何かが違うのだ、ということは薄々気づいていた。

いつも手を引かれて移動するツグミが、誰にも導かれることなく歩みを進めていた。
いつもとは違う、険しいと言われている森への行軍の最中だった。木々のざわめきに合わせて鳥の声が響く。時折聞いたことのないようなけたたましい叫び声——モンスターのものだ、それが遠くから響いてくる。
落葉が敷き詰められた道を行くと、枯れた枝を踏み分ける感触がする。
ツグミの足元でも乾いた音がひとつ。
視線はいつものようにどこを見ているのか分からない。何を考えているのかも、表情からは見て取れない。
少なくとも具合が悪いというようなことはなさそうだったが見かねて私は口を開いていた。
「ツグミ。……何かあったのかい」
「…………………………」
言葉を発することなく、ツグミは視線だけを返した。普段ならばそこから一定の感情が読み取れる筈だが、その時の表情は何を伝えたいのか、何を思っているのかが分からない。
もどかしさを感じながらも、何も言わないということは何も無い、という経験則を持ち出して無理やりに納得させた。
「そうか。もう少しこの道は続くから、辛くなったらいつでも言いなさい」
境界を感じる。
ツグミは一体何を思って行軍しているというのだろう。

目の前を阻むモンスターが現れると、いつものようにツグミを後ろに庇うように立つ。
敵の中には原色が目を引く鸚哥が一匹混じっていた。後ろを振り返ると、ツグミはその鸚哥を凝視しており——何かが違う、と言いたげに首を振った。
ツグミ、と声をかけようとしたところで、モンスターの一撃が飛んでくる。中断せざるを得ない状況に私は苛立ちながら、それでも次々と穴の開いたものを投げて応戦していった。
前に立つ佐久呂や百日紅の位置を確認し、六角ナットを敵に投げつける。モンスターの体に当たると同時に力を発動させると、金属の破片が辺りに飛び散るとともに衝撃が走る。
それを確認するともう一つ投げる。さらにもう一つ。
いつだったか、私の戦い方を始めて見たセロの言葉を思い出した。
『まるで作業のようだ』
『セロ。君にはそのように見えるのかな』
『ああ。戦おうという意思がまるで感じられない』
戦おうという意思。この世界に来てからそれを感じることは無かった。
そもそも——戦う、という行為を私は今まで経験したことはなかった。一方的に倒す、または殺すという経験はいささかあったにせよ、お互いが命を狙いながら殴り合うという光景は私にとって「争い」ではあったが「戦い」ではなかった。
そもそもの人生において、何かを賭して戦うということが私にはなかった。
ツグミは——賭ける存在ではない。ツグミを狙う者に対して、私が行う行為は戦いではなく制裁に近い。
戦いの感覚が分からない。薄い膜を一枚経隔てたところで私はただ目の前の敵を倒すという作業をしている。穴を拡げ、衝撃を与えるという単純な作業の繰り返し。
私の一撃が鸚哥を襲う。黄色の羽根が辺りに飛び散った。
（……おかしい。何かが）
思っている以上に敵に与える衝撃が大きいらしい。穴を拡げる力を調節しているのは私自身だ。長年連れ合っている能力が今になって制御出来なくなるなどありえない話だ。
いつもより慎重に力を込めるが、予想していた威力のほぼ倍の力でナットが破裂する。その衝撃は茸の傘をほぼ半分に千切る形となった。
能力の制御は完璧にこなせていると思っていた私にとって、それは恐れるべき事実だった。
（制御できない……！　いや、違う……？）
——何かの力が働いている。自分では与り知らぬ何かが。
茸の胞子が光に煌めき、光の粉のような錯覚を覚えた。
ツグミの様子を伺うことが出来るほど、作業に余裕はなかった。
後ろに居るということだけは気配で感じ取ることが出来たが、その時ツグミが発した言葉はついに聞き取ることはできなかった。


＊＊＊＊＊


鸚哥の風切り羽を一枚手に取る。私が攻撃することで、鸚哥の美しい羽根の揃いは見事に斑になっており、その斑部分に元は生えていたであろう羽根がそこかしこに落ちている。
（分からない。不自然な威力の増幅……）
敵を蹴散らした後はあっけないもので、静寂に混じり木々の擦れ合う音が聞こえるばかりだった。他の面々はそれぞれ探索をしたり武器の手入れをしたり、倒した後の興奮と安心をそのままに過ごしていた。もう少しすれば誰かが号令をかけ、来た道と同じように屋敷まで帰るはずだ。
私はしゃがんでいた体勢から立ち上がり、スーツについた汚れを叩き落とす。無事を確認するべくぼんやりと立っているであろうツグミの元へと向かった。
「……ツグミ？」
ツグミは確かに立ってはいた。しかしその手は宙へ伸ばされていた。人差し指を軽く伸ばしたその形は、鳥の止まり木によく似ていた。
伸ばされた先には何も見えない。
私は風切り羽を持った手で、その細い肩に触れようとした。
柔らかい髪の隙間から、ツグミの顔が覗く。薄らと色づいたくちびる、陶器のように白い肌。
憂いを帯びた、黄色がかった瞳——

瞳は見開かれ、誰が見てもわかるほどに怯えた表情をしていた。

「——————！」

絹を裂くような叫び声と、私が肩に手を置くとはほぼ同時だった。
叫び声の最中、私はツグミが見ていた空に錯覚を見た。
木々の間より差し込む光、それよりも遥かに眩く遥かに美しい光。輝きを伴って降り注ぐ光の粉——戦闘中にも見た、あの輝きと同じものだ。
輝きの中にある一匹の鳥。
毛先が黄色く色づいた純白の鳥——
鳥は羽ばたくとツグミの人差し指に止まり、ふっと姿を消した。

鳥の姿が消えると同時に光が消え、目の前に怯えて蹲るツグミの姿がようやく確認できた。
いつも静かで何もしないツグミが取り乱すことについては、私は至って冷静だった。何故なら私がそれを何度か経験していたからだ。
その原因はツグミの口から聞き出したこともあり、ほぼ確信に近いものを得ていた。御しきれない感情があふれ出た時に、我を忘れて取り乱してしまう——滅多に見せないツグミの一面でもあった。
いつも表情の無い顔を見せているツグミだが、氷の中に感情が押し込められていることに気付かされる瞬間でもあった。
感情がひどく揺れた、原因は今見たそれに間違いがないとも同時に思った。

「ツグミ。……大丈夫だ」
蹲り頭を抱えるツグミを、私はそっと抱いた。荒い息を落ち着かせるように頭を撫でる。

「何や、今の声——おい」
「サクロ」
叫び声に気付いてやってきたのだろう。大丈夫だ、と目線で制した。佐久呂はこういう時には物わかりが良く、わかったと一言残すと早々にその場を去った。あの様子ならば残りの面々にも上手く説明してくれるだろう。
「う…………あ、はあ、はあっ…………………」
「……落ち着いて。ゆっくり息を吸うんだ」
心臓の音が届くように、私は胸にツグミの顔を埋めた。心臓の音というのは気持ちを落ち着かせる効果がある。
子守唄を歌うように、静かに語りかけた。頭を一定のリズムで撫でながら。
「何を思ったんだい。……悲しかったのか。怖かったのか」

「…………あ…………ちが………」
「違う？」
「………………………………………うれしい……？」
予想とは違った言葉が返ってきた。今までツグミが嬉しいと自分の口から言ったことなどなかった。
「嬉しい、だって」
私は今の言葉のおかげで、今まで腑に落ちなかった点が水が流れるように理解できた。
光の中から現れた、眩い純白の小鳥。
ツグミはあの鳥を以前から知っているのだ。恐らく、この森に入ってからの態度はそれによるものだ。
「あの鳥……」
私の呟きに答えるように、呼吸を落ち着かせるようにツグミは微かな声を発した。


「………………………エンブリオ」
私の手にあった黄色い風切り羽は、いつしか純白へとその姿を変えていた。
淡い光を帯びながら。

（ツグミさんをじっとみつめつつ）