サダクビア。元は砂都の旧き言葉で「隠れ家の護り星」を意味する我らが家。
央都の人間であれば知らぬ者無きその紋章の、そこに込められた意味を知る者もまた多い。

即ち輝く三ツ星は大いなる智を、
天に向かい立つ塔はその智を求める者の姿を、
交差す薔薇の鍵は智を護らんとする様を、
取り巻く茨は智とその護り手を守護せし牆壁を表するものなり——

しかし、茨にはもうひとつ意味がある事は然程知られていない。

『智の冀求者は人道に叛かぬよう、その身を自ら戒めるものなり——』


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それぞれの思惑は異なるも、結果として一揆に助力するようになり早や８日。
調査と移動を繰り返すうちにこちらの世界の住人や、他所の世界からの来訪者等、幸運にも様々な者と会話を交わす機会に恵まれたが……先日からどうにも気になる話を耳にする。

『一揆の参加者が、同じ一揆の参加者から襲撃を受けている』

襲撃者はその様相も様々で、金品強奪よりも他者を嬲る事を目的としていると見受けられる者さえ居る——
我欲を満たす為に他を虐げる。そのような輩など何処にでも居ようが…どうにも不快な現実に嘆息し、ふと、同行者の事を考える。


リラエは年少ではあるが現実は見えているし気が強い。道理の通じぬ輩を敢えて説得するような真似もしないだろうし、屈する事も無いだろう。
ラザラスは名実ともに大人で、人の持つ悪意を理解している。……それが理不尽なものである場合もある、という事も。


問題は銀髪の坊や——エルだ。
人が持ちうる闇を知り尽くしたとさえ言える男を父に持つ割には、人を疑う事すら知らぬように見える少年。

（彼奴も息子が家を離れる際に話をしてはいようが……如何せん、理解が足りぬか）

話しておくならば今しか無いだろう。
そう思い立ち、好物の馬鈴薯を笑顔で頬張る少年に声をかける。


「坊や、後で少し時間を貰えるかの？　頼まれておった装飾品のな、調整をしたいのじゃ」


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「ごめんなさいせんせー、ちょっと遅くなっちゃった」
「いや、わしも随分と急じゃったからの。…さて、少しばかり時間がかかるゆえ、これでも飲みながら付き合うてたもれ？」

少年を向かいに座らせ、蜂蜜に檸檬を加えた飲み物を手渡す。
ふにゃり、と笑うその表情には一片の曇りもなく——これから話すことを考えると胸が痛くなるが、これも務めと割り切り、話を続ける。


「坊やはサダクビアの紋章にある【鍵】の意味は知っておるかの？」
「はい！えっと……『汝智を得し者、其を尊じ、其を護れ』知識はちゃんと伝えてまもっていかなきゃならない、って事……だよね？」
「では【茨】についてはどうじゃ？」
「知識と研究者達を護るものだけど、知識を悪い事に使わないように、知識を求めるあまり悪い事をしないように自分を戒める意味もあるって、父さんから聞いた事があるよ」
「うむ。じゃが自戒と言うものはなかなか難しゅうてな。故にサダクビアには【茨】の名を冠した——道理を外れた者を裁く執行者《エクスキューショナー》が居る」
「噂で聞いた事はあるけど、本当にあったんだ……」
「おんしの母御は違法研究組織に勾引された事がある、と言う話はアルから聞いておるとは思うが……その組織にはサダクビアに籍を置く者も混じっておったのじゃ」
「……！？」
「実に恥ずべき事じゃが、事実じゃ。……もう判っておろうがわしは【茨】のひとりとしてその殲滅作戦に参加しておった」
「父さんも、【茨】だったの……？」
「アルは【茨】ではない。じゃが、身内を勾引された当時者である事と、彼奴自身が優れた攻撃魔術師である事から招集されておった。……もっとも、たとえ呼ばれずとも吶喊しておったじゃろう」
「…………」
「なかなか尻尾を捕まえさせんでの、随分と組織は大きくなってしまっておった。故に突入時の抵抗も激しく結果として多くの犠牲を払う事になった」
「えっ……！？　だって、父さんも母さんも幸い何事もなかったって……」
「おんしの母御は無事であった、というだけの事じゃ。違法研究者どもは自業自得じゃが、作戦に参加した【茨】や攫われた希少種族が幾人も不帰の客となった」
「そ、そんな…………」
「恋人を攫われたアルの怒りは凄まじいものでな。対軍術式を片手で弾き飛ばし、押し寄せる警護傀儡を一片の塵も残さず薙ぎ払う程の奮迅ぶりじゃったが……長時間の超過駆動《オーバードライブ》の結果彼奴の体はずたぼろになり、半年ほどは寝台から起き上がる事すらできぬ状態じゃった。……知っておるか？彼奴は本来、おんしや母御と同じ銀の髪に蒼い瞳をしておった事を」


未だ幼さを残す子供に聞かせるには酷な話だろう、だが耳を塞ぐ事を許す訳にはいかない。ちりちりと傷む胸を抑え言葉を紡ぐ。


「本題に入ろうかの。探究心であれもっと率直な欲望であれ、我欲を満たす為に他の全てを、何者をも喰らって良いと考える者は居る。価値観の相違で片付けるには些か大きすぎるとは思うが、同じ世界に於いてさえそのような輩は存在しうるのじゃ、異なる界であれば尚の事」
「……はい」
「常識も道理も何も通じぬ輩の、理不尽な害意より身を護る為にはその存在を知らねばならぬ。じゃがな……何故そのような凶行に及ぶか、その理由を、心を知りたいと思うやもしれぬが、そう言う輩はもとより他者の理解など求めてはおらぬのじゃ」
「……はい、せんせー…………」
「それともうひとつ。これはアルからも言われておろうが、【風花の翼】の事は決して誰にも言うでないぞ？……おんしは純粋じゃからの、親しき友に隠し事を抱えて暮らす事をつらく思うやもしれぬが、それもおんしの家族と友を守る為じゃ」
「………？」
「生きておるだけで魔力を集める存在は、ある層にとっては垂涎の的じゃ。知れば何としても手に入れんとする輩は居る。……例えば、その親しき者を捕らえ、人質として」
「あっ……！」
「無論、おんしの秘密を知らずともそのような目に遭う可能性が無い訳ではない。じゃが少なくとも知らねばうっかり口に出す事は無かろうてな」


少年のもとより色素の薄い肌は色を失いより白く、杯を持つその手指はかたかたと震えている。
俯いたままの頭をぽんぽんと撫で、無色の宝玉を嵌め込んだ鍵——執行者の持つ薔薇の鍵を模した装飾品を目の前に置いてみせる。


「辛い話を聞かせてすまなんだ、坊や」
「せんせー、これは……？」
「ああ、頼まれておった装飾品じゃよ。魔法防御を高めるよう術式を組んである。あとはおんしの魔力波を登録すれば完成じゃ」


鍵の宝玉に触れるよう促す。
少年の震える指が触れた宝玉は一拍を置いて淡い燐光を放ち、深い青に染まった。


「これでこいつはおんしの物じゃ、その身を守る助けとなるじゃろう」


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「結局かの少年には話したのかい、イルセリア」

皆の寝静まった夜。昏がりを仄かに照らす魔導具越しにそう問うは『教授』と呼ばれる男。
事件の顛末を、【茨】の真実を知る数少ない人間。

「いずれ言わねばならぬ事ではあったからの。心苦しく思わぬ訳ではないが、此れも『せんせい』の役目じゃ。致し方あるまい」
「辛い役目を押し付けてすまないね。君が少しでも動き易くなるよう私も便宜を図らせてもらうよ」
「世話をかける。おんしの『好意』は有難く受け取ろうぞ」


幾つかの言葉を交わした後通信を切り、ふと思い出す。
少年に最後まで伝えるか否か逡巡の末——結局口に出す事が出来なかったもうひとつの事実。

（——お前の母を攫ったのは、お前の父と同じ研究チームに長らく所属していた者だったと）

冗談めかして言うが、ころころとした笑い声には気分が良くなる。

（手袋を着用する