ザントマンとは、睡眠を司る、羽を持たない妖精である。
彼らは眠気を呼び寄せる砂を持ち、それを用いて人間を眠りに誘うと言われている。
夜更かしをする子供に、ザントマンがくるぞと脅すという可愛らしい風習もあるのだが、彼らが人々を眠らせる方法は、目の中に砂を入れるというものなのだから、子供にとってはたまらないだろう。
それならば、普通に寝るほうがましだとなり、良い子たちはベッドへ潜るのだ。
姿については、老人の姿だとか、姿が見えないだとかと、適当に伝えられている。
早い話が「よくわからない」。
そして、そういった妖精の大半は、虫に似るカリンカランと同様、それぞれの姿に個性があるだけだったりする。

メルンテーゼのザントマンは、おおむね少年の姿をとっていた。
アジュガが先日契約を果たした彼もその例に漏れず、ごく小さな少年のような姿をしていた。
長い白い髪を一つに纏め、獣の耳。
そして、青く光る大量の砂を一まとめにする袋を持っている。
後姿だけを見れば、その髪色から、老人に見えないこともないのかもしれない。

彼はどちらかといえば、無口な男だった。
契約時も、二人に対して頷くばかりだったし、出会ってから声を発したためしが殆どない。
そして、地下牢へ移動してもいいかの確認を取るためにアジュガが質問したときに、初めてその問題は表面化したのだ。

カリンカランは頭を抱えた。
ザントマンもはじめは状況を理解していなかったが、周囲の言動を聞いて状況を把握した。

ぽつり。呟いた一言が全てだった。


妖精には様々な姿がある。
多くの者に好まれるのは、美しい衣を身に纏った、少女の姿に蝶の羽を持つ妖精だ。
実際には決して多いとは言えないが、少ないわけでもない。
特に、人々の暮らしに合わせて生きている妖精は、文化もそれに準じることが多いために、服を着る文化を持つ者は多い。
先日出会った犬耳の少年も、妖精とはそういうものというイメージを抱いていたのだろう。
実際には、もう少し獣に近いものから姿の見えないもの、醜いものまで、その姿は一定していない。

それと同様に、それぞれの扱う言語も様々だ。
単純に地域の差によるものの場合もあるが、言葉自体のレベルが高かったり、言葉自体にまじないがかけられていることがある。
それが上位妖精語であり、自然に近い妖精ほど、これらを扱う傾向が強い。
文化による言語差との決定的な違いとしては、下位の言語を司る者に彼らの言葉は分からないが、彼らは下位の言葉を理解することが出来る点である。
今までザントマンが、こちらからの質問に頷くことができたのは。
—そして、問題がここまで表面化してこなかったのは、このためだ。

それもそうだ、とカリンカランは肩を落とす。

アジュガの話では、彼女とベルエトワールは会話が成立していた。
彼女が妖精語を解読する技能が身についたのは、恐らく、ベルエトワールの血が混ざったせいである。
つまり、ベルエトワールは上位妖精語を扱える妖精ではなかったし、また、アジュガも扱うことはできないのだろう。

そのまま何度か会話や解読を試みようとしたが、どれもこれもまったくだめだった。
相手に同じ内容を話してもらっても、こちら側で聞こえる音が変わる。
もしかすると、言葉にまじないがかかっているタイプの上位言語なのかもしれない、ということまでは分かったが、そんな情報は意思の疎通にはてんで訳に立たない。
カリンカランも、多少は相手を欺くまじないを心得ていたが、妖精に化かされる人間の心情というのはこういうものなのかもしれないと、疲労まじりに思うばかりだった。

三人で頷きあい、地下への入り口へと続く。
先ほどまで肌を焼いていた太陽は今はなく、それでも地下からの蒸しあがった不快な風で、その存在を思い知る。
そのまま暫く進むと、湿度は残るが暑さはなくなり始め、すんと涼しい地下の空気が肌を擽った。
地下労。人工物。
そこは既に、王城の中であった。

夜半。

僅かな戦闘はあったものの、基本的には砂地にいた頃とそう変わらない。
調子よく進めていることに、騙されておびき寄せられているのでは？という疑念すら抱くが、あのトキサメという忍がなかなかの手練であったことを考えると、本当に警戒が薄いのだろう。
あれを打ち倒して、ここから進入できたのは、運が良かったのかもしれない。
しかし、それでもいずれは気づかれる。

休息が取れるべきときには、惜しまずに休息は取りたかった。
牢屋に備えられていた、簡素なベッドと毛布に包まり、目を閉じる。
傍らのカリンカランは、既に寝息を立てていた。
体の小さな彼女は、人間よりもずっと、体力の消耗が大きい。
人間でも疲れる距離を毎日移動してきたのだ、ゆっくり寝かせてやるべきだろう。
そしてもうひとりの妖精、ザントマンは—眠ることなく、ぼんやりと牢屋の明かりを眺めていた。
気づいたアジュガが、身を起こす。

とろんとした瞳を擦りながら、ベッドへ誘う。
誘い方は丁寧であったが、ぽんぽんとベッドを叩く動作を見れば、子供に対するもののようにも見えたかもしれない。
ザントマンは一通りその動作を眺め、そして。

明瞭だった。
昼間のやり取りが、嘘だったかのように。
眠気が全て飛んでしまった、とでも言わんばかりのアジュガの表情を見て、ザントマンは怪訝な表情を浮かべる。
それをなんとか伝えようと、アジュガが片言で、言われた内容を復唱した。
答えは、正。

状況を理解したザントマンが、早口にアジュガへと伝える。

そして、それ以降はどうあっても、彼の言葉を理解することは叶わなかった。
あれは夢だったのかもしれない。

牢屋の湿気にあてられた、自分の夢だったのやも。

それは率直な感想だった。
正直、いる場所だけを根拠に一揆の参加者と聞いて悪かったとも思った。
そんな彼女が『理由』という言葉を口にしたのにも、私はまた驚く。

別に異世界人だと明かしても、この戦いの中で困る事は無いだろう。
彼女もまた私と同じ境遇なのかもしれないし、違うのかもしれない。
踏み込みすぎとも思ったが、普通のように見える彼女の『理由』が気になった。

と、続く言葉に私はほんの少し面喰らった。
まあ社交辞令だろうが、直接そういう事を言われた経験はあまり無い。

ひょいと現れた妖精がすかさずツッコミを入れる

少し、間を置いて。

（自らを「そんなに珍しいか？」と問うあなたの友人の“思いがけない行動”に驚く青年。
しかしそのあとに続く言葉で合点がいったのか、頷きながら言葉を返す。）

（エンブリオは全て、モノの形としてヒトに力を貸している。
種明かしをするとそんな間違った認識からあなたの友人を“珍しいエンブリオ”と……あなたを一揆軍の上層部の者だと勘違いしたようだ。当然ながらあなたの心臓となっているエンブリオのことなど、気付いているはずがなかった。）

（だからどっちかっつーと兵士というよりは、傭兵かぁ？
そうおどけながら青年は言葉を続ける。）

香りの源が自分だろうと告げられれば、暫し色の違う双眸で彼女を見遣り。

それからゆっくりと口を開いた。

途中、言葉を引き取ってから幾許かの後、

それだけ加えた。

じいっと見つめた。

ぱちくりと眼を瞬かせた。