洗濯物がたまってる。
料理は全部リレッタさんに任せてしまってる。
今日やる予定だった廊下の掃除だって出来てないけど、でも今日は部屋から出れずにいた。

クリス君と一緒に街中で襲われてから一晩経って、それでもあの日の出来事を私はずっと引きずっている。

勿論、襲われた事もショックではあったんだけど。
それ自体よりも、……賞金首、として扱われていた二人の事で。


指名手配。


つまりは、何かしらの犯罪行為をしたってことで。
ああ、でも警察みたいな団体がないんだったら、じゃあ誰がそういうの取り仕切ってるんだろ。
この世界にきて結構最初の方に会った、やたら色んな人と腕比べしてたあのオジサンとかお姉さんとか、ああいう人が取り仕切ってる……のかな。

悪い事って何したんだろう。


泥棒？
コソコソと隠れて人の物を盗まないといけない程までお金に困ってるイメージはない。

暴行？
グリゴリさんは確かにちょっと怒りっぽいけど、忍者っぽい恰好や鎧をきた兵士さんとかを殴りつけたりが罪だっていうのなら、もっとこの場所は賞金首まみれになる。

殺人……？
そんなの考えたくもない！
人を殺さなきゃいけない理由、そんなの持ってるような人たちに見えない！
理由がない快楽殺人犯、とかなんだったら、……身寄りのない私なんて、……いい餌だろうし、これもない。絶対ない！

……じゃあ、見間違い、とか？
そんな楽観的になれるほど、私の目って悪くない。


直接聞いたほうがはやいのは、もちろんわかってる。
クリス君ならちゃんと答えてくれると思う。
やむ終えぬ事情、っていうのがあるかもしれないし、本当に見間違いかもしれない。

でも、もし、もし、本当に悪い人だったら。
本当に快楽殺人犯とか……想像もつかないぐらい悪い人だったら。
そしたら私、どうすればいいんだろう。

最悪な妄想は、勝手にすすんでしまう。

だって、もし、本当にどうしようもなく悪い人だったら。
この世界の理も言葉もろくに知らない私はともかく、マァムブに住まうみんながそれを知らないわけがない。
知ってるのに、悪い人だってわかってるのに、あんな平然と暮らしている状況なんて、はっきり言って異常だ。

もしかして。
もしかしたら、グリゴリさん、カミユ君だけじゃなくて、
そう、……みんな、みんな……私以外、みんな、悪い人で、狂ってる人で——



どうしよう。
そんな筈がないのに。

グリゴリさんはこの世界に来たばかりの私を、変な男の人から助けてくれた人なのに。
クリス君だって、右も左もわからない私に、一から言葉を教えてくれて、買い物にだって付き合ってくれる優しい人なのに。



”疑え”　”見ろ”　”考えろ”



そう、言ってくれた人の言葉と私はまだ向き合えそうになくて。
疑いたくない。辛い真実なら見たくないし。……考えれば考えるほど悪い方向に向かって、思考を、——閉ざした。

昨日受けた頬の傷を隠す為のガーゼを、ぺり、と剥がす。
一晩しっかりと休んだのだから頬の傷は綺麗に癒えて消えているはずだから。

さあ、……いつまでも部屋に引きこもってないで、……洗濯物ぐらいは、せめて、ちゃんとしなきゃね。



それが、問題の先送りだって。
そんな事はわかっていたけれど——。

フョードルの様子を気にしている。

ぱたぱたと手を振ったことから否定は読み取れたペンギン

パタパタ。きっとこれだ！と言葉がわかった気がしてテンションが上がったペンギン。

はやい話が、正義のいつものお節介である。
しかしこうして元の世界に帰る方法を探すのは彼女だけではないことを正義は知っており、元の世界に帰る方法を探す者に可能な限り協力できればという考えはあるようだ。

全く考え付かなかった。商人の機転とは何だったのか。
思いつくのは同じ"商品”に試したあの作戦。
しかし今は七輪がない。食べられそうなのは……

掌を見せて制止のお願いを動きで表現しつつ、保存食代わりにつっこんでおいた塩こんぶを取り出すのであった。やや粗い紙で無造作に包まれたそれを解くと細長いものをひとつ差し出す。違う世界の人間から最初の印象が芳しくない品だが……

これでダメなら煮干しかない。どこにこんなもので喜ぶ女がいるのやら。水飴でも持ち歩いておけばと悔やむばかりである。

小さく、隣の人に聞えるかどうか、といったそんな声。
震える手をぎゅ、と握り締めれば獲物を構え。
不安げな表情を無理やり内へと押し込めれば、顔を上げた。

刃を構えるのをやめれば、はああ、と深く息を吐いた。
自分が無事なことに、仲間にも致命傷がないことに心底安堵をする。

倒れた相手に近寄れば、傷の度合いを知るために声をかけようとして——
問いかけは、途中で止めた。

ふるり。首を横に振る。
そのまま、結局何も言わずにその場を去った。

足音がする。
気配を隠す気もなく、臆する事もなく。

堂々と、それ等は、目の前に立ちふさがる。

顔、体を隠す黒衣の女と。
小柄の鳥の亜人と。
彫像のような青年と。
そして、大斧を持った男。

コイン状の石──＜メルンストゥーラ＞が、爪で空高く打ち上げられ。
硬貨は、くるり、くるりと宙を舞う。

運命の行く末を握るコインは、長い間舞い続け、そして所有者の手に落ち。
乾いた音を立てコインを手で受け止め、そして——……


　　　　——　　Ⅵ.鈴蘭　＜裏＞


狭間に嵌められた石が淡く光が生まれ、それが切欠となり十三の瞳が開かれる。
巨躯のエンブリオ。黄金郷カダイエの守護者。——マァムブは、目覚める。

強烈な光は辺りを包み、周囲の景色を黄金色に染め上げる。
常世と隔離されるこの場で、十二人の使途の影が、長く、長く。





——　マァムブの覚醒が契約者達に変転をもたらす！

黒髪の男が、す、と片手を上げる。
敵を示すように、敵を誘うように差し出されたその手に、光が絡みつく。
腕に、髪に、衣服に、武器に、帯状の光が巻き付き、それを離すまいとするように、手のひらが拳を握リ込む。

光帯を引き千切るように、翻すように払い除ける。
眩く輝く黄金に、金の髪を風に揺らし、夢から覚めるようにゆっくりと、とろけるような空色の瞳を開く。

うっとりとした表情で、人差し指を立てる。 内緒話のように、そっと。

つよい風に煽られて、いくつもの羽が舞い踊る。
その光は神々しい楽園の光のようでもあり、
終末を告げる残酷な裁きの光のようでもあった。

光の向こうから、一羽の鳥が銃口を向ける。

一瞬。音のないつよい、つよい風が、黄金のマァムブの方角から吹き抜ける。
あたりの草木はゆれ、小さな石が転がり、髪を乱し、
やがて、風はやみ——

光を遮って立つ影の揺れるごとに、マァムブの光は影のまわりを放射状にさんざめく。
まるで水中にあるように、ゆったりと。

いくつもの光の球体を携え、フードを目深に被った影が顔を上げる。
本来そこにあるべき二つの瞳は見当たらない。ただ、金色の、それこそ落陽のような丸い、大きな瞳がひとつきり。

周囲からコウモリが集まり
普段は周囲を包囲するはずの群れを
自衛と警戒の為、マントの中と自分の手の届く範囲に集める