ENo.9 ツィエルアーシャ・エロ＝サヴァーレン

バレンタインデーが来たと思ったらホワイトデーが来ていて。
いつの間にか桜まで咲いていたらしい。
らしい、というのは伝聞だからだけど。

「ツィーエーはさー、この世界の『狂い咲き桜』って見たことあるー？」
「アンジニティに桜なんてあるの？」
「そこから！？」

ジュコが言うには町はその噂で持ちきり。場所も『この世界の住人』ならば誰でも知っているのだそうだ。
しかしバレンタインデーは商店を見ればわかるが、桜が咲いたかどうかなんて簡単に判ることではない。

ジュコはのそのそと寝転んだ私の腹に乗り、上目遣いで首を傾げる。

「見に行っちゃダメ？」
「行ってもいいけどエミルを連れてくのはナシ」
「ぶぅぅーっ！！どうしてー？」
「人狩りに遭ったら危ないでしょうが。それにエミルは『縛られる者』なんだから」

世界の制限を軽くぶち破るくらいの能力は私もジュコも備えている。しかしエミルは違う。
この世界の条件に縛られ、簡単に動けない。今回のように移動が絡むと物理的に無理なのだ。
私の場合は本体を置いて分身を作る裏技で行けるけども。

「とにかく今回は不可。そうしたいんなら方法探してきなさい」
「ちぇー…こんなとこだけほしゅてきだよねツィーエって」
「当たり前でしょ。ああもうほら、枕になんなさい」
「むーむーむー」

真珠色の狐になったジュコを枕にしながら、ぼんやりと天井を見上げる。
この部屋に何十年、もしかしたら何百年いったかもしれない間、引き篭っていたせいか全く知らなかった。

ただ、桜の思い出はあるにはある。

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殺風景な小屋の中、ベッドの上。自分の黒い髪が面白くてずっと弄っていた。
好きなように色も長さも変えられると言われたけど、そんな急に変えなくてもいいかなーなんて考えてたと思う。

「あー…『ただいま』」
「おかえり。今日は鹿？」
「あァ。旨そうだろ？」
「女の子として同意したくないかなぁ、そこは」

小屋のドアを開くなり大きな鹿を投げ込んできたアイツは大きなナイフで解体を始めた。
ベッドから降りれば白いワンピースがふわりと舞う。肌と擦れてぞくぞくするくらい上等な生地。
それを汚さないくらいの距離で作業を見つめる。

「桜、見たことあるか？」
「桜？大昔に枝だけ…誰かのお土産で」
「本物はねぇんだな。なら丁度良い」

不意に声をかけられた。記憶を辿りながら答えると、アイツは軽く顔を拭ってにぃと唇を歪める。
血塗れの顔でそんな表情をするのはとりあえず置いておくとして。
綺麗にバラされた鹿、もとい食肉を部位ごとに別の大皿に放り投げるのはどうかと思う。
あーあー床が。床が殺人現場に。というかちょっとまだ動いてない？

「人食い桜がそろそろ咲く」
「またそんな物騒なものを」
「良いもんだぜぇ？守ってやるから安心しろよ」
「そうでもないと行くわけがないでしょーに」
「弁当持ってだな」
「いいから風呂入れ！あと床！」

……汗と血を流したアイツは予想以上に上手く、というかいつも通りムカつくくらい上手に鹿肉のフルコースを創り上げた。
大きなバスケットを下げた姿がシュールに見えるのは純粋に似合わないからだろう。
家庭的と言うより攻撃的。オタマより鉄塊の剣の方が似合うようなやつだ。オタマしか見たことはないけど。

「行くぞ」
「ん」

短い遣り取りの後、黙って手を繋いでくれる。すっかり慣れて握り返す余裕も出来た。
白いふわふわのカーディガンを着た私と真っ黒な不思議な服に身を包んだアイツは傍目にどう見えるんだろうか。

感慨に浸る間もなく、一瞬で景色が変わる。目の前に広がるのは白っぽい花が咲く樹。
一本しかないはずの大樹から大量の花びらが舞い散り辺りを覆っている。
他の木はやや小さいように見える。葉は茂っているから栄養不足じゃないと思うけど。

「へー…木だとこんなふうになってるのか」
「まだだ。近よんじゃねぇ」
「そういえば人食いなんだっけ？」
「あァ。見頃は夜中だな」

肩を抱き寄せられてよろめきながら見上げると赤い舌が唇を撫でるのが見えた。
野生的な仕草はこの空間にとても似合っていて、この風景にはまったく合っていない。

日の具合から見て恐らく昼過ぎなんだろう。結構暑い。
少し樹から遠ざかると、ある地点からぷつりと花びらが無くなっていた。
その辺りでシートを広げて二人で花を見上げる。陽の光と風が心地よくて瞼が落ちそうだ。

「寝てていいんだぜぇ？」
「うーん…じゃあ夕飯に起こして」
「わーったよ」

胡座をかいたアイツの脚に収まってもたれ掛かった。
お腹に左手が回され、右手を後ろについてリクライニングもどきのことをしてくれる。

穏やかな眠りから覚めたのは日もすっかり落ちた頃だった。むしろ夜中、なんじゃないかこの暗さ。
ぐっすり眠れていたのは私に掛けられていた大きな黒い上着のせいだろう。

「……待ってた？」
「キスならしたなァ」
「何をしたかとかしてるかを聞いたんじゃなくてね？…いいや、ご飯ー」
「ほらよ」

持ち上げられシートに置いたクッションに座らせられる。私が起きそうなのを察したのか既に準備がしてあった。
紙皿に鹿肉料理を取り分け、搾りたてのみかんジュースを飲みながら大樹の方を見る。
すると違和感に気づいた。

「色…変わった…？匂いもなんか……」

音もなく散り続ける花びら。その色が暗く赤くなっている、気がする。気のせいか甘い香りまでして。
地面を見れば一目瞭然だった。光に照らされた地面に薄紅と白のモザイク模様が描かれている。

「もっとすげえ色になるぜぇ？着ろよ」
「うぉぷぅ」
「ハハハハハッ」
「笑うな！」

幻想的な雰囲気を一瞬で叩き壊す黒衣と笑顔を威嚇した。癪だけど頭に被さった上着はちゃんと着る。
そういう気遣いだけは良く出来るというか、気持ち悪いくらいフェミニストというか。

守ってやるというのもやはり嘘ではなく、しっかり肩を抱いて、歩幅も合わせて、桜の樹の目の前まで連れていってくれた。

「おぉぉー…綺麗……桜って白じゃないんだ……」
「コイツはよく食うからなァ。――――来た来た」
「ん？何が？t」

私の肩を抱いたままアイツは樹の右側を指さす。視線を向ければ何かが…違う、人間が近づいてくるのが見える。
服と言うには粗末すぎる布を纏い夢を見ているような寝惚けているような顔でふらふらと。
影は全部で3つ。若い男と年老いた男、それと中年女性のように見えた。

「はぁ…あれが桜のメインディッシュ？」
「だな。もう近づいて平気だろ」
「桜に襲われないから？」
「そんなとこだ」

辛うじて樹の全景が見えるくらいまで二人で近づく。甘い匂いは濃厚になり件の三人は樹へと駆け出した。
枝の影に入ったくらいの場所立った頃だろうか。樹の枝がおそろしい勢いで下降した。
ぐねぐねと曲がり、広がり、私達からは逸れて獲物に絡み付き、植物とは思えない様相を呈する。

「枝、見てみろ」
「ん……なんか白いね」

茶色の普通の枝と白い枝が混在していた。どちらにも花が咲いているが性質が違うように見える。
白くてギザギザの凹凸、表面はそこまで滑らかではないようだ。
ふ、と頭に浮かんだ考えを肯定するかのように何かが落ちてくる。

「骨、かな、あれ」
「せーかい」

樹の上から落ちたのは動物の頭蓋骨。所々に穴の開いたそれは地面で砕けさらさらと風に溶けてしまった。
その代わりに獲物たちが持ち上げられる。枝から花が散り失せあたかも人の手のように覆っていく。

木、というか植物に師管、道管というものがあるのは知っている。
師管は栄養を、道管は水を運んでいく。この樹の場合はどうだろうか。

そんなことを考えているとあられもない悲鳴が聞こえてきた。

「麻痺毒とかそういうものでも使ってる？」
「まやく、っつーもんらしいなァ。人間のことはよくわからん」
「物凄く悪質な桜だってことは解った。これも進化ってことか。…………ところであの人達は何？」

体中に枝を食い込まされ肉を徐々に溶かされていく三人。粗末な布は何の防護にもなっていない。
持ち上げにくいのか手を足をバキバキと折り丸められてもその表情は恍惚としたまま変わらない。

「お前と同じだ」
「私と同じ？」

暗く光る血の色をした瞳が私を見下ろす。その暗い色を見てああ、と頷いた。
その間にも三人の体は萎み更に小さく丸められていく。

「ねえ、あの樹に何か…」
「時間だ。黙ってろ」

片手で口を塞がれた。私が口を閉じたのを確認し、その手は胸をなぞって腰に回される。
浮遊感を感じて視界が回るのと、三人の獲物が巻き上げられ枝の中に消えるのは同時だった。

「――たんじょうびおめでとう」
バキバキバキバキバキバキバキバキ

アイツにお姫様だっこされて桜と向き合う私。

桜は鮮やかで深い赤に染まっていた。

芳香は蠱惑的に誘っている。

「……あ　ありがと……」
「どーいたしまして。こういうの好きなんだろ？」

桜と同じ色の目が笑う。その顔に私の顔も桜色に染まった。
狂っている。目の前で恐らく多分いやきっと三人もの人間が死んだのにこうして

頬を染めてキスしてる

「やっぱり可愛いぜぇ、お前は」
「あ゛ー……そういうことにしといてあげるから下ろして」
「やなこった」

諦めて桜に視線を戻した。薔薇と言っても差し支えがないくらい綺麗な赤。
咀嚼音はまだ響いている。しっとりと濡れたような感触の花びらが体に貼り付く。
花に触れてみたい。口にしたわけでもないのにアイツは肩車してくれた。

「この樹って何か役に立つの？」
「こいつにも実が成るんだよ、真っ赤なのが」
「それをこの辺の国か街かなんかが欲しがるわけか」

頭が痺れるくらいの甘い香りを放ち、花びらは肉厚で生命力にあふれている。中央には僅かに蜜が染み出していた。
主食は多くの無罪の罪人。少々の有罪の咎人。
言われてみればこの周辺には何の生命の気配もない。鳥ですらも。

命を食って育つ生命の実。幸せな夢と夢中になる毒。

「うわっ？」
「よかったな。プレゼントじゃねーか」

今は花の時期の筈なのに赤い果実が降ってきた。
ジャケットの隙間、胸の谷間に収まったそれに形を保ったままの花まで降り注ぐ。

私が持つ桜の思い出。
狂って咲いた恋の夢。