紫水晶は落ち着いてる。なんとかなった。
　……時間が惜しい。記憶を綴じる。

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　『人狩り』が去って、眼を開けて。
　一番に取った行動は、投げ出された荷物や得物はそのまま、地面に転がしたままで、立ち上がった『呪術師』の左腕を左手で掴み、軽く握った『右手』を振り上げる事だった。
「……いいよ。『ルド』。君にはその『権利』がある」
　掴んだ掌の中から軋む音。呪術師には常の、『薄っぺらい』笑み。
「……君にはその『義務』もある。君には視えなくても、『判る』だろうから」
　——『解って』やっていたのだろうかと、思わず更に力が篭りそうになるのを抑え込む。視界の外で引きずる音。
「ルドさん、一体」
　クローシェの声。諍いは、彼女は好まないだろう。魔女という肩書きには似合わない癒し手の光、だが。
「……理由は、聞かないの。聞かずに『そう』して……後悔は、しない……？」
　トウカの声。彼女は、意思というものに対して、尊重にも近い、どこか諦観にも類するようなものを、持っている。そう、思った。
　——思って、そのまま。どこか遠くで諦めのような、納得のような、それでいて全く違う、冷めたようなものが、安堵に滲んで広がる。痛みの感覚が戻って来る。『激するな』と言われている気がして。
　灰色を見据える。『呪術師』の声。魔女の掠れた制止の声。少女の問う澄んだ声。背後でひとつ、動く。背に一対、視線。
「……どうして、」
　息を、吐いた。これはもう、縁か、絆か、巡り合わせか。
「——俺が護衛に付く人間は全員が全員、面倒な奴ばっかりなんだろうな」
　拳を開く。開いたそれで、白い額を弾くように叩いた。自分には慣れた動作、傷にはならないように手加減はした。どこかで笑うような苦笑するような声はそのまま収束して消えていく。
　声を上げて額を押さえた呪術師から視線を外すのと同時に、その腕を掴んでいた手を離す。転がった棍の方へと足を向けた。
「ソルトは、『自分と同じようにクローシェとトウカを守れ』と俺に言ったからな」
　明確な言葉としてそう告げられた事は無い。だが彼は、折々にその話題には触れていた。元より『用心棒』という名目で交わした名だ、だからそうだと受け取っていたし、己が何を期待されているのかは、解っているつもりだ、だから。
「今のは対価だ」
　言葉を交わして約した事。それは、相手も解りきっている筈の事だ。棍を拾い上げて、体重を預ける支えにしながら、焦燥と問いを浮かべた二人に声を向ける。
「『契約』を『契約者』に潰されたんじゃ元も子もない、かといって依頼主殺すわけにもいかないし、俺に友人を殺す趣味はない」
　——『触れさせてしまった』のは、自分の過失だ。呪いを手段として用いる呪術師が、『此方(みかた)』にその詞を向ける可能性を、直前になっても無いと根拠も無く判じていた。
　深く、肺の中身を押し出す。胸元のペンダントを押さえ込む。——『視える』のであれば、これも『そう』見えるのか。呪術師の声が聞こえる。
「……言っただろう、『ルド』。僕にとって、『呪い（あれ）』は手段でしか無いんだ。『クロ』？　『アリシロ』？　僕はね、目的の為なら『手段を選ぶ』人間だ。そして『選んだ』からにはそうする。……僕は、目的の為なら、君達を呪う事すら『選ぶ』。君達を守る為なら、君達を裏切ったって構いやしないんだ」
　埃を払う動作に眼を向ける。いつの間にか、入れ替わりになるようにトウカが呪術師へと歩を進めていた。
「……別に、呪われた事自体は、気にしていない」
　消えたから、と言う声のあとに、間が空く。何かを、おそらくは言葉か、その内にあるものかを探るようにして。
「……ソルトは、頭が良いと思う。だから、あれがあの時の最良だったのかもしれない。……けれど、」
　足を止めた彼女も、灰色を、逸らさず見据えた。
「次はちゃんと……言って。それから……もし私が傷付く事で、あなたが少しでも傷付かない方法があるのなら、そちらを選んで」
　制服の袖の先、手が動く。
「裏切ったのは、私の、心配。……それから2人に、……あんな顔をさせた事」
　平らに揃えられた五指。そのまま、とん、と、ぶつけるというよりは当てるという程度のそれが、呪術師の額に振り下ろされた。
「……覚えていて。また同じ事をしたら、同じ事をする」
　複雑な、それでもわかりやすい色を混ぜ込んだ表情で。
「あれが、呪い。そうだったんですね……あれを裏切りとは、思いません。むしろ、話してくださって、ありがとうございます」
　クローシェの声。やはり、『それ』は、自分には得難かったもの、
「私たちを仲間だと、友達だと思ってくださったから。逃げずにいてくださって。話してくださったんですよね。ソルトさんなりの、優しさ。嬉しかったです。でも、トウカさんの仰る通りです。……心配します。私たちだって、ソルトさんを守りたい気持ちに代わりはないんですから」
　そうしてやはり少しの間を置いて、彼女も掌を、白い額へ。
「私からは、ソルトさんが心配かけたお二人の分と、ソルトさんが自分自身に無茶させた分。…………こうです？」
　二人の二様のそれには、思わず小さく苦笑が漏れる。平和なのか、あるいはそれがそれぞれの持つ性情なのか。浮かんだ言葉は口には出さずに、ただゆっくりと息を整えた。
「……なら、その『手段』の中に『伝達』か何かを入れておいてくれると助かる、心構えが無いと、どうもきつい……」
　呪術師の言葉には、そう返した。手段を選ぶ事もその手段を限定しない事にも、今更何を言うでもない。少年の持つ手札がわかっていれば多少はその思考も追いやすくはなるだろうかとは、こちらの慢心や油断でしかないだろうが。
　思いながら周囲に視線を巡らせれば散らばったままの荷物。胸元から手を離して、溜め息を吐き出した。
「……きついって言えば、こっちもだけどな」
　呟く。恐らく金銭の類は殆ど持っていかれているだろう、道中に拾った物も全てが無事かはわからない。紫水晶も、得物も変わらずここにあるから、あとは極論どうでも良いのだが。
　ひとまずは傷を何とかしようと、クローシェへと声を向ける。自分にその手立てが無いのを歯がゆく思いながらも呼びかけようとして、不意に外套を引っ張られて声が半ばで留まる。何かの包みを足下に引きずった『テラ』が、外套をくわえて、同じ翡翠を瞬かせていた。それを見下ろしているうちに声。
「……中々、儘成らないや。君達との間に『絆』が出来てしまった所為で、無茶をすると怒られてしまうようになってしまった。これからは、『守るもの』を、ひとつ増やして考えなきゃいけない。……それに、『伝えたら』、きっと皆は反対しただろう？　まぁ、物やお金は取られちゃったけど、暫くは心配要らないよ。彼らが、全部『持って行ってくれた』からね。そういう風になるように『した』から」
　それには、心配するのは当然だという声、守り合うから大丈夫だという声。トウカが、疑問符を浮かべる。
「反対……それは、勿論。……。……ソルト。彼らにも、何か『した』の？」
　呪術師がいつの間にか提げていた人形が失せている事には、そこでようやく気付いた。持っていったのだろう『人狩り』の四人を思い返す。呪いはまっぴらだと、一人は言っていたが。
　何で持っていったんだろうとは思考の片隅に疑問が落ちるが、それについては特に同情もせずに流れるまま流しておく。トウカの、少年に問いかける声には一度少年の方に目を向けた。それだけで、何も言わないまま目を戻す。同じように荷物をまとめ直したクローシェがこちらへと視線を向ける。
「ルドさん、傷を——テラさん？…どうされましたか？」
　『テラ』——大地、を意味し、土の力を持つそれの前にしゃがんだクローシェに倣ってその横に膝をつく。
　テラは、しゃがんだ二人に対して自分がどこからか抱えて来た荷物をぐいぐいと鼻先で押し出して来る。疑問に思いながらも包みを開いて、中にあった物に面食らって押し黙った。クローシェの、まぁ、という小さい声。
　包みの中にあったのは、簡易な食料、手当ての必要最低限の物、そして音と重量から察するに、金銭の類。押し黙ったそのまま、それを見下ろして少し考えて。
「……どっから持って来たよ」
　思わず、そう零した。テラは前肢で荷物を突くようにして何かを訴えかけているように見えるが、こちらにはそれを汲み取る術がない。ちらと、クローシェを見やれば、彼女はテラの翡翠をじっと見つめていた。これら、自然そのものの者は、自分は精霊の類だと思っているのだが、明確な事は何一つとしてわからない。わからない事によって問題があるわけでもないからそのままだが。
　クローシェは僅かの間そうしたあとに、頬に手を当てて首を傾げた。
「誰かから頂いたわけではない……ということ、ですか？……でもテラさんが勝手に荷物を持ってくることはないでしょうし……」
　それには同意をもって、自分と同じ色の瞳を見下ろす。ただでさえ自分も特に親しい『土』が、今まで離れた事の無かったそれが急に気配すら辿れなくなり、帰って来た時にはとなれば、多少思う所もあるのだが。
　クローシェの手を素直に受け入れ、撫でられているそれを見て息を吐く。自身も手を伸ばして首筋を撫でてやって、そうしてからその荷物を持ち上げた。
「……ああ、テラも『拾ってきてた』んだ。……そろそろ、装備も整えていかないとね。別に『人狩り』に襲われても『無事に済ます』事は難しくないけど、僕にとっては、君たちに頭を叩かれるほうが、人狩りに襲われるのなんかよりも、余程痛いや」
「……私も何か、持つの？　ルドさん達が持ってるような武器、とか、鎧とか……」
　流石に必要だろうなとは、思う。相対したものをどうこうというよりは、自衛だから、それはトウカも必要になるだろう。何も抵抗せずに殴られるだけである必要も無いし、その点は既に心配はしていないが。
「装備、ですか。…ああでもある程度は整えた方が今後も、楽なんでしょうか。何をそろえましょうか………まぁ、失礼しました。まだお怪我が？」
「装備……は、確かにあった方が有り難いな、俺としては」
　ソルトの手元では重量のある音。クローシェがソルトの元へと手を向けて、トウカが差し出してくれた荷物は受け取って、ありがとな、と声を掛けて軽く頭を撫でる。
　ひとまずは、態勢を立て直さないとと、棍を支えに立ち上がった。

　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　

この森は慣れ親しんだ森ではないけれど、それでも淋しさは感じて。
思わず一人、呟いた。

ちょこんと、淡い気配が青年の隣に座る。
少し言葉を探すような、間と、遠慮がちに見上げる視線。

小さく頭を下げて、切り替えるように、一つ息を吸って、吐いて。

伸ばす、手。届くなら、その頭に触れて、撫でようと。
これまでに何度か、彼が少女にして来たように。

伝えたい事を伝えられた安堵からか、最後に息を零すように、微笑みを浮かべた。

未だこの世界のことが良くわからない。
少なくとも元の場所とはまるで違うように思えたし、実際その通りだろう。
その中でも少しぐらいは情報がほしい。
何か適した人は居ないのかと歩いていたその先に見える姿。

　

疑問に思いつつも、もしかしたらと駆け寄らずには居られなかった。

ルドの声にはいつの間にエンブリオが消えていたのだろうと目を瞬かせ。
それをちらりと視界におさめ安堵の息を小さく吐くものの、
直ぐに気を取り直し、前を見据え。

すい、構える杖。やはり浮かぶ瞳の感情の色はいつもと少し違う。
そう。ここは森。長年慣れ親しんだ、いうなれば己の領域。
ならばもう仲間を傷つけさせまいという、確かな意思を持って。

ひとつ、息を吸い込む。鞄に下げた白い花を、包むように握り、息を吐く。

言い聞かせるように紡ぎながら、前を見据えた。

ありがとう。本当に。傍らの精霊達に告げれば、
彼らは嬉しそうに、風と鈴の音を、鳴らした。

テラが持ってきた包みの中にあった携帯用簡易食糧
貰ったわけではないと言っていたが、本当の処は…？