7.


　あれほど高くのぼっていたはずの太陽も、気づけば西の空へ落ちようとしている。
　南方から、海の匂いが混じった風が吹く。その風によって木々がさわさわと葉ずれの音を奏で、心地よい葉音につられて視線を上げれば、目も眩むような夕暮れの赤に、誰もが今日の疲れを忘れた。
　途方も無い赤色の世界。沈みゆく巨大な夕日は、そのままなにもかもを飲み込んでしまいそうだった。
　胸にまで響く太鼓の音で、現実を思い出した。
　身体中にまとわりつくような熱を感じる。食材を焼く音、馴染みのない甘い匂い、目に映るのは普段見たこともない光景ばかりで、とくに目にとまるのは人の多さだ。見知らぬ他人もどこかで見たことがある者も、いつもより距離が近いのは気のせいではない。それは祭りの空気が人と人を結びつけようとしているのか、あるいは終わりゆく祭りを惜しむ人の欲求か、
　それとも、
　ふと思い立って、再び天を仰ぐ。
　夕焼けの空の中に、気の早い星々が輝いていた。
　それでわかった。
　祭りは、まだ終わらない。

　　　＊

　ポポロほどではないが、ピアもひとつの生命体として極めて無駄のない存在である。
　例えば汗や垢といった老廃物を排出することが一切ない。食事や睡眠を毎日取ってはいるが、実を言えばどちらも一ヶ月は取る必要がない。生きるだけならそのへんの雑草を食べるだけでも十分だし、本当に何もしなければ半年は眠らなくてもいい。着ている衣服もヒトが着るものとは異なり、服というよりも「皮膚」のようなもので非常に汚れにくい。
　さて、生物としてここまで隙がないとどうなるか。
　単純な話だ。生産という概念が極めて希薄になる。料理や裁縫、道具を作るといったことをピアはほとんどしたことがない。そんなことをしなくても生きていられるからだ。
　つまりどういうことか。

　タンポポ荘の住人たちが運営する屋台に参加することになったピアはまず、綿菓子機を三秒で壊した。

　彼女の名誉のために言っておこう。不幸な事故だったのだ。使用前に綿菓子機の手入れを忘れてしまったがために、釜の底で固まっていた砂糖が原因でショートを起こした。誰がやってもそうなる運命だったのだ。
　無言でその場を立ち去るピアは、心中で二度とわたあめは作らないと誓った。悲しい出来事であった。
　次なる戦場は焼きそばであり、鉄板の前に立ったピアは五秒でソースをぶちまけた。
　これに関しては弁解の余地がないためコメントを控えたい。ただひとつ言うならば、立ち去る彼女の背中は、小さかった。
　このあたりでピアの悪名が周囲に轟きはじめ、様々な拒否と失敗を重ね屋台から屋台へとたらい回しにされてしまう。ひたすら無言を突き通すピアは、ちょっと怖かった。
　そして現在。
　両手に二刀のヘラを持ち、形の悪いお好み焼きを見事均等に切り分けてみせるピアの姿があった。

　ピアは使い捨てのフードパックにお好み焼きをいれて、それをポポロに渡す。

　ソースをかけるのは少しトラウマなのでさっきからポポロに任せている。調理も他の者にやってもらっているため、ピアがやっているのは焼いて切り分ける作業だけである。

　今の客で出入りが落ち着いたのか、ポポロはピアに駆け寄ってそんなことを言ってくる。
　とにかく楽しくてしかたがないと言わんばかりのポポロの笑顔を、ピアは鉄板を弄りながら横目で見て、

　ポポロは両手を広げてその場でくるると二回も回ってみせる。灯籠の光が花のような笑みを浮かべる横顔を照らす。
　いつも通りの元気なその声は、祭りの喧騒にかき消されて、誰も振り返らなかった。

　目を輝かせて発したその言葉に、ピアはほんの少しだけ肩を落として、無表情に答える。

　今度は無視した。ピアはてきぱきと手を動かして、先ほどから大量に作っていたお好み焼きをポポロの前に差し出す。

　てっきり二つ返事で引き受けるかと思ったが、ポポロは予想に反してふくれっ面になって、

　と、はっきりと拒絶されてしまう。思わぬ展開に、ピアは小さく開いた口を閉じることを忘れる。

　祭りの空気にあてられでもしたのか、ポポロはいつも以上に甘えてくる。
　しかしピアとしてもここは譲れない。自分で差し入れをするなんてとてもじゃないができない。だって、恥ずかしいし。

　強情な二人の視線が交差する。
　あ。と口を大きく開けたのは、ポポロの方だ。ピアの怪訝な表情に、にやりと笑い返して、

　子供のように大喜びしながら差し入れを袋に詰めるポポロを、ピアはぼんやりとした表情で見ている。
　今にも鼻歌でも歌いそうなポポロの口元から、ふと思い出し笑いが漏れた。

　ポポロは即答せずに、人差し指を口に当てて考える。思い出すだけでも嬉しいのか、さっきから笑顔が絶えない。

　どこへ行くにも一緒なのが嬉しかった。ぶっきらぼうなのに、感情がすぐ顔に出るのが面白かった。いろんな話を聞かせてくれて、ときおり目を輝かせて語る彼女を見るのが楽しかった。
　そんなかつてのピアが、ポポロは大好きだった。

　対して、興味無さげに呟くピア。
　ポポロが言っているのは数百年以上昔の話だろう。ピアにとって、そんなのはもはや他人と言ってもいい「かつての自分」だった。

　ピアは視線を逸らしてから、

　ばたばたと走り去るポポロを見送って、ピアは小さく息を吐いた。
　そして、すぐにポポロの元気な声が聞こえてくる。祭りの喧騒の中でも、ピアにははっきりと聞こえてきた。

　ピアはなんだか気恥ずかしくなって、無意味にヘラを弄くる。鉄板から焼ける音が聞こえてくる。
　ふと、どこか遠くから歓声が弾けた。いつもは他人事のように感じるそれは、なぜか今はそうは思えない。
　——花火ね。
　別にあんな約束なんてしなくても、店番が終わった後はポポロと一緒にいるつもりだったのだが。
　それをあんなに大喜びして——まったく。
　ピアは目の前の非日常に目を細める。通り過ぎる人々は、どいつもこいつも笑っていた。
　そして何かに呼ばれるように空を仰いで、満天の星々を見つめて思う。
　いったい、どんな花火が打ち上がるのだろうか。
　——まあ、まずは、
　今度こそ誰かに呼ばれた。視線を地上に戻せば目の前には客がいた。見たことない者だった。当然だ。もし目の前にいるのが、例えばタンポポ荘の住人だったなら、目を丸くして口を半開きにして驚くだろうから。

　——まずは、ソースぐらいはうまくかけれるようになっておこうか。
　いつの間にか、日はすっかり落ちていた。けれど誰もそのことには気づかない。
　それは、頭上の星空と、祭りの明かりが生む白と橙が世界を照らしているから。

　そんな光の中に映るのは、確かな笑顔だ。

　クロエは『ご主人様』という単語から何を想像したのか、少し顔を赤らめながらポポロにまくしたてた。

散歩でもしていたのだろうか、彼は一人でに歩いていると

彼は聞こえて来た声に気付き立ち止まり、視線を声のする方に向けた。

彼もまた、相手のノリに合わせたのか元気な声でそう返した。

　ポポロが手を離した後も、まだ少し変な感じがするのか、ひょこひょこ翼を動かしている

　何の罪悪感も感じられないポポロの表情を見れば、言っても無駄だろうと普通なら思うかもしれない。
　だがクーリアの感覚で言えば、言ったらやめてもらえるものなのだ。
　他人の嫌がることをしたがる人はいないと、それが当たり前だと信じている。

　そう言って、ストラップを引っ張る。

ポポロを引き止めもせず、サイネルは言葉を返す。

ポポロが歩き出した様子を見て力が抜けたのか。言葉を紡ぎ終える前に、サイネルの意識は暗闇に落ちた。

————”怪傑X”に関わるな。
言いかけたその言葉はきっと無意味なのだろう。自分はもう死ぬのだから。




結果的に言えば、その言葉の無意味さは別にあった。

　　　　　　完了。

黒いのっぺらぼうに円錐のような頭。黒い翼に、胸にある斜め十字の傷。
深傷の男は、人型の化け物へと変貌していた。

化け物は目にも止まらぬ……少なくとも常人には視認が困難な速さで木々の中に突っ込んでいった。
広げた翼に木々は薙ぎ倒され、化け物が通った後に”生き物”は存在していなかった。

　　　　　　 怪傑X>>
. 　　　　　残存ターゲット…エンブリオ4体、神格1体。ブースト開始、これより神格・ポポロとの交戦に入る。

薙ぎ倒された木々の間から、無貌の面がポポロの方を向く。
化け物は空高く飛び上がり、ポポロへと飛来。
そして幾多もの命を啜ったその手を、ポポロの首へ向けて伸ばした。

少し驚きながらも、傘状のタンポポを掴み、浮き上がる。
ふわりふわりと浮き続けると、目の前にタンポポ荘が見えてきた。

予想以上の大きさ。まるで豪邸ではないかと錯覚するエステル。

(質問した意図を忘れているのか、本題とズレた質問を続けて投げかけます—）

信じてないようだ！

・
・・
・・・


この後から何日か経って…

※どうやら彼女の元の世界にも神様はいるようだ。

数日もすれば、現地語での発音にも馴れてくるものらしい。
最近は名前も、タンポポ荘とも滑らかに口に出来るようになってきた。

ピア殿の淹れる珈琲の味には程遠いじゃろうがな——、と続けつつ差し出して、

尻尾がまるでひとつの生き物であるかのように、こくりと頷き、挨拶を返す。

そう言って頭を下げると、辺りを興味深そうに見回した。