▼断章 〜 The wind which leads to the different world.


　そよそよと、涼風がそよぐ。

　玉砂利が敷かれた広い空間。朱塗りの鳥居から伸びた石畳。
　こんこんと清水沸く龍口の手水舎。右手側には銀杏並木。左手側には賽銭箱。

　神社の周囲を取り巻く、板張吹放しの長い縁側。
　屋根から釣られた風鈴が、ちりんと澄んだ音を鳴いて。

「わー、千里くんが幼女を膝枕してるー」

　明らかな棒読みで投げかけられた声に、澤谷千里は渋面で振り返る。

「犯罪みたいな言い方しないでよ、天城さん」
「千里くんがしてると犯罪なのよ。……絵面は、仲のいい姉妹なんだけどね」

　告げながら、中腰になって覗き込む天城明乃。
　千里が身に纏う巫女装束の向こう、緋袴に包まれた脹脛を枕に小さな影が横たわっている。

「えっ、鼓さま！？」

　そこに予想外の相手を見つけて、明乃は素直な驚きを口にした。
　千里は、曖昧な表情を浮かべながら返事をする。

「疲れてるんだと思う。……色々あった後だからさ」
「だからって、朝ちゃんならともかく、鼓さまは無いんじゃないかなぁ」

　よっ、と呟いて、明乃は千里の隣へ軽やかに腰を降ろす。
　自身の巫女装束の袖を、広がり過ぎないように手繰り寄せ。

「穏やかな寝顔じゃない。ちょっと涎垂れてるけど」
「うん、そうなんだ。いい夢を見てるのかもね。ちょっと涎垂れてるけど」

　視線を合わせて、くすくすと小声で笑う。

「でも、寝言がね。ちょっとよく分からない言葉なんだよね」

　すやすやと寝息を立てる狐耳の童女を見て、千里は言う。

「天城さん、メルンテーゼって知ってる？」
「残酷な天使のテーゼなら」
「それ全然違うからね！？」

　思わず大声をあげかけたが、明乃が口元に指を立ててシーッとやる姿に口をつぐむ。
　確信犯がいるよと、ため息混じりに肩を落とし。

「それで、そのメルンガーゼがどうしたの」
「メルンテーゼ。
　……譫言でね、言ってたんだ。他にもエンブリオとか、ネクターって単語も聴いたかな」

　明乃は、簀子から出した脚をぶらーんと揺らしながら首をひねる。

「エンブリオって、卵のことかしら。
　鼓さまにはまだ早いと思うけど。……あれ、でもある意味では既に九児のママなの？」
「突っ込まないよ」
「つれないなぁ、千里くんは。
　んと、ネクターは飲み物だよね。すっごく甘い奴。ピーチネクター」
「確か、境内設置の自販機に入っていた気がするんだけどね」

　しかし、卵とジュースが何だというのだろう。
　夢の譫言なのだから何でもあり、と言えば それまでなのだが。

「ネクターは、ネクタルだね。ギリシャ神話における不老不死の霊酒。
　一説では、水瓶座から流れ出るエリダヌス川こそ、ネクタルそのものだとも云われているよ」

　玉砂利を踏みしめながら、眼鏡を掛けた長身の男性が近づいてきた。

「郁美さん。早かったですね」
「秋祭りの打ち合わせ、とは名ばかりの酒宴だったからね。
　早々に全員潰して、切り上げてきました」
「……全員潰して、って」

　半眼で呆れる明乃に曇りない笑顔で応え、一条郁美はネクタイを弛めながら簀子縁に座る。
　暑い暑いと手扇で顔を煽いではいるが、いつもながら不思議と汗を掻いているように見えなかった。

「エンブリオは、どちらかと云えば胎児になる前の胎芽のことかな。
　始まりという意味もあるけど、卵という印象は漫画や小説の影響かもしれない」

　何でこの人は、スラスラと澱みなく答えられるのか。
　本職は神主のくせに、ギリシャ神話や生物学を諳んじられる識力はどうなんだと思う。

「鼓さまを有難うね、千里くん」
「あっ、いえ、そんな」
「彼女がこんなに無防備な寝姿を晒しているのは、私でも珍しく思うよ。
　面倒を掛けるけど、もう少し寝かせておいて貰ってもいいかな」

　郁美は優しく笑むと立ち上がり、背中越しに手を振りながら社務所の方へ歩き去っていく。

「郁美さんてば、妹が心配じゃないのかしら」
「だから、僕を犯罪者扱いしないでほしいんだけど」
「巫女装束を着ている男の子って、犯罪者扱いでもいいと思わない？
　しかもそれが、すごく似合ってるのがまたムカつくよね……」
「にあっ！？　……ぼ、僕だって、着なくていいなら喜んで脱いでるよ……！」

　思わず荒げかけた声を、慌ててトーンダウンさせたのは膝元の少女が寝返りを打ったからだ。
　ほのかな風が、鼓なる少女の前髪を揺らす——


　——遠く、逆立てた耳に聴こえるは、"今代" の契約者たちの聲。
　瞼の裏に映る、"現在" には程遠く、如何様な道筋とて決して混じり合うものでは無かった。

　鼓は、振り返る。
　むろんそこには、誰もいない。
　かつての主も、かつての仲間も、かつての敵も、従属の仔狐共の影すらなく。

　しかし、誰かに呼ばれた気がしたのだ。

「……はて、未来であったか、過去であったか」

　とんと思い出せぬ。と呟いて、鼓は再び前を向く。
　先に見えるは、黒い巨大馬が二頭仕立てで曳く大型の馬車。
　移動喫茶としてメルンテーゼ中を駆け巡っているという、獣人の駆け込み館だ。

　"現在" の居場所へ、鼓は還っていく。
　"今代" の居場所は、此の世界には無いのだから。

　——それは、あるいは始まるはずだった もうひとつの物語。

相手が驚いているというのに呑気に飴玉の甘さを喜んでいる。
笑顔で、相手の何やら考え込んでいる様子に首を捻り。
——もう、かなり、言葉の通じない世界には慣れてしまっていたものだから。
適応能力だけは、無駄に高かった。

相手を指差す。
もう慣れたもの、とばかりにその仕草に迷いはなく。
その指をまっすぐ今度は自分に向けて。

名乗っている間も、ちら、ちら、と目線は彼女の持つ尻尾へと。
怪異の類も一応は見慣れてはきたものの、やはり、まだ物珍しさは否めず。

聞きたい事が出来た、ものの。どう聞いていいか悩み。
何かを思いついたか、鞄から紙とペンを出す。

まず紙の真ん中。書いた鳥居のマーク。
そしてその鳥居の両脇に　らり　りりく　と書いてある。
その後は、5文字ずつ　とりなくこ　…　と書き始め。

最後に、貴方ですか？とばかりに手を向けた。
図式的には、完全にこっくりさんだ。

白髪の下、黒紫の瞳が。
一瞬だけ、燃え上がった気がした。

ただ一言、それだけ呟く。

まるで自分のせいとも思ってないセリフをいうと、手を差し伸べた。

そこまで言って一度言葉を切る。すると、ラーフィーの背中から肩へと一匹の蛇が登ってくる。
そして、ラーフィーの肩にその蛇腹を横たわらせると、一つ欠伸をしてツヅミさんを見つめる。
蛇・・と表現したが、それは下半身が蛇であり、上半身・・・腰より上は人の体であった。ラミアという魔物そのものだが、違いはそのサイズ。まさにラーフィーの広いとはいえない肩に寝そべるぐらいのサイズである。

うむうむと頷いて見せた後、手にした『かみさま』をずいずいと突きつけてくる。

（と、多少恨みがましくアレックスを見上げて）

（店へと案内するように歩きながら）

（そう言えば手を引いて店内へ。席につくと壁のメニューを眺め、何にする？などと聞きながら）

興味を持ってくれたことが嬉しいのか、ハルは少しだけ元気よく答え。
皆の前で球体を三日月状にしたり、刃状にしたり、棒状にしたり…と色々と披露してみせた。

花を渡し終えた後、ゆっくりと手を引っ込めながら考え始める。

いつの間にか言葉が漏れていた。

トガノはただ、ハルの語りを黙って見守っている。

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時は夏祭りの夜。
トガノは1人フラフラと縁日の賑わいの中を彷徨い歩いていた。

不意に、どこかで見た姿が目に入ってきた。
あれは確か…ツヅミと名乗る獣人の少女（？）だったか。
どの道手持ち無沙汰だったため、トガノは人ごみをかき分けてツヅミの方へと近付いていった。

いつもの礼服姿で大きく一礼をしてみせる。
ハルは今、この近辺にはいない。
ならばせっかくの祭りだ。2人だけで楽しむのもいいだろう…そうトガノは考えた。