ENo.2298 雛神由依

勢いよく降り下ろされる剣。
風を切る音さえない、洗礼されたそれを後ろに跳んで回避する……って言うか、

「確認したいんだけど」

「何か？」

「貴女の目的て私の捕縛よね。その勢いでそんな痛そうなものに当たると死んじゃいそうなんだけど？」

彼女は一瞬きょとんとした顔をしたが、直ぐに微笑む。

「別に意識があろうがなかろうが関係ないわ。動けなくして本部へ持って帰れれば良いんだし」

うっわ、天使みたいな笑顔でえげつない事言うわね。悪魔だ、この子。この笑顔詐欺。

「それにあなたなら……」

そう言いながら剣を構え直す。

「脳天から切り伏せてもどうせ気絶するくらいで死なないでしょう？」

私の体が超合金で出来てるとでも思ってるのかしら。
ナマモノです！……あ、違う訂正、女の子特有の柔らさです！

「まったく。どうせ今くだらない事考えてるんでしょ」

「心外な。この状況を打破するために思考してたところよ？」

……私の周りは何で私の心を簡単に読みやがりますか。サトリなの？みんなサトリンなの？
あ、私がサトラレの可能性もあるか。

「――って！」

馬鹿なこと考えていたら右肩を狙う鋭い突き。
あっぶな！遊んでると五体満足で帰れなくなっちゃう。
ふー、軽く気を引き締めますか。

「まったくうかうか考え事も出来やしない」

「教会の封印の中でゆっくりやればいいわ！」

再度振り下ろされる剣。
それを黙って見つめる。
人を殺すに十分すぎる速度と力。

それに命じる。

「『止まれ』」

額数センチのところで剣は動きを止めた。
そこに見えない壁があるかのように微動だにしない。

「――ッ」

彼女が体重を乗せ、剣を押し進めようとするが、それは私には届かない。

その間に私は扇子を取り出す。

今の状況を良しとしないアルティアは剣を引き、後ろに跳躍し距離を取る。
それに対して私は特に何もしない。
とりあえず、あの物騒な獲物で傷つけられる事はもうない。

「相変わらず面妖な……」

「あら、難しい言葉を知ってるわね」

彼女の文化圏内にそういった表現はなかったはずだけど。

「あなたの事を調べたついでに覚えた知識よ」

思った以上に興味というか執着持たれてるのかしら。
人に意識される事は嬉しいことよね。

「おかげさまで沢山覚えましたわ。狸、食わせ者、女狐」

わーい、あんまり嬉しくない意識のされ方だ、これ。

さて、毎度の通過儀礼をこなしましょうか。
今回は進展があると良いけれど……。

「というか、どうしてそんなに私を目の仇にするのかしら。別に貴女に対して何かをしたわけでもない。私は此処にあるだけだというのに」

そう言うと同時に、アルティアの姿が眼前から消えた。
速いな、と思いながら閉じたままの扇子を右横に掲げる。

何かが激しくぶつかり、振動が体に伝わる。
見るとそこには確かな怒りと殺意を混在させたアルティアが剣を叩きつけていた。
だが、その刃はやはり私の体――それどころか扇子の数センチ手前でまたも見えない壁に進行を阻害されている。

「お前がそれを言うか！」

呪詛のように吐かれる言葉。
あーあ……また暴走しちゃったか。

やれやれとわざとらしく溜め息を付く。

「これが何度目、何十回目になるか判らないけどね。あの惨劇は私じゃないわ」

口に出すと同時に何時か見た光景が脳に再生される。

真っ赤な地面。
死んだ空気。
転がる死体。

その風景を放心して見つめるだけの少女。

そして――地獄の真ん中で、唯一の生者である彼女を見る魔女。

状況だけを見れば、惨劇を招いたのは私。
誰が見ても私の手で行われた殺戮。

うまく用意された陰惨な舞台。

「それをお前に言われて信じられるとでも！？」

届かないと解っていても届けずにはいられない。

力と言葉。

彼女の中に真実を知るという選択肢は無い。

己の内にある映像と、吹き込まれた言葉が彼女にとっての真なのだから。

「まぁ、信じて貰えるとは微塵も思ってないけどね」

絶対的な後ろ盾に守られ、操られているアルティアに何を言っても意味が無い。

なら仕方ない。

「冷静になってもらうだけですわ。『分離』――」

扇子を斜めに振り下ろす。

拍子抜けするような音と共に、アルティアの剣が半ばから折れた。

「なっ！？」

「痛いわよ、我慢なさい」

刀身が半ば消失したため、大きくバランスを崩した彼女の体にブーツの底を叩き込む。
腹にめり込んだ靴に体重を乗せ、溜めた力を爆発させるように思い切り蹴飛ばす。
空気を吐き出すかのような音だけを口から発し、アルティアは地面を転がる。

うまく息を吸えないのだろう。咽る事も出来ず、体を震わせる彼女の元へ歩み寄る。
白い胴衣を土で汚し、涙を浮かべた瞳が私を捉える。
そこに揺れた感情は一体何だろう。

私は無言で彼女の額を指すように扇子を向ける。

「神の剣は折れ、魔女の鎌は聖者の首を捉えた。選ばせてあげる。
このまま潔く刎ねられるか、意地汚く生きるか」

アルティアは何も語らない。
その瞳はただただ私を見つめる。

相変わらずこの目は見てて吐き気がする。
他人の意思が混在する硝子玉は正と狂が交互に光を放つ。

そして、光は一方に傾く。

「……あーあ、剣がないとさすがに分が悪いわ」

まるで『何もなかった』かのようにアルティアは立ち上がり、距離を取る。

「今回は引くけど次は捕縛するわ」

「はいはい、そうなると良いわね」

案の定の結果に私は苦笑を浮かべ、彼女に背中を向ける。

掛ける言葉はもうない。
届きもしないのに言葉を発しても無駄だから。

追撃は無い。それだけは確かだ。
『そうなるようになっている』から。

きっと彼女は私の背中を見つめ続けているだろう。
振り返ることもしない。
そこに立っているものに何の興味も無い。

ただ――。

今回も何も変わらなかった事が何処か腹立たしかった。