ENo.1828 霊夜　代

――およそ、12年前。

「ねぇ、ロウ。」

「何でしょうか、リン様。」

リンはまた騎士団長の部屋に訪れていた。
何かあるとすぐに部屋を抜け出し、騎士団長の部屋に隠れる。それが二人の中で普通になっていた。

「私、剣を習いたい。」

「……はあ。どうしたのですか、急に……」

「だって、勉強はつまらないんだもの。だから剣を習いたい。」

「はあ……」

お姫様の我侭に、騎士団長は困り果てていた。
そしてこの様な我侭も、二人の中では普通になっていた。

「先月、楽器を習いたいと言って……一月も持たなかったではないですか。」

「だって、音楽って面白くないんだもの。先生が悪いわ。」

「はあ……」

一週間ほど前にリンが『いらないからあげる』と言われ、仕方なく騎士団長が部屋に飾ったトロフィーを見ながら会話していた。

リンは、飽き性だ。
ただし、飽き性と言っても『出来ないから飽きる』訳では無い。

勉強も、社会に出るには問題無いほどの知識を既に得ている。
楽器も、別国で先週行われた大会で優勝するほどの腕前を得てしまった。
他にも料理や、演劇や、パズル作りや医学まで。

リンは、驚異的な天才だった。
しかしそれも彼女の中では普通であり、すぐに飽きてしまう。

なので、彼女には趣味が無い。
趣味と言えるほど、打ち込めるものが存在しなかった。

「だから、剣術よ。剣なんか何したらいいかわからないもの。」

「はあ……しかし、剣は…………」

「大丈夫よ。私、運動はそこまで得意じゃないの。だから飽きないわ。」

「はあ……解りました。では、良い講師をお呼び頂くように、国王に……」

「何言ってるのよ、先生ならここに居るじゃない？」

「………………はぁ。」

そして、騎士団長が酷い目に遭うのも、二人の中では普通になっていた。

しかし、騎士団長も暇では無い。
普段は国王や王宮の護衛任務があるし、第一修練場は常に兵士達が使っている。
第一、姫様が騎士団長と剣の稽古など、前代未聞である。

騎士団長の時間が空いており、そして修練場に誰も居ない。
それら全てクリアするのは、真夜中しか無かった。

リンは夜、誰も居ない時間帯に部屋を抜け出した。
修練場に行けば騎士団長が待っているはずだから。

夜の王宮は、とても静かだ。

街に行けば、夜は成仏していない霊で溢れており、ある意味で賑やかである。
しかし王宮では何故か霊が一体も居ないので、非常に静かだ。

リンはこの事を『お父様が頑張ってるから未練がある霊が居ないんだ』と一人で納得している。
しかし夜の王宮は何も無いからこそ、不安に感じる何かがあり、リンは夜の王宮を好ましく思っていない。

リンは小走りで修練場に向かった。
一刻も早く誰かに会いたいと思って。

修練場に着くと、騎士団長が練習用の木刀や防具を用意して待っていた。

「……遅いですよ。」

「そう？　まあ気にしないで、女の子には準備に時間がかかるものなんだから。」

「……はあ。」

そんな、いつものやりとりをして練習を始める。

「良いですか、剣の持ち方は……」

「こ、こう？」

「違います、だから……」

「ちゃ、ちゃんと言われた通りにやってるわ……！」

騎士団長は丁寧に、ゆっくりと剣の持ち方を教えた。
しかしリンは持ち方も構えも振り方も、全てが上手くいかなかった。

『運動は得意ではない』というのが真実だと証明された瞬間だった。

「何よ、こんなの……相手に振り回すだけでいいじゃない。」

「駄目です。基礎が出来てない者に応用は出来ません。」

「だ、だって……」

「ほら、私が支えますから。こうやって……」

「あっ……」

騎士団長はリンの手を支えた。
二人の距離が、一気に近くなった。

その瞬間、リンの顔が真っ赤になったのだが、悲しいことに騎士団長は全く気が付かなかった。

「……少し、休みましょう。休憩も大事です。」

「そ、そう……ならいいわ、休みましょう。」

そう言って、二人は部屋の壁に寄りかかるように座り込んだ。
リンは息があがっていたが、騎士団長はいつもと同じように座り込んでいた。

騎士団長の任務は、意外と忙しい。
兵士の仕事に加え、兵士全員の事も理解し、緊急時に対応しなければいけない。

昼間はそんな事をしているのに、空いてる時間はお姫様に時間を費やす。
今も、昼からずっと休んでいないのに、いつもと同じ表情で座っていた。

リンはその事に、少しだけ負い目を感じていた。

「ねぇ……」

「何でしょうか。」

「……ごめんね、私の我侭で。」

「……解っているのなら、今後は少し落ち着いて下さい。」

「う……ん…………」

リンはそっと、騎士団長の手を握った。

「リン様……？」

「……嫌いに……ならないでね。」

「……こんな事で嫌いになっていたら、先々月に雪山で遭難しかけた時に嫌いになっています。」

「う、ん…………」

本当は、そういう意味で言っているのでは無かったのだろうが。
騎士団長にはこういう事には、とことんまで疎いようだった。

リンは何かを言おうとしては止め、言おうとしては止め……を繰り返していた。

そして、何か妙案を思いついた様だった。

「……決めた。私、貴方の事を絶対に護ってあげるから。」

「……いきなり、どうしたのですか。」

「……いつも、我侭聞いてくれたお礼。いつか、私の剣で貴方の事を護ってみせるから。」

「それは、騎士である私の役目……」

そう言いかけて、言葉を止める。
そして、言い直す。

「……そう、ですか。そうしていただけると、有難いです。」

「うん。護ってあげるから。」

騎士団長としては、それはいつもの、『すぐに飽きる約束』だと思っていた。
だから騎士団長も、約束の内容は気にしなかった。

少女も、この約束は軽い気持ちで言ったつもりだった。
騎士団長の事が好きだと言えないから代わりに言った、冗談みたいなものだった。

この約束は十年以上も長い間、守り続けられる事となる。