無事に探索者としての試験に合格したヒミコを労うと、彼女はほっとしたようにうなずいた。 彼女が言っていたように、試験には戦闘も含まれていたようで、表情に疲れは見られたが、これと言った怪我はないようだった。 「ウムー、なんだか弓が重いのだよな。 弓だけでなく、体も重くて。それに、疲れやすい気もする。息が切れるのだ。 まるで水の中を無理やり歩こうとしているような……と言うと大げさかもしれないが。 この体の重さに対応しないといけないのが、テリメインで探索者をすることのむずかしさなのかもしれないな、ウム。 体は少しずつ慣れるだろうし、スキルストーンという道具を使えば、落ちた身体能力を補うこともできるらしいから、いずれ探しておきたいな、ウム」 海底探索協会で聞いたのであろうことを、ヒミコは私に伝えてくれる。 私が話してくれ、と伝えたわけではないので、彼女が好意で教えてくれているのだろう。 あるいは、私に話す、ということで、聞いたことを整理しているのかもしれなかった。 一通り話し終えると、彼女はふう、と息を吐いた。 それを見て彼女に、宿は取ってあるのかと尋ねる。 冒険の成功確率を上げるのに必要なことは無数にあるだろうが、どれだけ効率よく体を休められるか、というのはその内の一つにあげられるだろう。 寝ようと思えばどこであろうと寝られるのだとしても、その場にうずくまって眠るのと、ベッドで眠るのと、どちらが体を休められるかは言うまでもない。 探索はこのテリメインにある、海底洞窟なりで行うのだろうが、そこでの睡眠は、当然野宿になる。 遺跡には魔物もいるだろうし、急な襲撃に警戒しつつの休息は、十分とは言えないだろう。 だからこそ、『休めるときに休む』のだ。それは惜しむべきではない。 当然、探索者にとって良い宿——宿泊費とサービスのバランスが優れているということ——は、いち早く部屋が埋まってしまう。 「ウム、そうだな。探索者協会には多くのひとが集っていたのだ。 あのひとたちも、宿を探すのだろうからな。急がないと、良い部屋がなくなってしまうのだ。 ありがとう、エンエンジュ。探索者試験に合格することだけ考えていて、宿のことがすっぽり頭から抜けてしまっていたのだ。 それでは、宿探しに出発なのだ。 エンエンジュはここで待っていて……というのも、退屈だろうか。 部屋が見つかるまで自由行動……もだめだな。離れてしまったら、再会するのがむずかしそうなのだ。 そうなると……ええと、宿探し、いっしょに付き合ってもらってもいいだろうか？」 聞けば、ヒミコは旅先で宿を探した経験は皆無に近いらしい。 「ウムー、ここに来る前の世界で冒険はよくしていたのだが、宿は、現地で知り合った方の家に泊めていただいていたのだ」 なんでもその家はふつうの家ではなく、美しい家全体が結界らしきもので守られており、美麗で強靭なメイドがいたという。 ヒミコたち同居人は、家主の好意でひとりひとりに自分の部屋を与えられており、その部屋は自分の好みに改装（改造）してもよく、さらに、家には10名ほどが同時に入れそうな大きな浴室もあったというのだ。 そんな家を無料で借りていたというのだから驚く。 彼女が前にいた世界というのは、どれほど富んだ世界だったのだろうか。 興味は湧くが、それは彼女が宿を見つけて一息ついてからでもいいだろう。 当たり前に、というか、さすがに、というか、ヒミコは以前の世界で借りていた宿と同レベルの宿に泊まりたいなどとは言わなかった。 「わ、私だって、あの家での生活がどれほど恵まれていたのかくらいはわかっているのだっ。 ここでは、ウム、身の丈にあった宿を探すつもりなのだ」 ヒミコはお人好しではあるが、そこまで世間知らずではないことを確認した上で、まずは彼女に自分で探させることにした。 宿探しに困ったら彼女の方から質問してくるだろうし、それまでは見守っていればいいだろう。 そもそも、テリメインの宿の相場も私にはわからない。 観光地でもあるだろうから、観光客向けの宿はそれなりにするだろうが、一方で探索者が多く集う関係で、そう言った者達向けの宿は、だいぶ安く押さえられているだろう。 探索者協会と提携している宿は、探索者証を見せれば更に割引されるらしいから、そういった宿から見て回るのもいいかもしれない。 が、それは試験を受けたヒミコ自身が一番よくわかっているだろうから、あえて口には出さない。 探索者協会でもらったらしい町の地図を眺めながら歩くヒミコの歩き方に危なげはなかった。 視線は手元の地図と正面に交互に届いており、そんなことをしていれば不安定になりかねない身体バランスを取るかのように、彼女の大きな尻尾は上下左右に揺れていた。 もし誰かにぶつかりそうなことがあれば声をかけようと思っていたが、この様子ならその心配もない。 なるほど、体は鍛えられているのだろう。 試験に合格したのだから、弓の扱いも問題のないレベルなのだろうなとあたりをつける。 それからヒミコは、いくつかの探索者向けの宿を見て回った。 彼女が、一軒目で宿を決めてしまわなかったことは良かったと思う。 部屋の空き具合にもよるが、しばらくこの地に滞在するのであれば、一泊あたりが安いに越したことはない。 可能ならば3,4軒の宿泊価格を比べて、サービス内容との釣り合いが取れている宿を選ぶべきだ。 「そうだな。 私も一応の持ち合わせはあるが、そんなに大金というわけではないのだ。 節約するに越したことはないものな、ウム」 あまり余裕がないということであれば、早めに探索に出た方がいいだろう。 街で働かないということであれば、収入は探索達成による依頼者からの報酬や、探索で手に入れた戦利品を売り払って得た代金に限られる。 あくまで早めに、というだけで、焦る必要まではないが。 それがわかっているのかいないのか、落ち着いて何ヶ所かの宿を見て回り、彼女が最終的に決めた宿は、『海中巡航ホテル』と呼ばれるところだった。 沈没船を改造して作られたらしいこのホテルは、文字通り、海の中を往く宿泊施設であり、海底探索者にとってはそれだけでとても都合のいい施設だと言えるのだろうが、 「この部屋、すばらしいなっ。とてもこの部屋が、海の中にもぐっていく船の中にあるだなんて思えないのだ」 部屋の中央で、ぐるりと周りを見回すヒミコは、ずいぶんとはしゃいでいるように見えた。 「ほら、窓の外から海が見えるのだっ。 海の中を窓越しに見ると、このように見えるのだな、きれいなのだ……あっ、今魚がいたのだっ。 ……ほら、やっぱりいたっ。 この魚の立場になってみれば、この船はとても大きな魚に思えるのだろうかな……」 海中巡航ホテルたるこの宿泊施設の窓から見えるのは、当然、海中の景色だ。 体が透ける現状を利用して、部屋の壁を突き抜け、顔だけ出してみると、部屋の外、つまり海中を泳ぐ魚と目が合った。 魚からは私のことは見えていないだろうから、そう思ったのは私だけだろうが。 私の視界にとどまり続けているから、海中巡航ホテルと同じ速度で泳いでいるのだろう魚は、直後、私の頭を突き抜けて、そのまま泳ぎ去ってしまった。 なんとなく、テリメインに来たばかりのことを思い出して、『思い出す』と表現するほどまだ時間が経っていないことに思い当たる。 実際、ヒミコと出会ってからは、まだ1日も経っていない。 それにしては長く感じるのは、短期間でそれだけ起きたから、ということなのだろう。 同時に、これまでを振り返る余裕が、自分の中に生まれたからなのだろうなとも思う。 頭を引っ込めて、部屋の中に戻る。 もちろん頭は全く濡れていないが、なんとなく首を振って、あるはずのない水気を振り落としていると、ヒミコがこちらを見つめているのに気づいた。 「そ、その、エンエンジュ。 あなたの境遇を思うと、まちがっても羨ましいなどと思ってはいけない……というのはわかっているつもりなのだが、海中を往く船の中から顔を出して、外の様子を見る、ということは、なかなかできることではないと思うので…… それできるエンエンジュが、いま、どんな景色を見ていたのかと思うと、わくわくしてしまって……それで、つい、あなたを見てしまったのだ……」 黙っていればわからないのに、思っていたらしいことをそのまま口にして、とても申し訳なさそうにしている彼女を見ていると、自分では意識していないものの、思い詰めてしまっていたのかもしれない、と思う。 良くも（そしてあるいは悪くも）素直な彼女を見て、その緊張がほぐれ、そのことが、これまでを振り返る余裕に繋がったのだろう。 窓の外で、魚に頭を通り抜けられたよ、と言うと、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、直後、言葉の意味が浸透したのか、目を丸くした。耳もピンと立っていた。 ------------------------------------------------------ これまでの潜航日誌 https://dl.dropboxusercontent.com/s/sjzbldbpzw022fq/DAY_2.txt https://dl.dropboxusercontent.com/s/ijw7mjwf8j4okf9/DAY_3.txt

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

ヒミコは、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。