ディアリアドとクローシェの持ち帰った情報は、正確だった。
　再度合流した７人。
　パーティの中心である魔異を除き、弓使いであるユパックが新たに合流した。
　挨拶を早々に済ませ、一同は簡易的に引かれた図面に顔を寄せる。
「……二手に分かれよう」
　呪術師の最初の一言は、端的だった。
「……この作りなら、あと２つか３つ、侵入経路があるはずだ。恐らくは、平原からと、水辺から。或いは森にもう一つ考えられる。兵舎を迂回するルートと、この地下道、調べてみる価値は、ある」
　細い指先が、指し示す先。地図。幾つかの点と、線。
　まるで、実際に幾つか城を見てきた経験があるような口振りだった。
「庭園を経由するルートは、目星が付いてる。僕とアリシロとメィレーが向かおう。ゲオルグ、君はルド達と合流してくれ」
　一つ、二つ。呪術師が点を指し示す度に、線が指先で繋がっていく。
「……きっと、君の『目』が必要だ。君は『いい目をしている』からね」
　薄っぺらい、微笑み。呪術師は、相手の顔を見る時、瞳から視線を外さない。
「心得た。水辺から地下牢に入る道はこの前襲撃してきた暗殺者から聞き出してある。案内しよう」
　最初に呪術師の言葉に応(こた)えたのは、ゲオルギウスだった。
　簡潔にそれに続く一同に対して、彼の声は、僅かに昂ぶっているようにすら聞こえた。
「ネクターを独占する王の、表には出せないものを監禁しておく地下牢……」
　呪術師の真っ直ぐな瞳を、避ける事無く見つめ返した銅色の視線。
「……何が見られるのか実に楽しみだな」
　その中に、恐怖は少しも無かった。
　あるのは、僅かばかりの好奇と、まだ見ぬ物への、期待だけ。
「……成る程。やっぱり君は、寸分の正気もなく、学者だよ、『ゲオルグ』」
　微笑みを崩さないまま、呪術師が頷いたのが、合図。一同は疎らに立ち上がり始める。

「……大丈夫だよ」
　解散の間際。
　立ち上がった呪術師の唇から零れたのは、そんな言葉で。

「別に、『言葉』は、選ばなくても良い。君達くらいに、『力』と『心』を持った人間なら、思った事を言葉にすれば、それがそのまま『想(のろ)い』になるから」

　それじゃ、頼んだよ。と。いつも通りの言葉を残して、呪術師は背を向ける。
　しゃなり、しゃなりと歩いていく姿は、まるで何かに引き擦られるようにも見えた。
　結局誰も、この場に居ないパーティの中心人物に関して、言及する事は無かった。
　二手に分れ、数刻程歩いた道中も、それは変わらなかった。
　無言で先を急ぐように歩くメィレーも、飄々と歩を進めるソルトも、堪(た)えるように押し黙り、それに続く冬花も、彼の名前を口にはしなかった。
　或いは、それは彼に対する『信頼』なのかも知れなかった。

　やがて、三人の前に庭園が広がる。
　華やぐ生垣に囲まれるように、聳え立つ城。
　立ちはだかる、巨漢。
　男は快活に笑い、自らを「ブランチマン」と名乗った。

「この戦に何を求める若造よ……その意志の強さ、力で以って示してみせよッ！！」

　怒号が、空気を揺らす。
　空気の振動が庭園を駆け抜け、顔を伏せた女の、桃色の髪を揺らす。
「……お前……人間、ね」
　女は、問いには答えなかった。
「……『また』立ち塞がるの？……愚かね。今度こそ、絶対に、負けない。絶対に———絶対に」
　虚空から、取り出した鎌。
　その中心、紅。巨大な、『瞳』。
　それが、眼前の男を、ぎょろりと、確かに睨み付けた。
　だが、それすら、顔を上げた女の殺気に比べれば、最早『付属品』でしかあるまい。
「言われなくても————燃やして、燃やして、燃やし散らして……『灰にしてやる』！！」
　魔術師の『呪い』が、怒号を押し返すように庭園を圧し潰す。
　その瞳は、紅く燃えていた。
　声すらも熱量を持つかと思える程の殺気の中、今にも死闘の火蓋が切って落とされようとした庭園の空。



————そこに、一陣の風が吹き抜けた。


　何かが、上空を通り過ぎた気がした。

「……メィレー。気合が十分なのはいいが、やり過ぎるなよ」
　
　其処には、黒い背中があった。
　破れ、解(ほつ)れ、襤褸と化した学生服を翻し、三人に背を向けた、少年の姿があった。
　ゆっくりと、振り返った顔。
　其処には、光の軌跡を描くように、蛍火に輝く、緑色の『右眼』があった。
　
「——呪術師。今は俺に力を貸せ。その代わり、俺はお前を『傷つけさせない』」

「……いいよ。『マコト』？　君に力を貸そう。君の支払う対価は、何時だって望むものに見合っている」
　呪術師は、当たり前のようにそれに応えた。
「……『追加契約』は、成立だ。『七つ目』。メィレーの『怨み』も合わせれば、そのくらいで十分だろう？」
　真っ直ぐ、見詰め返す視線。
　まるで、『最初からそうなる事を知っていた』みたいに、その顔には、常の笑みが貼り付いていた。
　踊る、指先。虚空を描いた先、少年の、横顔。

「……『力』を示せって言うなら、そうするさ。その為に俺は此処に来たんだ」

　その姿には、覚悟があった。
　一瞥し、振り返り、再び眼前の敵に『瞳』を向けた、少年の『意志』があった。

「冬花。こんなことを言うのは図々しいって分かってる。……でも、許されるなら、もう一度だけ。俺を、信じてくれ」

　その声には、確かな『力』があった。
　仲間に背を向け、敵に立ち向かい、胸元のネックレスに手を宛てた少年の姿と『瞳』があった。

「……あなたが、それを望むなら」
　少女は、その背中に応える。
　その視線の先。胸元に手を宛て、想いを紡ぐように、見据えた先。
　少女が待ち望んだ言葉と共に————



「あなたが、同じ望みを重ねてくれるのなら、私は──私自身の弱さも、ぬりかえて行ける」



　————柊魔異が、其処に居た。

感じる違和感の正体に、今の彼女は気づけない。
笑みから、仕草から、感じるものに目を向けない。
恐れを知らないのではなく、ただ警戒心が薄い。
歓談は続く。

前例の無いことに対しては無知であり、自分の魔法以外の障害に対して無学。
だからこそ彼女は恐れず、疑わず、決して行動を躊躇わない。

頭を下げ、ずり落ちかけた帽子を押さえる。
頭を上げ、ずり落ちかけた帽子を引っ張る。
言葉に引きずられるような感覚。それは常に感じている違和感とはまた違う違和感という違和感だった。

ここまで特徴的な人間を間違うようなことはないと思うけれど、実際に会ったことがない以上、その可能性はあったから。
ひとまず安堵の息をつく。

覗き込む灰色を、見つめ返す。幾度か言葉を出しかけては呑み込む、という動作を繰り返して。
意を決して、声を発した。

人間、人間、人間—————。
立ち塞がるのは、これで四回目よ。

柊魔異。──私にとっての、祈りの花。
いつの間にか、離れ難く思っていた。
差し伸べられた温もりを、等しく返したいと。
守られる事の方が、多いのかもしれない。
また己の無力さに打ち拉がれるかもしれない。
それでも私は、もう自分の歩みたい道を、見失ったりはしない。
あの日、微笑み返してくれた眼を、握り返してくれた手を、覚えているから。
この血は、この眼は、あなたが許してくれた事で、再び生き始めたのだから。

気付いたのは、先の戦闘の最中。
今は漂うように凪いでいる『風』へと、掬うように手を伸ばす。
──彼のそれと、同じ色。

　　　　インコが


　　　　　　　　岩石を



　　　　　　　　　　　　ぶん投げる！！

　流した！！