ENo.2055 ノーレア=セラフ

いつから、ここでこうしていたのか……、もう覚えていない。ただ足をなげて座っていただけ。
大きな扉が開いた時、そこにいたのは……。

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ACT.1-1
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最初の記憶は、らくえん。
いろんな動物がいっぱいで溢れている所。

次の記憶は、白い靄。
立っているのは、シルエット。お母さんみたいな感じ。

三番目の記憶は、部屋の中。
がらんどうで、ベッドとラック、トイレぐらいしかない小さなお部屋。

そして、この小さな部屋から始まるのが”私”の記憶。

大きな扉が開いた時、そこにいたのは、同じぐらいの背丈のお人形。
ちょっとオドオドしてる感じのお人形は、どうしてココに居るのか分からない感じ。
私は、だらんと足を投げ出して長い髪に顔を隠した。興味が無いわけじゃないけれど、特別惹かれる事もなかった。

お人形「こ、こんにちは…」

気付かれないように、少しだけ髪の隙間から、目を傾ける。
その一言の後は、無音が支配する空間。お人形はじっと私を視たまま微動だにしない。返事をするのが億劫だった。

のーれあ「……なに」

でも、じっと見られているのが耐えられなくて、声をだす。でも長い間出してなかったソレは、風切り音となって、ヒューとしか私の耳には届かなかった。
お人形は何だか知らないけれど、私の声を聞いて、吹き出した。
私は、それが不思議で、顔を上げて、しっかりとそのお人形を視た。

のーれあ「…いまの、なに」

多分、今度はちゃんと言えた。風切り音じゃなくて、私の耳には確かに言ったように届いた。掠れていは居たけれど、私の耳に聞こえたんだからきっと相手にも聞こえたはず。
しばらくお人形は赤い眼を瞬かせていた。通じてなかったのかもしれない…。もういちど、問いかけようとした時。

お人形「わらったの」

通じていたらしい。その事に安堵して肩の力が抜ける。顔を外して、今の言葉を考える。
わらった…動詞。わらう…の過去形。
私には、わらうって事がどういった事を指すのか、知っているけど知らない。だから、次の質問をする。

のーれあ「わらうって…、なに」

今度はさっきよりもはっきりと、声になった。勿論まだ掠れているけれど、やっぱり長い間喋らないと、声は出なくなるものらしい。
お人形は、赤い眼をこちらに向けて少し黙ってしまった。答えを探しているのかもしれない。
しばらく待ってみたが、黙っている時間が長かったので、私は顔を元に戻して、投げ出した足を三角に折りたたんで抱えた。

視線を感じた。嫌に身体を舐める用に見られている。きっとあの赤い眼のお人形だ。
だって、外からココは見えないから。あの子しか居ない。一体何が不思議なのか。ただ、私だけを射抜く視線。
あんまり見られる事は好きじゃない。見られるのは白衣たちがいっぱいしてくるから、嫌な事だ。だから放っておいて欲しかった。そもそも、この子は私の部屋に急に入ってきて一体何様なのだ。

長い沈黙が、支配する。

『お人形さん』

沈黙を破ったのは、私じゃない誰かの声。この場所には、私と、あのお人形しか居ないから、きっと赤い眼のお人形が私に話しかけた。に違いない。

『あなたは、だぁれ？』

私を”だれ”と問う声。
私は私だ。でもきっとそういう事じゃなくて、多分、名前……。

りのあ「わたしは――りのあ」

のーれあ「私は、のーれあ」

声が重なった。何で、自分から聞いてきたのに、自分が先に答えているんだろう。お陰で聞き取りづらかったじゃないか。
でも、判った。お人形さんは、りのあという名前らしい。
りのあは、おっきな赤い眼をしている。白い髪をしている。ヒトの形をしている。

りのあ「ねぇ、のーれあ。ここって、どこなの。わたし、きゅうにつれてこられたの」

沈黙が破れたのを契機に、りのあが質問をしてきた。ゆっくり、普段動かさない頭を回していく。

のーれあ「…しせつのへや。じっけんたいは、ここでせわされるの」

白衣たちが言っていた言葉を繰り返す。思い出せたのは、じっけんたい…と、しせつ…と、せわ…という単語。
私自身、意味はよくわかってない。気づいた時からココにいるから、ココ意外の場所っていう所を知らない。りのあは、外から来てたから、何か色々知っているのかもしれない。

のーれあ「さっき、きいたこと……」

だから、さっきから待っていた答えを、聞いてみたいと思った。

りのあ「わらうってさ、たのしいってことなんだけど、わかるかな」

たのしい……。なんども言葉を反芻する。上を見ながら、下を見ながら。ずっと繰り返して繰り返して、考えてみる。
たのしい…と、わらう…らしい。

のーれあ「そっか……。へんなこときいてごめんね」

私はなんとなく理解した。きっと、言葉じゃ説明できない事なんだ。感じる…こと、感情。確かにそういう物は言葉で説明できないから、わらうって事もきっとそういう事なんだろうな。
……今度の、じっけんで、教えてもらおう。多分、頼んでもやってくれないかもしれないけど。

それから暫く、沈黙がまた続く……。

視線を感じる。なんてことはない、多分またりのあが私を見ているんだろうと思う。尻目に見ても、でもわらってないから、たのしいわけじゃなさそうだ。
特にやることは無かった。食事を食べて、連れだされて実験される意外は多分、何もない。
でも、りのあが前に居た所は、そうじゃないんだろう。なんというか……、ボーっとするのがヘタクソだ。

りのあ「たいくつじゃないの？」

のーれあ「りのあは、へたくそだ」

急に頭に痛みが走って顔を上げさせられた。髪を掴まれているみたいだ。
あぁ、打たれるのかな、って思った。白衣たちは、悪いことをした時は、打つ。どれが悪いことなのか分からないけど、でも、私は、りのあにとって悪いことしたのかもしれない。
不意に髪から手が離れた。私は、なんだかよくわからないけど、同じ事をしてやろうと思った。

のーれあ「いたかった……」

そういって、私は、りのあの髪を掴む。
やられたことをやりかえしているはずなのに、りのあは痛そうな顔をしない。
なんでだろう、なにか違うのかな……、間違えてるのかな。

のーれあ「いたくないの？」

りのあ「いたくないよ」

首を傾げる。なんで痛くないんだろう。だって、さっき私がやられた時は痛かった。

のーれあ「なんでいたくないの？」

りのあ「…そのまま、手を自分のほうに引いてみなよ」

言われた通りに、掴んだまま、自分の手を胸につけるように引く。

りのあ「いたたたたたっ！」

痛がった。私も痛かったんだから、これで一緒だ。またやられたら、やりかえせば一緒だ。

のーれあ「しかえし」

満足した。おんなじ痛みを、りのあと私で味わった。そう考えると、ちょっとむずがゆい。
でも逆に、終わりが無いなって思った。
りのあは今度は、髪を掴まないで撫で始めた。くすぐったい。

りのあ「ごめんね、いたくして」

のーれあ「うん、いたかった……、でもこれでいっしょだ」

痛いのは嫌だ。私が嫌なんだから、りのあもきっと嫌だ。でも一緒だからいい……よね。
初めての事だ。ヤラれた事が悔しくてヤリ返したのは。いつもは白衣に好き勝手にされるけど、ヤリ返したことは無かった。
なんだか、うれしかった。たぶん、こういう気持ちを嬉しいって言うんだろうな、と思った。
そして、多分、怒った理由も判ったから、謝らなきゃいけない。りのあも謝った。

のーれあ「ぼーっとするのが、へたくそってこと……だから、ごめんなさい」

りのあ「きにしてないよ…。じゃあ、どうやってぼーっとするのがいいのか、おしえてほしいな」

りのあの問いに頷いて、私は天井を見上げる。
正確には、背にしている壁に付いている小さい窓から差し込んでくる外の光……、の中に写る、小さな白い粒を、眺める。
光の道、キラキラと乱反射する白い粒は、何もしなくてもゆらゆらと動き、外からの光がなくなるまで、決して同じ動きをしない。それを眺めているのが、大好きだった。

りのあ「のえる」

のーれあ「なにそれ」

りのあの声をたどると、私を見ていた。まっすぐに、赤い眼で、折角ぼーっと時間を過ごすやり方を教えているのに、私を見ていた。

りのあ「ふれんちのことばで、えーっと……、たんじょう、っていみ」

たんじょう……、うまれたって事。何が産まれたのか知らないけれど、その言葉が、私を呼んでいる言葉なのはすぐ理解できた。

のえる「わかった、じゃあ……、わたしはきょうから、のえる、だね」

音が似てるから、特に違和感なんか無かった。
りのあは、私の隣にやってきて、腰を下ろした。そして、さっきの私と同じように、光の道を見上げるのだ。

りのあ「へぇ……、きれいじゃん」

のえる「でしょー？」

そのまま、りのあの胸に頭を預ける。
なんだかとっても、暖かかったのは、多分気のせいじゃなくて――。

赤い眼のお人形が、ノエルと私を呼んだ。
だからこの日が、”私”の誕生日で――、この日から始まるのが、”私”の記憶。