Side:C　幕間の世界

　螺旋を下り奥深く、もはや光も音も僅かにしか届かない。
　そんな幾重もの地下階層にも、ただ整然と、あるいは雑然と、本は並び積まれている。
　いっそ息も詰まってしまいそうなほどの静謐の中、腰かけたのは書架の隅の簡素な物置で、机上を照らすランプを隣に置きやって。
　ほんのりと温かな光が惰眠をむさぼる合図となる。



　　　チ　、　　コ チ　、　カチ 、 コチ



　　　　　……　　　　　ッ　、　　　　　　　カチ　　
　

「……？」

　映像も音もない、瞬きの間に流れた様な、とても短い夢の端に、時計の発条仕掛けの鼓動を聞き———眼を開けた。
　だらりと椅子に凭れて天井を仰ぎながら、眠り呆けていたらしい意識と瞼を起こす。

「………」

　乾いた舌の根が喉にへばりつきそうになって、覗けた首がこくりと咽頭を上下させる。咥内に残った僅かな水気を嚥下したがる。
　しかし天井を仰いだままの姿勢では如何せん、飲み干すと云う行為すらまともにこなせそうにはなかった。
　肌寒い空気が顔に張り付くよう、そして寝起きで渇いた紫水晶の瞳を刺すように染み渡らせる。思わずと薄く開けたばかりの瞼を瞑って眉を潜めた。
　くあぁ、と舌根の渇いた口がさらに渇きを齎す。空気が入って来れないよう、はしたない真似を誰にともなしに見せないよう、欠伸をしてからのびを一回。そしてくたりと体を深く椅子に預ける。
　眼前におきっぱなしにしていた、古びた本。そういえば探し物の途中だったと想起する。

　ふと古紙をなぞる指先は、肌寒くなってきた季節も相まっていやに白い。いっそ骨色と表す方が相応なもの。俯きながら文字を追う、その顔にも色は薄い。
　音もなく灯る炎をたよりに、視線はただ、インクをなぞる。


　———そこへ静寂に包まれる空間に響かせた、踵を鳴らす音。
　コツリ　コツリと規則的な間隔は入り口付近から徐々に内部へ。

「……珍しい来客だ」

　これは珍しいとばかりに偽を見て息を飲む。中央の開けた空間。机と椅子が向かい合う場所。その一つに、酷く気怠げに寄りかかる女の姿。独り言にも似た声は、その偽者の背中に向けられてもいた。

「こんばんは。おはよう《リリス》」

　当たり障りのない宵と明の挨拶でも続ける、司書のネームプレートを付けた男。

「……ん　　　ぁ」

　さかさま世界の瞳に映る彼の人。椅子にもたれかかって首をもたげる。
　気怠さに憑かれて重たげな頭を起こし、背凭れから背中を離した故に。

「……こんな夜中でも司書さんはお忙しいんですね」

　後ろの正面だーぁれ？　……なんて問う間も無い。いたのは見知った司書の男。いつもいる図書館に深夜勤をしている青年。
　逆さに映った碧の双眸を、やや微睡みがちな紫水晶の眼でじっと眺める。
　振り向く、というよりは。仰ぎ見られる、その視線とかち合わせていた男は溜息を付き。

「そうだな。大方貴様のようにぐぅたれて眠りこけるホームレスなぞがやってくることも儘あるから、その対策だ。オープンな世界とはいえ、一応マナーはあるからな」

　なんて、ゆるりと首を傾ぎながら。

「まさか本当に眠りこけにきたわけではあるまい？」

　問いを重ねた。

「そういうわけではありません。探し物をしてたら眠く……」

　書架の迷宮の中に見つけた、色とりどりの小さなおうち《本の海》は、目覚めたばかりの視界には不思議とよく映えて映る。

「それで、お目当ての本は見つかったかね？」

　海の傍の砂浜で眠りこけた御人は首を横に振る。見つからない合図。同時に頭を覚まさせるための運動を。

「記録なら幾らでも探せば見つかるものだろうが……そうではないのか？　史学とてその中にはあるが」
「少し……違うんです。別件で探さなければいけない人がいて。その人の記憶の記録が無いか……と」

　両目の中心をとんと突きつつ、ようやく潤んだ眼も正常に認識し始める。
　甘ったるい紫と桃色の中間色の髪に触れる。
　男はその合間に偽の傍に寄り、本を一冊片手に。

「調べるのは結構だが、元合った場所にはちゃんと返しておけ。
　……行動録もそう多いものはない。お前の云うその人物を探そうにも、見つからないのではないか。よもや望み薄だ。そうした行動録は現在の我々では調べ尽くすこともほとんどない」

「そう———ですか」

　図書館は静寂だった。2人の良く通る声。そこには誰もいない、図書館内に響き渡る声。掠れるウィスパーとテノール。
　望み薄なのは理解していた……だから、今回はあまりに手がかりが無さすぎていた。

「悪魔に魅入られた樹木。《リリス》はそう言っているんだったな。世界を渡って世界を調停し、願いを汲み取る使い魔。王の元で働く10の指先と、4つの川の船頭……」
「そう、仰々しく大層なモノではないです。私達《使い魔》は指先に過ぎませんから……手足、腕であるあなた方とは立場が低いです」
「……それで、今回も役割をこなすはずだったのだろう。其れが一体どうしたのだ」

　ゆっくりと振り向く動作を紫水晶に映して、かち合った視線。とろりと蕩けるよな紫の眼。
　まだ、眠たいのだろうか。微睡んでいたいのだろうか。

「ここと、他の分割世界と呼ばれる場所に迷い込んでしまって。他の世界へ向かう事が出来なくなりました。加えて呼んだ人の傍に行けず10日が経って迷い込んでいます」
「——あてはあるのか」

　宿のこと、人のこと、探し人のこと、それ以外の危険性のこと。
　偽が云った言葉に眉をひそめて問いかける。暢気な態度だが、それは彼女なりになにかした結果と痕であることを理解しての発言。
　諦めがついたかのように気力が風船みたいに抜けた彼女を、心配する口調ではない。ただ「続けられるか」という意味のみを込めている。

「まだ何も……これから探して行きます」

　ふるると首を横に何度か振って答える。大柄な彼を見上げて偽は、

「でもせめてできるだけ多くの願いを……約束を終えてから戻ります。それまでは一人おめおめと帰れませんから」

　へにゃりと未だ眠たそうな眼を緩ませて笑ってやる。
　男は勝手にするがいいとばかりに諦めたかのように肩を竦めてやる。
　その図書館の灯りは点いたまま。例え黎明が回ろうと、その空間は灯を照らし続ける。閉館しない館内は、司書たる彼が手助けする真似もなく。
　偽はまた眠りこける前に黎明の言伝を告げる前に帰るよう、出しっぱなしにしていた図書を戻す作業に移り始めた。





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Side:A　導きの世界

「偽ちゃん、暴漢に襲われたんですって！？　誰にやられたの！」
「まぁまぁシトロンちゃん　落ち着いて」
「だ、大丈夫？　まだ怪我治ってないみたいだし。あたしのとっておきの蜂蜜上げようか？」
「……」

　街にもっとも近い、川の上流をパーティの合流地点としていた。片やユニコーン、片やホワイトタイガーを連れてやって来ていた時はまたすごいものがエンブリオになっていると驚嘆したが。
　辻斬りに襲われたのは水辺の深くなる所だったため、少しでも安全なこの場所ならまた襲われることもないだろうと踏んで。
　既に髪を染め直して、体も綺麗にして、会う準備は万端……とは言いがたい。
　植物の恩恵たる光合成で体力、気力を1日で回復できたものの、外相だけは人間のソレである為完治はできなかった。
　所定の位置で待っていると彼女達がやってきた。口々にどうしたのか、大丈夫かと問われ、まだボロボロだったこともあり正直に伝えた。
　伝えた直後言われたのがこれである。
　河原に座り込み、ほぅ、と息をつく。

「落ち込んだ時はハチミツを舐めれば元気になるよ」

　えぇ、蜂蜜押しは良いんですけどね。甘いですけどね。
　肩を竦めて苦笑を1つ。狼狽えるミィナを諭すような声を。

「ありがとうございます。でもお気遣いは……気持ちだけ受け取っておきます」

　にこやかに笑って返す。
　負けた事が悔しいわけではない。
　ただ預かった蒲公英もPSも、挙句栽培していたネクターさえ根こそぎ奪われてみんなに迷惑を蒙ったことが申し訳ないだけで。

「ねぇ偽ちゃん。どんな人に襲われたか分かる？」

　雪火女は手配書をすっと見せ、その紙束をひらひらと視界に入れるよう注視させる。
　ルリアンナから貰ってきたものらしい。手配書の人物の人が襲ってきた者の可能性が高い、という。
　彼女は偽に寄りながら「これ？　それとも……」と紙を捲って行く。

「このひとです」

　やがてぱらぱらめくる手を止めて指差すと手配書を抜き取った。海慶という渋い顔をした男性。辻斬りに間違いない。

「この修羅みたいな厳つい顔をしたオッサンが偽ちゃんを襲ったのね！！　分かったわ、ちょっとぶっ飛ばしてきましょう」
「だから落ち着きなさいシトロンちゃん」

　手配書に目を凝らしていたシトロンは跳ねあがるように踵を返すと、川の方へと歩いて行こうとする。
　そこへ雪火女が呼びかけ、ミィナがシトロンを引っ張って止めた。

「そうだよ。喧嘩はダメだよ〜」
「これは喧嘩じゃないわ、粛清よ！　それにまだ水辺にいるかもしれないわ。ふらふら歩きながら斬っているならそう遠い所に行ってない筈よ。だから探し出すなら今よ！」

　冷静に分析できるが冷静でない様子に、肩を竦めると落ち着いt貰う様提案を挙げる。

「今回の進行は……新しく道を見つけた、ので……そこから迂回していきます。あの人は悪い事をして回ってますけど、悪い人ではない気がするんです」

　とうとうと続け、立ち上がる。

「だから辻斬りの人のことは責めないでください。彼はいずれ誰かが捕まえるでしょうし……危ない目に合わせたくないです」

　あるべき場所へ。元ある場所へ。勧善懲悪が仕事するとは限らないが『オーソドックス』な世界であるこの場所なら、いずれその道に繋がる可能性もある。
　裁かれる人はいずれ裁かれるジンクス。けれど上手く逃げおおせるかもしれない。
　そうなったらそうなったで良かろう。それに今回のことは単に運が悪かったんだ。そうだと、考えるんだ。
　そうコントロールしないと深みに嵌ってしまう。
　シトロンは複雑そうに眉を顰めながらもヒートアップを解いてくれた。

「……また、後ほどちょっと別件で出掛けに行きますけど。……その時までまたよろしくお願いします」

　皆々様、役立たずのクズを心配してくれてありがとう。


PTMのミィナさん(503)とシトロンさん(556)と雪火女さん(599)をお借りしました。また、名前のみ海慶さん(527)をお借りしています

この後起こる展開を、彼女はまだ知る由もありませんでした。

それは自身の理解の及ばぬことで小さく首を傾げる。

理由。

ぐっと呑み込んで苦笑を返した。

口振りから、どうも手のかかる妹くらいに思っている様であった。

口でそう言いながら魔力をザッと見るが、特に変わった点は見当たらない。
ただ、それだけで終わらない気がして、もう少し詳細に調べるべきかを少し悩んだ。
初対面の相手に、それも術師相手に、それは失礼ではないだろうか？
自分は立場上、仕方ないとも思えるが、本来なら人のプライベートに踏み込む様な行為に近い。
容易くできるからこそ、あえてそういった「良識」を重んじていた彼女にとっては、あまり軽々しくできる事ではない。

ので。

駆け引きなんて知るかとばかりに、ストレートにお願いをして来た。

納得したようだ。

どうやらシトロン以外にも一緒にいた人がいるようだ。

そういうと掌を偽の額に当て始めた…。

（私の知らない偽ちゃんの姿が見えた…白い彼女…？）

（そして噂の人狩りであろうと戦っている姿を見ている）

（明らかに不利な状況を見ている…）

（そして倒れた姿を見た…）

彼女は涙を流し始めた…。今まで見せたことないであろう涙を。

泣きながら怒り始めた！

そして…

もたれかかって号泣したのであった…。
今まで見せたことの無い彼女の姿があった…。

理由になってない理由である。

ちょっと口を滑らせちゃったかなという表情

情けない、と息を吐く。

　

　勿論言われるまで全く気付いていなかった。とてもわかりやすい。

　

闇色の気配を漂わせながら、前衛に立つ

一体のナイトスピリットを見つめている。
ちょっと様子がおかしい。

伏したエンブリオ、ナイトスピリットを見て驚いた顔をしていた。