャーしている！

身振り手振りで止めるように懇願している！
ただし、受け取りようによっては“後にして”と言っているようにも聞こえてしまうが。

今はまだ、濡れていない運び屋は特に気にすることなく笑い飛ばしている！

どうやら海水ではなく、ミネラルウォーターなら喜ばれるとようやく気づいたウンディーネは再び張り切って水の玉を作り始めた！

べしゃん

本当に戦闘終了後に頭から真水を浴びて、砂と塩を洗い流されていた。