Road to brave
　吐く息が白い。少年は身に纏った赤い外套の、胸元を閉じた手に力を込めた。昼間は汗が噴き出るほどの暑さとはいえ、季節はすでに晩夏を過ぎ、夜は既寒さすら感じる。ましてや今宵はドラグナ、赤き月に照らされた大地は、畏れ、静まり返る。全ての生命がその身を潜めるその夜の寒さはひとしおだ。
　少年は大岩の上で、彫像ように身じろぎもせず、赤き地平の一点を見つめていた。そこに現れるであろうもの、大地に食い込む爪の動きすら見落とさず、空気震わす鼓動すら聞き洩らさぬよう。

どれくらい時間が経ったのだろうか。少年は呟いた。
「…来た」
大きく跳躍したのち、木の葉のように密やかに着地、そして走り出した。その走りは必ずしも早いものではないが、一切の音を立てず誰にも気づかれず。真っ直ぐに、赤き地平の一点を目指して。




　少年には随分と歳の離れた姉がいた。その年の差は十五、親子ほどもある。少年の母は、少年を産んで程なくこの世を去った。それから五年、母の記憶がない少年にとって、姉は文字通り母親同然であった。厳しく、優しく、美しく。そして…

「チャチャカっなにやってんのあんたは！！」
「やべっ、逃げろ！！」
「わー！！！」
　言うが早いか散り散りに逃げだす子供たち。思い思いの方向へ全力で駆けていく。少年もその中に紛れるように家から飛び出そうとしたその瞬間、何かが煌めいた。途端、少年の身体は宙に浮き、ものすごい力によって壁に叩きつけられた。見れば、少年とその先にある漆喰の壁が、長槍の穂先によって貫かれていた。さらによく見れば、槍は器用にも少年の服のみを貫き、少年の身体には傷一つ付けていないこともわかる。
「ちょっ、なにすんだねーちゃんっ…殺す気かよ！」
　壁に磔になった少年が泣きそうな声で叫んだ。しかし対する姉は厳しい視線のまま。
「ああん？あたしがそんなへまするわけないでしょうが。あんたを殺すつもりなら、それこそ一瞬。叫ぶ暇さえ与えないわ」
「そ、それが弟にいうことかよ！！」
「そんな言葉はあんたが弟らしい振舞いをしてから言ったらどうなの？だいたいあんたは…」
　言いながら槍が引き抜かれ、少年は尻もちをついた。が、次の瞬間さらに宙に浮かんだ。姉が少年を片手で持ち上げたのだ。その高さは天井にすら届きそうだ。そう、少年の姉は背が高く、そして強かった。まるでジャボールのように。いや、少年にとってはジャボールより恐ろしい存在だった。　もっとも、万が一ジャボールのようだなどと口を滑らそうものなら、更に熾烈な折檻が待っていることを、他ならぬ少年は嫌というほど知っていた。

　少年が長老の前で戦士になると声高に言い放ったその日から、姉の態度が変わった。厳しさは相変わらず、いや、以前にもまして厳しくなったのだ。それは姉として、育ての母としての優しさであったのかもしれない。弟が自分と同じ道を歩むと決めたことに対する責任もあった。それゆえの厳しさ。その厳しさは後々、結果として少年の人生を大きく変えることになり、姉へ対する尊敬と感謝の念をもって返されることになる。
　しかしながら少年は現在はまだ5歳、そんな未来のことなど分かるはずもなく、遊びたい盛。まだまだ足りない知恵を絞り、ありとあらゆる手段をもって姉の尋常ならざるしごきから全力で逃げようとすることはごく自然な、当たり前のことだ。かくして少年は、日々姉の怒声を浴び、拳骨の痛みに耐えつつも必死に逃げ回っていた。
「はーなーせーっ、離せよこの大女ー！！」
「ふふん、あたしの半分もないちびに言われても痛くもかゆくもないわぁ、悔しかったら大きくなってみなさいよー男のくせに」
　見事に痛いところを突かれた。少年は同年代の中でも成長が遅れていた、つまりはチビなのだ。
「なっ、なんだとぉっ…このジャボール女！！」
　と言ったところで気付いた少年。しかし時すでに遅し、持ち上げられた位置からでは下方に見える姉の顔が…笑みを作った。それは、少年にとっては何より恐ろしい顔。
「チャーチャーカーっ！」
「ちょ、やべ、姉ちゃん待った今のなし、うわっ！？」
　少年を持ち上げられた腕が、そのまま大きく振りかぶられた。姉の身体が引き絞られた弓のようにしなった。
「あんたいっぺん見てくるかいっ？本物のジャボールをぉっ」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁやめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ！！！」

どかぁぁぁぁん！！

　轟音と主に壁に大穴が開き、飛び散る破片と巻き上がる土埃と白煙が視界を塞いだ。あまりの衝撃に少年も無事では済むまい。しかし白煙が消えた時、壁の穴の向こう側に転がっているであろう少年の姿は既になかった。
　穴が開くほどの力で、弟を壁に投げつける姉も姉だ。しかしそれ程の威力で壁に叩きつけられてなお、その場から逃走した少年もまた、大したものなのかもしれない。





「そういや、うちの壁穴だらけだったっけな」
　何度同じことを繰り返したのかは、もはや覚えてはない。しかし、その全てが今となってはいい思い出。
「…なわけねえだろ。いつかきっちりやり返す。待ってろよぉ」
　少年は走り続けた。目指す先、赤き地平が僅かに歪んでいるのが見えた。その歪みは、しだいに大きさを増していく。周囲の景色を飲み込んで、ただ赤く、赤く。
「赤き闇、ドラグナブーン…間違いねえ。てっきり嘘だと思ってたんだけどなぁ」
　そう呟くと小さく笑い、握る拳に力を込めた。

掛けられた声に気付き振り向いて笑顔を見せる。

思うところがある22歳。

懸念していた『混乱』が深まる事に溜息をつく。
その様子は、いたって”普通”であり違和を感じる隙は一切無いだろう。

「力があるからこそ目立って報告されている」のではないか、ということである。

『…気をつけろよ、少年』

そうチャチャカと意思疎通した直後、
サラマンの目の前にリレッタと共にある漆黒の妖精が虚空からその姿を現した。

——意志の疎通方法が見つからないが、気を配れば喉元に絡みつく様な威圧感を感じるだろう。

……それは、リレッタ達が振り向く間も無いほんの僅かな間の事だったろうけれど。

「皆の為」の一揆の最中にやるんだもの。　そういって肩を竦めた。

言うや否や、彼女の手元に黒い精霊が近づき、
闇から彼女の獲物である刃を潰した刀身の長い中華包丁を"引き釣り出した"　——！

当然チャチャカに当たらないように配慮はしてあるが、目の前を鉄塊がはしる！

【 1D100 = 80 ( 80 ) 】　100に近いほど、体感速度で早く感じる…。

自らの首元へ手刀を当てて。

しゃがみこんで、人形の束を眺め。