嵐のようだった水辺には、今や元の静けさが戻っている。
元の騒々しさを示すのは、女神像の前でちゃぷちゃぷと音を立てている水面のみだ。
その揺らぎが、映る複数の黒い影を乱す。
パーティの眼前には、大人しく頭を垂れ、跪く六体のナイトスピリット。
先ほどの荒々しさは最早見られず、皆微動だにせず、揺らぎながら静止している。

差し出される、紅い花。
契約と約束を交わす証。

花は差し出され、全ては終わりを告げた。
ゆるゆると動き始める、黒い影たち。
三は我々と共に、三は別れを惜しむように日の光へと霧散してゆく。
三人の仲間がナイトスピリットと契約する様子を、アジュガは遠くから眺めていた。
その輪に加わることなく、ただただ、眺めていた。

そして水面は、再び静止し女神を映し出す。


* * * *


戦闘後、いつものように探索が行われた。
再び王城への入り口を探すために、また有用な道具を探すために。
今までと流れは変わらなかったが、その気分は以前とは随分と違う。
長らく過ごした地下の性化tると違い、頭上にはきらきらと日の光が注ぎ、それらを反射する水のきらめき。
そして足元には花が咲き乱れ、好い芳香が気持ちを緩ませる。
誰のための女神か、そんなことは今やどうでもいい。
ただ心地よい、その言葉で十分なほどに、女神の園はきらめきに満ち溢れていた。

そんな中、一人だけ浮かない表情をしている者がいた。
アジュガだった。
彼女の様子に気づいたカリンカランが、探索を中断し、小さな羽音を立てて少女の下へと飛んでゆく。

それだけ言うと、アジュガはスカートをめくり上げた。
その動作に、カリンカランは注意を入れようかと思ったが、そのままアジュガはブーツを脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てる。
そこにあったのは、真っ赤に腫れた右足。

—とても歩けそうにない。
一目で分かった。

その言葉に、こくりと頷く。
まるで楽園のような女神の園に、不釣合いに刻まれた爪痕が、先ほどの戦闘の激しさを物語る。
普段、アジュガは弥千代と共に、ガノエルやチャンダナに守られていたが、その余裕も無いほどだった。
息もつけぬ波のようなブラックランプのラッシュ。
自分も必死であったし、皆も必死であった。
少し気を抜けば、進むことすらできないほどの。
—ここは彼らの住処だったのだろう。
余所者を排斥せんとする、動物の持つ本能に、愚王を討つ志などは微塵ほどの価値もないものだった。

カリンカランはアジュガの白いままの左足にちょこん、と乗ると同時に、何かを差し出す。
花びらのようで、それよりも硬質に光るそれ。
桜貝の破片だった。

そういうと、ヴィツはアジュガのスカートを伝い、その古めかしい煉瓦作りの水路から地へ降り立った。
相変わらず、彼の紡ぐ言葉の意味は、カリンカランには全く理解ができない。
それでも、過ごした日数もあってか、意思疎通は以前よりは楽に取れるようにはなっていた。
その小さい背中が、もっと小さくなってゆくのを見送ってから、カリンカランはアジュガへと向き直る。

そっと、右足の腫れた箇所に手をあててみる。
痛むのか、アジュガは顔をしかめ、その白い足をぴくりと動かしてみせた。
それを一度見やってから、再び患部を確かめるように、ぺたぺたと触る。

そう言うと、カリンカランは左足から右足へと乗り換え、じっと患部を眺める。
片手で触れていた手を、両手に増やし目を閉じる。
何か集中するようにぶつぶつと何かを唱え、やさしくその腫れを指先でなぞる。
と、その掌が淡く光り始め、その箇所をゆっくりと癒してゆく。

カリンカランの脳裏には今、二人の少女が浮かんでいた。

一人は、白藤色の長い髪を持つ少女。
ある日忽然と丘に現れ、そして誰に指示されるでもなく、花の世話を始めた妙な少女。
不慣れな手つきで種を飢え、草を刈り、根を食んで生きたその奇妙な少女は、日に日にどんどんぼろぼろになっていった。

今思うと、彼女に話しかけたきっかけはそれだったのかもしれない。
もう二度と、人間に関わることは無いと思っていたのに。
自分の性質には逆らえない。
傷だらけの身を癒し、それらに対処するための術を教えた。
花の種類とそれらの手入れの方法を教えた。
今得思えば、そのときに既に娘のように思う情は抱いていたのかもしれない。
この危なっかしい、丘の守り人には。

そして、もう一人は—。

微笑みながら述べた。

自分と同じように、この子にはこの子の性質がある。
しっかりしろと言っているのも、半ばもう定型句のようなもの。
少女の命が散るのが人と同じ程度なのか、ベルエトワールが在る限り散ることはないのか、それは分からない。
それでも、自分が先に彼女を置いて逝くことは、まずないのだから。
世話を焼ける限りは、喜んで世話を焼こうとも思う。

二人で微笑みあう。
ものの二十分もすれば、アジュガの足は完全に癒えていた。
そして戻ってきた仲間たちに、手を振って駆け寄っていくのだった。

奪い尽くされたもの。ネクターをその人々は求める。
大半がそうだが、あるいは蒲公英、桃、菫……それらも求める人がいる。
奪われたのはネクターに限らず、それらもあるのかも、と。

花守の令嬢に呟く。花と同じ…変わらないあなた様ならきっとそう。

深々とお辞儀をすると偽はアシュガに踵を返し、

人往く道の中を歩いて行った。

本を取り出し…調べてるようだ…

どこか口調が弱々しく、表情も沈み気味だ。

トガノが軽く突き出すような形で少年の背を押したらしく、
少年は少しよたよたしながら一歩前へと出た。

シオンと名乗った少年はどこか弱々しさを放ちつつも、この世界についての疑問を2人に問い始めた。

カカカと笑いつつそう言い放つ。