○月　×日　曇りのち晴れ

　今日は、森にユニコーンがでるって噂を聞いて、このやたら鬱蒼とした森の中へとやってきた。

　というか、ここって城の敷地内なんだよね？
　広大すぎて忘れちゃいそうだよ。

　そんな森の中をさまようように歩いていると、現れましたユニコーン！
　案の定、最初はなんだかぴりぴりしてて、とても話を聞いてくれそうになかったから戦う事になっちゃったんだけど。

　私以外の女性限定でとても好意的なのでした。
　……そう、私以外限定で。

　私が声をかけようとすると、

　って、鼻で笑うんだよ！？　信じられない！
　後で揚羽ちゃんから、ユニコーンに関わる話を聞いたんだけど。

　……ユニコーンさん、後で絶対懲らしめてやる。



　──真夜中の森で、何かが蠢いていた。

　それは、夜の闇と同化するようにそこにあり、ただ緩慢に森の中を歩んでいた。

　……いや、歩むというのは正しくはない。
　なにせ、ソレには足が無く、腕もない──ように見える。

　ソレは確たる像を持たず、こうして観測する間にも、その姿を歪め、変化させていく。
　不定型な魔力体……人々の負の感情より生まれ力を得る、深淵の闇、影。

　ソレは、緩慢に森を進み……見つける。

　森の中、ただ一人夜を越そうと火を焚き、腰を下ろす青年。
　その隣にはエンブリオと思わしき、岩の巨人が佇んでいる。

　……どうやら青年は眠っているようだ。
　エンブリオを信頼しているのだろう。見張りを任せ、明日に備えて休んでいる。
　巨人はそんな主人を守るように、傍らでじっと佇み、焚き火を見守りながら夜明けを待っているのだろう。

　しかし、気づかない。

　岩の巨人は、気づかない。

　巨人がもしも、もう少し鋭敏な感覚を持っていたのなら。
　もしくは、青年が目を覚ましていたのなら。
　彼らの未来は変わっていたのかもしれない。

　ソレは堂々と、闇にとけ込み、忍ばず這い寄り。

　青年を飲み込んだ。

　　　＊　＊　＊

　──真夜中の森で、何かが動いていた。

　ソレは夜の闇を纏うようにそこに在り、ただまっすぐに森の中を歩んでいた。

　……いや、歩むというのは正しくなはない。
　なにせソレには足もなく、腕もない──訳ではなかったが、歩むと言うには速すぎた。

　ソレは明らかに人の姿を象り、こうして観測する限り、姿形が変わるようなこともない。

　暗い色で染められた着物を身に纏い、刀を一つ帯びた、狐面の女。
　……そう、女だった。

　闇を纏うようで在りながら、わずかに覗く白く鮮やかな肌が、人間らしさを演出している。

　……いや、ソレは人間では無いのかもしれない。
　木々の隙間を音もなく駆け、枝を揺らすことなく跳び移る。
　せいぜいが、僅かに木の葉を揺らすだけ。

　その所業は、魔の技か、妖しの術か。

　彼女に気づく物がいたとして、ソレを人とは思えなかった事だろう。

　……まあ。
　見る者が見れば、それは洗練され極められた、人の業だと解しただろうが。

　枝から枝へと跳び、樹上を駆ける狐面の女。
　それが、突然足を止める。

　何かに気づいたのか、地上を見下ろし、滑るように飛び降りた。

「……少し、出遅れたかな」

　その声は、夜の闇に凛と響いた。

　彼女は僅かに嘆息すると、狐面をはずす。
　その下から現れたのは、どこか剣呑な表情をした、鴉揚羽の顔だった。

　彼女は足下を見下ろして、す、と身を屈める。
　目の前にあったのは、先刻、あの闇に呑まれた青年の姿だった。

　揚羽は、目を見開き震えるように痙攣を繰り返す青年へ、手を伸ばす。
　頸動脈に触れ、口元に耳を寄せ、バイタルサインを確認し、眼球の動きを確かめる。

　脈拍、体温共に低下し、呼吸も微弱で不安定。焦点も合わず、健全な意識活動が出来ているようには見えない。
　体は時折痙攣し、腕や足がびくり、と跳ねる。
　誰が見ても、異常は明らかだった。

（やっぱり、喰われてる）

　彼の身に何があったのかを把握し、さてどうするかと思案する。

　人道的に考えるのなら、助けるべきなのだろう。生きているのだから。
　しかし揚羽の経験、そして医療者としての知識が、彼は死んでいるも同然だと判断する。

　……今すぐに処置をして、相応の医療施設へ運べば確かに彼の命は助かるはずだ。
　けれど、それはただ命があるだけ。
　彼にはもう、まともな生命活動は出来ないだろう。

（こんな時、彼ならどうするのかな）

　ふと、この世界で知り合った一人の青年を思い出す。
　『ローバル』という怪物と戦う、幼い頃に描いたヒーロー像そのままの青年。
　彼ならば……あるいは、

（……三郎さんなら、どうするのかな）

　かつて共に旅をした、正しく王道を進む彼。
　まさに『ヒーロー』だった彼ならばどうしただろうかと、当時を思いだし、考える。
　女の子じゃないからと捨て置くだろうか？
　それとも、放っておくのは後味が悪いと、不機嫌そうに助けるのだろうか？
　当時、あの世界で誰よりも彼を見つめていた揚羽は、考え、そして苦笑する。

　……きっと助けるのだろう。
　文句を言いながら、不機嫌そうにしながら、それでも彼は放っては置かないだろう。

　……なら、自分は？

　彼らのように助けるのか。
　それとも、見捨てるのか。

　そこでまた、揚羽は一つ思い出す。

『なら、人知れず戦うヒーローだね！』

　屈託の無く、純粋な妖精の言葉だった。
　その言葉には、気恥ずかしさも、照れも感じたが、正直とても嬉しく思ったのは間違いない。

　……けれど。

（……やっぱり私は、ヒーローにはなれないな）

　ふ、と寂しそうに笑うと、懐から小さな瓶を取り出し、中から小粒の丸薬を取り出した。
　それを人差し指と中指で持つと、青年の口に押し込む。
　喉の奥にまで押し込み、飲み込ませると、程なくして青年の痙攣が止まる。

　また脈拍、呼吸と確認し、最後にペンライトを取り出して、眼球に当てた。
　対光反射が起きないのを確認すると、ペンライトをしまって、そっと手のひらで瞼を下げた。

「……夜守」

　揚羽がぽつりと、名前を呼ぶと、どこからか翼を広げた大きな鷹が現れた。
　揚羽の契約した、大鷹の姿をしたエンブリオだ。
　鷹は揚羽の隣に降りると、甘えるように頭を寄せた。

「私が戻るまで、彼を見張ってて」

　揚羽が鷹の頭をなでながらそう指示すると、くるる、と喉を鳴らして答える。
　ありがとう。そう言って揚羽は、再び樹上に跳び移った。

（やっぱり、簡単には変われないな）

　さっきの青年を思い出すと、申し訳ない気持ちになった。
　自分の判断が間違っているとは思わない。
　あのまま廃人のように生きたとして、彼が惨めなだけだろう。
　そう判断しての行為だった。

　しかし、それでも彼は生きたかっただろう。
　後で後悔するとしても、あの瞬間は生きたくて仕方なかった事だろう。
　そう考えてしまうと、どうしても悔いは残る。
　だから、

（これ以上は、やらせない）

　キッ、とある方向を睨みつける。
　その気配に、揚羽は気づいていた。
　ただひたすらに不快な気配が、森の奥へと向かっている。

　青年の死体はエンブリオが守っている。
　野犬などに損壊される心配はないだろう。

（……私は決してヒーローになんてなれない。
　躊躇無く人を殺せてしまうし、助けるモノと見捨てるモノを簡単に振り分けられてしまう。
　すぐに、諦められてしまう）

　だからこそ医者の真似事なんかが勤まるのだが、医者はヒーローではない。
　医者は時に、非情で残酷だ。

　揚羽は、刀を抜いて、刃を左の母指に押し当てる。

（結局、私はただの人殺し。
　ヒーローとはかけ離れた、裁かれるべき罪人だ。
　だけど、それでも……真似事くらいなら）

　押し当てた指を、勢いよく滑らせた。
　深く斬り裂かれた指からは、紅い鮮血が迸り……渦を巻く。

（茜祢ちゃん、力を借りるよ）

　瞳を閉じ、言霊を告げた。

「神気、解放」

　揚羽を囲うように渦を巻いた鮮血が、揚羽の髪に吸い込まれるように染み込んでいく。
　濡れ羽のように艶やかな黒髪が、昇る朝日のように赤く、明けの空のように茜に染まる。

　そして最後に刀身へ指を滑らし、瞼を開く。

　焼けるように赤い、茜の瞳が森の奥を見据えた。

（……魔力は安定してる。動くだけなら五分は持つ。
　攻撃は、出来て一度だけか）

　くす、と笑みをこぼし、黒い丸薬をとりだして飲み込み、駆けだした。

　茜に染まった髪と瞳が、闇の中に長く尾を引いていく。
　それこそ風のように、音もなく木々の間を真っ直ぐにすり抜けて。

　今の揚羽は、友人より譲り受けた神気……神とされた者の力を身に宿している。
　神気は、本来魔力のようなものを持たない揚羽に力を与え、身体能力を限界まで引き出す事を可能とする。
　しかし、ただの人間の身体しか持たない揚羽は力に耐えきれず、全身の細胞、つまり皮膚や筋肉、内蔵や脳に至るまでが、瞬く間に死んでいってしまう。

　常人ならば、一分と持たずに死に至る神気に耐えるためには、薬が必要だった。

　口にしたのは、揚羽の生家、鴉の家に伝わっていた秘薬。
　代謝や細胞の分裂、活性を極限まで高め、損失、損傷した細胞を瞬時に交換する毒薬だ。
　単体ではその再生力故に不具合が起き、命を脅かすことになる。

　最悪の拷問手段として用いられた薬だが、今の神気によって滅び続ける揚羽の肉体に置いては、死滅と再生が拮抗し、一時的な均衡状態を作ることが出来る。

　それでも極短時間……神気を扱えば一瞬の間しか維持できない状態ではあるのだが。

（見つけた）

　茜色の瞳が、悠然と歩を進める巨体を捉える。
　それは青年のエンブリオだった。
　岩で出来た巨体が、暗い闇を纏ってそこにいた。

（……あれも喰われてる、か）

　エンブリオの直上、枝の上から見下ろして、静かに納刀する。
　刀を鞘に納めると、のろのろと進む巨体を慎重に追いかけた。

　揚羽の追っている闇──混沌の影は、生物の精神を、心を食らう。
　そして、時には身体を奪い、実体を得ることでさらなる被害を生み出していくのだ。
　この森には、まだ複数の一揆参加者がいる。
　どころか、揚羽の仲間もいる。

「……行こうか、正宗」

　愛刀の銘を小さくつぶやき、巨人のすぐ後ろに音もなく飛び降りる。
　歩みを止めない巨体に、気配を消したままゆっくりと距離を詰め、刀に手をかけた。

「……神撃、一閃」

　神気を放つための言霊を唱える。
　呟くような声に、ようやく巨体が揚羽に気付き振り向くが、遅い。

「──追討『大祓』」

　唱えると同時に、刀が鞘走る。
　赤く焼ける刀身が、逆袈裟に振り向いたばかりの巨体を駆け昇る。
　刹那の間に振り抜かれた刀が、再び血を払うような動作で振られると、揚羽の髪も瞳も茜を失った。

　巨人は動かない。
　まるで音が死に絶えたかのような静寂の中、刀が納められる硬質な音だけが響く。

　その瞬間、ズ、と、世界が裂けた。

　刀の軌跡を境にするように、世界が歪む。
　そのまま、滑り落ちるように景色がズレて、瞬きの後には元に戻っていた。
　……巨人を除いて。

　ズ、ゥン、と、重量物が滑り落ちる音。
　巨人を取り巻いていた闇は、見る間に薄れ、消滅する。
　後には、両断されたエンブリオの亡骸だけが転がっていた。

「は、ぁ……、っ！」

　重く息を吐くと、揚羽は崩れ落ちるように膝を着いた。
　いくら薬を飲んだといえど、いや、だからこそ身体への負担は凄まじい。
　異常こそ感じられないが、体力の消耗は激しかった。

（馬鹿みたい……感情的になるなんて。
　ここまでやる必要なんか、なかったのに）

　自嘲するような笑みを浮かべて、立ち上がる。
　そんな揚羽の背後で、夜闇が固まっていく。
　黒い靄が立ち上るように現れ、揚羽を飲み込むように広がり、

「──追断『釜斬』」

　無造作に抜き払われた刀身に、闇が引き裂かれる。
　瞬く間に新たな影は消え失せ、後には、刀を納める揚羽だけが残った。

「……この程度で、よかったのに」

　自嘲しながら呟く揚羽の頭に、あざ笑うような声が響く。

『どうだ？　神になった気分は』

　答えず、苦笑しながら揚羽は空を見上げる。

　赤く染まったいびつな月が、揚羽を見下ろしていた。

社長は「ガハハ！」と笑いながらぬるい挨拶を終えた

ぐっとこぶしを握ってそう締めるのでした。

笑顔のほうが、いいですよね、と頷いて。

そういって、三人分の場合の値段を掲示する。５０PSで、シリーンや円などでも支払い可能らしい。

舌鼓を打ち、湯呑みを受け取れば一口。一々感想を漏らしつつ笑みをこぼす。そして残ったもう半分を、さらに半分にかじり、言葉を続けた。

そして残った一欠片を口に放り込み、舌の上で弄んだ後、息で冷ました緑茶を流し込む。満足気に喉を鳴らした。

トガノの謎めいた問いにハルは少しだけ頷く。
トガノは肩を竦めた後、2人に向き直った。

気付けば目を開けていた。
が、申し訳なさそうな顔を浮かべるその姿は、先程までと比べて妙に弱々しい。

トガノが少年に色々説明している。
内容は今までの会話のことのようだ。
それらの説明を聞き終わると、少年は2人の方に歩み寄り、ペコリと頭を下げた。

トガノは何ともいえない表情を浮かべたまま言う。
先程から崩れた口調は直る気配がない。

長々と説明を終えた後、シオンと名乗った少年は再び不安そうな表情を浮かべていた。