その日の目覚めは、太陽のない目覚めだった。
ベッドに横たわった身体を照らすのは、地下のぬるい明かりだけ。
それでもなんとなく朝だと感じられたのは、長年自然のリズムの元で生活してきたせいだろうか。
空気の方も相変わらずのぬるさで、不快とは言わないが、心地よくも無かった。
拝借していた毛布をぬるりと肩から落とし、寝ぼけ眼のままに畳む。
ぽんぽんと、服をはらう日課も忘れずに。

続いて目を覚ましてきた小さな友人たちに、アジュガは微笑みかけた。

きょとんとした表情で、アジュガは眼前のザントマンを指差す。
そして、流れるような作業でカリンカランが「人を指差すな」と叱ったあとに、二人の視線がザントマンに向いた。
ザントマンは相変わらず、読みにくい表情のまま、特に何も喋らないまま。
—今までと同じだ、何も変わりない。
カリンカランは嘆息する。

寝ぼけたままの頭で、その言葉を反芻する。
そういえば、そうだったような。
あれはきっと自分の夢で、自分はまだ夢と現実の区別がついていないだけなのだ。
早く頭を切り替えないと。
そんな思考ばかりが過ぎる。

ぼうとアジュガがそんなことを考えていると、二人の間にザントマンが割り込む。
そして、双方の顔を見た痕に、静かに首を振った。

頷かれ、カリンカランは沈黙する。

アジュガと会話ができたということは、どちらかが嘘をついているということになる。
アジュガが上位妖精語を話せる。
もしくは、ヴィツがふざけて適当な言葉で会話をしていた。

前者はまずありえないだろう、アジュガはそんなことをできる性格ではない。
そうだとしても、自分とアジュガが会話することが出来ているのだ。
多くの言語を操ることも出来る妖精もいるが、それはほんのごく限られた妖精のみだ。
オベロンを筆頭とする、妖精を率いる妖精等がそれに当たる。
通常の妖精は、大いなる妖精の気配はなんとなく分かるもので、ベルエトワールからも、当然、アジュガからも、そんなものを感じることはない。
ついでを言えば、ヴィツだってあくまでも通常の上位妖精に過ぎない。

かといって、ヴィツが嘘をついている様子も感じられない。
嘘をつく必要性もないし、こんな嘘をついたところで微塵のメリットも彼には無い。
それでも嘘をつきたいのだとすれば、それは相当に性格の捻くれた奴だということになる。
もしそうだったら石でも巻いてオアシスに沈めてやるか。
等と、思考が逸れだしてしまっていることに気づき、カリンカランは再び頭をひねる。

思考に溺れて、アジュガがこちらの方を向いていることに気づいたのは、暫くあとのこと。
ああ、と声をあげて、それに応えてみせた。

ヴィツの上位語は、まじない言葉だった。
上位言語の中では、時と場合によってはごくまれに通じることもある、そんな言語だった。

何故ならば、まじないさえ解けてしまえばそれはただの言葉と同じだ。
そうはいってもそう簡単に解読できてしまっては、上位言語とは言いがたい。
これらの言語を解読術で読み解くことが出来るのは、相当上位の魔術師のみ。
つまり、それはほぼ不在と呼ぶに等しかった。

ならばどうするのかといえば、まじないが自然に解ける状況を割り出す。
これが現時点では、一番確実なまじない言語の解読方法と言えた。
不思議なもので、これらのまじないには、確実ではないが効果が状況により、脆くなるものがあった。
何故かといえば、そういうものだから。
魔術とはたいてい、あやふやなものの集まりで、その法則を述べたところで、下らない戯言にしかならない。

釈然としない、とでも言いたげに、カリンカランは顎下をかいた。

その日の夜も、相変わらず太陽の気配は感じられなかった。
朝と同じように、牢屋の湿気た風が時折頬を撫でるだけで、不快ではないが、心地よくもなかった。

朝との違いは、時間を知るきっかけが身体のリズムではなかったことだ。
兵士たちの休憩所と思われる部屋を見つけ、その中でコツコツと音を刻む存在を見つけた。
時計だった。
アジュガはそれを初めて見たために、どういう用途の道具なのか理解することが出来なかった。
カリンカランが時刻を読んでみせ、アジュガはまた一つ賢くなった。
日時計しか読めなかったアジュガは、興味深そうにその機械の小箱を暫く眺め続けていた。

昨日との違いは、ふかふかのベッド。そして毛布。
しかしこれは一つ分しかなかった。
仲間がエンブリオを入れずに、九人もいるものなのだから、ここは譲ろうと思った。
元々草むらで寝転ぶことが普通だったアジュガには、ベッドの方さはさほど気になるものではなかった。
その代わりに、探索で発見した棚に入っていた薬箱を受け取ることにした。
治癒力の低い自分には無用のものだろうが、仲間たちにとっては手当ての必需品となる、貴重なものだ。

こつ、こつ、こつ。
時計が時を刻む。
十時になってもまだ探索は行われる。牢の出口は今日も見つからない。

こつ、こつ、こつ。
時計が時を刻む。
十一時にもなれば、今日の探索は全て打ち切られた。ベッドは一番幼い者に譲られた。

こつ、こつ、こつ。
そして、十二時。ぼぉん、ぼぉんとチャイムの音が、不気味に牢屋へ響き渡った。

騒がしくしないよう、皆が休む部屋からは少し移動した場所へ。
アジュガとヴィツがベッドに腰掛け対面し、その様子をカリンカランが眺める。
敵に見つかる恐れはあったが、明かりはつけたままにした。
もしこれで言葉が通じた場合、まじない破りの条件が、時間か明かりの有無か分からないためだ。
今日だめだったなら、明日条件を変えて試せばいい。

始めに口を開いたのは、ヴィツの方。

カリンカランは、たいそう驚いたように目を見開き、その様子を眺めた。
そしてただ一言だけ、ああ、と付け加えた。
その日の検証はあまりにもあっさりと終わり、それぞれはそれぞれの寝床へと戻っていった。

ベッドの中、カリンカランは先ほどの様子を思い出していた。
そして、それを本人たちには暫く伝えないままで良いかと、考えていた。

誰が想像できたであろうか。あんな。


* * * *

わざとらしく咳払いをひとつ。

漏れ出た笑みが瞬きの間に引っ込んだ。

この国の王のことだろうか。

少しの沈黙のあと、そう告げる。自分の胸に平手を置いて。

尋ねるどころではない、お笑い箱にされてしまうほどに抽象的な人探し。
探せるか否か、一揆の参加者だけでも多いと言うに。それでも。

キーリアは軽く手を振り、去っていった。

ハルは自嘲とも取れるような苦笑いを浮かべ、再び目線をアジュガに合わせる。

「僕にそういうことはよく分からないな」と呟いた後、口を噤む。
ハルの元気は少々なくなっているようにも見えるかもしれない。

トガノがハルのポケットから一輪のネクターを取り出し、皆の目線の前に置く。

ハルは花を見る傍ら、どこか焦点の定まらない目線を彷徨わせている。