ENo.1828 霊夜　代

――およそ、11年前。運命の日。

一年前からずっと、剣は習っていた。
上達するのはかなり遅かったが、それでもリンは普通に剣を振るうぐらいには進歩した。

今晩も、剣の稽古。
そう思って、修練場で待っていた。

しかし、騎士団長はいつまで待っても来なかった。

今まで遅刻など一度もしなかった。
逆にリンが遅刻したり、忘れていたり、怒られたり……そんな事があったのに。

今日に限っては、騎士団長は来なかった。

流石に不安に思ったのか、リンは修練場から出た。

王宮の中は暗く、広く……静かで、誰も居ない、虚無の空間。
リンは不安に思いながら、騎士団長の部屋に訪れた。

部屋の鍵は、かかっていた。

きっと寝てしまったんだろう、起こしてやろう……と、以前から隠し持っていた鍵を取り出す。

この鍵は、以前騎士団長の部屋の鍵を借りた時に気紛れで複製した物だった。
時折部屋に忍び込んでは昼寝をしたり、嫌いな人から隠れる為に使っていた。
勿論、騎士団長には無断な上にばれてもいない。

きっと驚くだろう、その後は遅刻した事をどうやって叱ってやろう……
そう悪巧みをしながら、ゆっくりと鍵を開ける。

扉を開き、見た物は……

「……誰、だ…………！？」

「ひっ……！」

リンは驚き、その場に崩れてしまった。

部屋の中に居たのは、血塗れの騎士団長。
左手には剣、右手には血、頭には血、足にも血……

全身が真っ赤だった。

「……り、リン様…………？」

「ろ、ロウ……だ、大丈夫？　な、何があったの……？」

「……い、え……何でも…………」

それだけ言うと、騎士団長は倒れてしまった。

リンは訳が解らなくなっていた。
騎士団長がどうしてこうなったのか、一体何があったのか。

そして、混乱しながらも一つだけ、やるべき事を見出す。

「て、手当て……しな、きゃ…………！」

応急処置の方法は以前学んだ。
しかし、この部屋には道具が全くと言っていいほど無かった。

仕方なく、ベッドのシーツを何枚も重ね、その上に騎士団長を乗せた。
そして、そのシーツを引き摺る様に、一生懸命に引っ張った。

目指したのは、自分の部屋。
下手に他の部屋に行くよりも、道具がどこにあるかがすぐに解ったし、暗くても道が解るからだ。

数十分かけて、騎士団長を自分の部屋まで連れてくる。
そして棚から救急箱を取り、大急ぎで止血をする。

傷は深く、自分の処置だけで大丈夫なのか心配になった。
それに血が大量で、いくら水と布があっても足りなかった。

……それにしては、血の量が多いような気がする。
まるで……他人の血も被ったかのように。

こん、こん。

この緊急事態に、誰かが部屋にやってきた。
こんな夜中に？　一体誰が？

リンは不審に思いながら、扉越しに声を掛ける。

「……誰です？」

「……大臣の、クロンです。リン様、緊急事態でございます。」

大臣の一人だった。
あまり話をしたことがないが、冷たい人だという印象が強く、リンも嫌っていた一人だ。

「……緊急事態って？」

「はい、決して驚かないでお聞き下さい。」

もう十分、今日は驚いている。これ以上に驚く事なんて無いだろう。
リンはそう、思っていた。

「……国王様が先程、殺されました。」

「え……？」

国王様は、リンの父親。
実の父親が、誰かに殺された。大臣はそう告げた。

「な、何かの間違いでしょう……？」

「いえ、事実でございます。」

「そんな、お父様が……！？」

そこまで言って、リンは涙が溢れて何も言えなくなった。
あまり一緒に居る事は無かったが、リンにとって唯一の家族だったからだ。

「……リン様、お気を確かに。」

「……だ、だいじょう……ぶ、です。」

「……犯人は未だに捕まっておりません。王宮内を逃走中ですので、しっかり戸締りを。」

「そ、そう……」

父親を殺した犯人。憎い。一体、誰が父を殺したのだろうか。
リンは抑えられない強い感情に耐えながら、大臣に尋ねた。

「……誰？　お父様を殺した、犯人って……？」

「はい。騎士団長である、ローランド氏です。」

「えっ……！？」

おかしいと思っていた。

血が、あまりにも大量すぎた。
だから、誰かの血を被ったんじゃないかと思った。

そして、それが、父親の血だったとしたら……

「……リン様。奴はまだこの辺りをうろついているのです。見かけたら、私にお知らせ下さい。」

……扉を開いて、引き渡す事も出来る。
そうすれば、憎き犯人は裁かれるのだ。

「……今日は見かけませんでした。そうですね、見かけたらお知らせします。」

リンは口調を変えずに、大臣にそう告げた。

「はい、それでは……」

大臣はそう言うと、扉の前から去っていった。

リンはそのまま、自分の部屋の、物置部屋を開いた。

この場所はあまりにも散らかっている事で有名だった為、他の者も滅多に開こうとしない。
リンにとっては、非常に好都合だった。

足元の邪魔な物を足で適当にどける。
ベッドから綺麗なシーツを何枚も敷いて、簡単な布団を作った。

そして、騎士団長をその場所に寝かせる。
物置部屋の扉を閉めて、また応急処置をした。

「……リ……ン、様…………」

その甲斐があったのか、騎士団長はゆっくりと目を醒ました。

「ロウ、良かった。気が付いたのね。」

「……こ、こ……は……物置、ですか…………」

「ごめんなさいね、整理整頓しなさいって言われてたのに、怠けてたの。」

「そう……ですか…………」

騎士団長の顔が、少し穏やかになった。
リンはそれを見て、少しだけ笑ってしまった。

「ロウ……一体、何があったの？　どうしてこんな事になったの？」

リンは静かな口調で、騎士団長に尋ねた。

「……リン様の……稽古をしに……行く途中で…………国王が…………ガハッ！！」

「ろ、ロウ！？　だ、大丈夫！？」

リンは騎士団長の身体を少しだけ起こし、ゆっくりと水を飲ませた。
そして、二人とも暫くは黙ったままだった。

「……ロウ。命令です。正直に答えなさい。」

「……な……、でしょう……か……？」

「……お父様を殺したのは、誰？　嘘は絶対に許さないから。」

「……。」

重い重い、静寂。そして、ゆっくりと語りだした。
この日に一体何があったのか、彼の口から少女は真実を知る。

その日から、少女の戦いが始まる。