「この毒は貴様を死に至らしめる……」

仕込針を手にイリス達の前に立ちはだかった黒ずくめの女は低い声でそう呟いた。
既にイリスもマオもその毒とやらの効力を嫌というほど味わっている。頭が重く、気を抜けばバランスを崩してしまいそうだ。
こんな感覚にイリスは朧気ながらに心当たりがあった。
３歳ぐらいの時だ、風邪を引いて高熱を出した事がある。その時の感覚にこの毒の効力はそっくりだと。

「やってくれるわね」
「暑いー！　くらくらするー！　最悪ー！」
「ふん」

当然ながら気分のいい物ではない。長時間この毒に侵され続ければこの過酷な環境下だ、倒れるのはそう遠くはないだろう。
だが、こちらが不利とも言い難い。

「……ぜぇ……ぜぇ」

冷酷に振る舞おうと頑張る黒ずくめの女も、明らかに息が上がっている。限界が近いのだ。

「敵体力、僅かです。押し切りましょう！」

未だ一度も攻撃を受けずに司令塔として君臨するアエレアの力強い声に、イリス達の身体に活力がみなぎる。
マオに目配せすれば彼女も何をすべきかは承知しているようだった。
次の瞬間二人は全力で地を駆り、挟撃を仕掛けていた。

「でぇぇぇぇぇい！」

先に仕掛けたのはマオだ。砂埃を上げ力強く跳躍、全力で駆けたその速度をそっくりそのまま身体に乗せた飛び蹴り——ドリルキックを見舞う。

「くっ！」

間一髪黒ずくめの女は直撃を避けるが、無理な回避に足がもつれた。

「っ！？　がぁっ……！！！」

その隙をイリスは見逃さない。
首筋に容赦なく鞭の先端を叩きつけ、怯んだ黒ずくめの女の腹に蹴りを二度見舞う。
ぐらり、と女の体が揺れた。

「貴女の負けよ」

トドメとばかりにその体に背後から絡みつき、女の首筋を腕で思い切り締め上げる。

「チョークスリーパー！」

アエレアのそんな実況を受けつつ、イリスは力を込めた。
狙うは頸動脈、たとえ子供の細腕であろうが、完全に入ってしまったそれは最早体躯の差など関係無くしてしまっている。

「ぐ……ぅ……！」

ばしばしと締め上げる腕を女に叩かれる。だがイリスは緩めない。
それがギブアップの合図などと露ほども知らなかったし、たとえ知っていても緩める道理は無いと無慈悲な判断をしただろう。

「炸裂させましょう」
「——！」

それはアエレアも同様だったらしい。
LBC-ブラック・ロータスの銃口を向けた先は、黒ずくめの女の鳩尾。
重い炸裂音が響き、過剰に女の体が跳ねた。
流体のままの弾丸が女の体を起点に飛び散る。
アエレアの慈悲、というわけではない。
同じ人であるからこそ不殺の指示が予めイリスから下されていただけの話だ。

「——」

女の体が、崩れ落ちる。

「……え、っと……」

ロイがやや戸惑うが、せっかく準備した詠唱を潰すこともあるまいとダメ押しのボロウライフ。

「その生命よ、ここに——」

多少の被害こそ受けたものの、終わってみればイリス達の圧勝だった。
やや、過剰に叩きのめしすぎた感があるほどに。


「……すみませんでした……ちょっと調子乗ってました……」

軽い気絶から回復した女はすぐさまかしこまった姿勢で地面に座り込むと開口一番、降伏の意を表していた。
トキサメと名乗った女は更に懐から箱を取り出し、中身を開けてみせる。
そこには宝石が詰まっていた。
イリス達もよく知るパワーストーンの欠片、それもかなりの量だ。

「これで……ゆるしてください……」

イリス達のパワーストーンにその輝きが吸収され、そっくりそのままイリス達は一財産を手に入れたことになる。
思わぬ収入に驚きつつも、イリスはトキサメの手当を続けてやりつつ聞いた。

「別に命までは取らないわ。……貴女此処で何をしてたの？　探しもの？」
「いえ……あ。もしかしてここに用ですか……？　地下牢への隠し通路ですけど……」
「え？　……わ、ホントだイリス！　階段があるよ！」

トキサメの指さした先を目を凝らしてみれば、階段が見えた。
巧妙に隠されており、指差されるまで存在すら知覚出来なかったほどだ。

「こんなところに……」
「あの、そろそろ……」

階段にしばし視線を釘付けにしていると、トキサメはそそくさと立ち上がりその場から離れようとしていた。
最初の高圧的な態度がどこへいったのか、おどおどしていて見ているこちらが罪悪感を感じるほどだ。

「もう？　怪我は平気なの？」

イリスが少し大きな声を背中にかければトキサメはびくりと震え、ぎこちなく振り返りやんわりと苦笑を返す。

「あ、はい……私は、あっちなので……はい、それじゃ……」

とぼとぼと歩き去っていくトキサメにこれ以上声をかけることも出来ず、イリス達はそれを見送るしかなかった。


完全にトキサメの姿が見えなくなったあと、イリス達は階段を前に議論を続けていた。
議題は一つ。このまま階段の中に躍り込むか否か、である。

「あまり探索の手が入っていないだろうから、先行すればなにか有用な発見も多いかも」

という意見で地下牢への探索を推すのはマオとイリス。

「此処と変わらない過酷な環境が予想されるから、一度準備を整えてからでも遅くはない」

という意見で、一度この場から離れたエリアでの準備を提案したのはロイだ。
どちらも理はある、本来なら平行線を辿る議論になりかねなかったが、それを一刀両断したのはアエレアだ。

「ミス・ゼペット。このエリアからの撤退を提案します。貴女のモニター数値が警告レベルに達しました」
「……思ったより早いわね」

この砂地エリアの探索を始める際にイリスがアエレアに頼んでいた、撤退の進言が此処で発動したのだ。
解毒剤はトキサメから奪い取って使ったものの、まだ頭の重さが抜けないのは、どうやら体力の消耗のほうが原因だったのだとイリスはそこで初めて気づいた。
探索を始めて二日目の出来事だ。かなり注意を払って来たものの、それでも７歳という幼いイリスにとっては此処が限界のようだった。
それならばとマオは意見を取り下げる。

「じゃ、避難避難！　涼しい場所に行こうよー。イリスにもしっかり休んでもらわないとね！」
「森がここからだと一番近そうだ。そこにしようか？」

トントン拍子で決まる方針に、勿論イリスも口を出す気はない。

「そうね。……あたしが言い出したことだし、守らなくては示しがつかないわ。森へ避難しましょう。アエレア、助かったわ。ありがとう」
「もったいないお言葉です、ミス・ゼペット」

一行は曠野を離れ、森へと向かう。


道中イリスが考えるのは、エンブリオの事だった。
曠野にて打倒し契約を果たしたザントマン、フィンのことは記憶に新しい。
そして契約した途端彼の姿も声も無くなってしまった事にショックを受けたのも、一日明けた程度で癒える傷ではなかった。

「さっきのイリスすごかったねー。あんな技まで使えるなんて。びっくりしちゃった」

だが、落ち込むばかりの悪いことではない。

「あれは……あたしも、知らない技よ。習ったことなんて無いわ。でも……」
「でも？」
「……多分、フィンのおかげだと思う。彼と契約してからよ、あんな動きができるようになったのは」

彼と契約した事による新たな力の獲得、それをトキサメとの戦いで既に発揮したのだとイリスは確信していた。

「物理的に相手をおねんね……っていうのは、文字通りの意味だった、ってわけか……」
「頸動脈を圧迫、強制的に意識を遮断する技術。確かに言葉通りの意味です」
「契約の成果はバッチリ出てるってことだね！　後は見て、話せるようになるだけじゃないイリス！　もう少し！　大丈夫、エンブリオの方も、今もイリスになんとか気づいてもらおうって頑張ってるよ！」
「風、よね？」

砂粒混じりの風は、だんだんと木々の香りを含む物へと変わり始めている。
優しくそよぐそれがマオ曰く、イリスと契約したシルフの仕業であり、今も傍に居る。

「……うん。早く、この世界に……魔法に馴染みたいな」

確かに彼らの力を用いているのだ、契約は無駄ではない。寂しさを感じるのは拭えないが、絶望とするにはまだ早いし、そうなるはずがないとイリスは信じた。
いつか自分のエンブリオと話せる日を夢見て、イリスは奮起する。
みっともない姿は見せられない、彼らの主として相応しいだけの姿を、そのために強く、と。

従者のアリス以外にも従える者が増えたことにも気づいて。
それが重荷に感じない程度には、自分も成長したのかな、などとイリスは一人微笑んだ。

イリスの話を興味深そうに聞き。

亜人に感謝しているという言葉に嬉しそうに微笑み。
どうやらイリスの話はそのまま素直に受け止めたようだ。


→情報交換

謎の言葉を残して消えたサバスについては、記憶に留めつつも一旦頭の隅に追いやり。
水辺の兵士についてのイリスの感想に深く頷く。

残念そうに尻尾を力なく垂れ。

怪我しないように、という言葉には笑顔を返した。

イリスの話を聞いて少し眉を顰め。

とりあえず自分の忠言が受け入れられたことを感じ、ヒナカも一瞬だけふっと笑みを漏らすと、すぐに冗談っぽい笑みを浮かべて、

少し考える。そして、思ったままに言葉を返し始める。
▼エンブリオについて

また少し、考える仕草をして…

試してみないと分からないけどね。と、付け加えて反応を伺った。　どんな反応をするか、興味を覚えたようです。

▼服の作成

そう言いつつ、完成した服を差し出しました。

＞あなたの言葉に、アエレアは暫くの間反応を見せなかった。
　話を聞き流しているわけではない。イリスの言葉に対して、様々な逡巡を行っているようだ。
　例えばどんなところが違うのか。それに対する的確な答えをアエレアは紡げずにいる。
　だから沈黙を持って、イリスの言葉に思考をめぐらせているのだ。
　——あるいはそれはただの、真似事だったのかも知れないが。
　暫くの後、想い巡りの旅を終えた彼女は一言だけあなたに告げた。