時は、今から一ヶ月以上前に遡る。




　俺は妹の飛行路を追ってメルンテーゼに辿り着いた。
　飛行路とは次元竜の飛んだ後に残る力の残滓、ほんの僅かな輝きの欠片だ。キラキラとしたら光の軌跡。その正確な道筋を察知出来るのは次元竜くらいなものだろう。時間も空間も自在に飛び越える次元竜の残す特殊な力場の名残は、あまりにも微かで複雑すぎて普通の次元間移動者の探知能力では検知すら難しい代物なのだ。同じ次元竜でも、時間が開けば探知は難しいモノだからこれを辿るのはなかなかに骨が折れるんだけれどな。

　だからという事もあって各次元竜には必ず生まれた時から与えられる物がある。次元渡りの碧玉。同種のものを持っていれば、互いの碧玉に封じられた魔術のお陰で互いの居場所や行動の軌跡を一部垣間見る事が出来る魔法具だ。
　俺はそれを使って丁寧に再び妹の飛行路を確認した。自分の追ってきた道と魔法具が見せる軌跡が正しく重なっているか、その確認だ。結果は勿論同一。確かにアイツはここを通っている。


　アイツを追うようになって、この時点ですでに十数年が経っていた。俺の前から姿を消して次元竜の暮らす隠れ里から外の世界に飛び出しちまった妹は、外の世界を知らないからかそれとも恐れ知らずだったからか躊躇うこと無く数多の世界を巡っている様で簡単には追い付けなかった。
　全くこういうところは誰に似たのやら。引きこもりしかいない次元竜達の中で育った箱入り娘が、まさかのやんちゃぶりを見せつけるものだから俺としても予想外な話しすぎる。当初の予定では、もっと早い段階でアイツに追い付いて連れて帰る予定だったからな……それがもう十年以上ギリギリのところで逃げられているのだから。

　まあこれは単純な翼の問題もあるんだが。
　俺が使える翼は腰の一対の副翼のみ。アイツも翼の数で言うなら俺とそんなに条件は違わないが、アイツの翼は背にある主翼だ。この翼の種類の違いは、次元竜の次元間を渡る飛行にはとても大きく響いてくる問題でもある。出力やら速度やらがどうやっても俺の方が劣ってしまうのだ。
　それでもギリギリまでは追い付けてる辺り、俺の方が次元渡りのとしての経験や技術が豊富な証でもある。捕まえられないと言うわけではないのだ。


　ともあれ、俺は気持ちを引き締めて眼下に広がるひとつの『世界』を見下ろした。これがどういう世界かは少しその境界に触れたら次元竜にはわかる。元素の世界メルンテーゼ。そう定義付けられた有機生命体生存可能型世界。そして、純粋なエネルギーが固定化されたような生物達が豊富に存在する不思議な世界。
　この世界に妹は降り立ったと飛行路は示している。しかもこの軌跡が正しいならば、アイツはまだこの世界に留まったまま外には出ていない筈だ。





　躊躇ったのは一瞬のこと。
　俺は速やかに世界への侵入を開始した。






















　次元竜は元々、世界の『外側』に生きる存在だ。その外見などから竜の名を冠する様になったとはいえ、一般的なドラゴンと同種かと言えば多分答えはノーだろう。その理由のひとつに、初めて入り込んだ世界に対しては中で行動する際に必要となる肉体を持ち合わせない……というものがある。
　そう。次元竜は本来、肉体を持たない種族なのだ。世界の内側に降り立った後、活動するのに最適な肉体を改めて構築する事であらゆる世界に最適化した形での存在を可能とする……そういう風にして数多の次元と世界を渡り歩く生き物なのだ。どちらかというならば、純度の高い様々な情報を内包するエネルギー生命体に近しい種なのである。




　だから、その時メルンテーゼに降り立った俺は当然肉体を持ち得なかった。多分他の生き物からすればパッと見、金色の光にしか見えなかったんじゃなかろうか。第六感だとか、感覚が鋭い奴が見れば、竜の姿にも似た何かがソコには見えたのかもしれないけどな。
　何にせよ世界への侵入は一瞬だが、その環境に最適の肉体を構築するのは少々時間がかかる。少なくとも数秒で直ぐに、とはいかない。だからこのメルンテーゼという世界に対して内側からの解析が終わって身体を構築出来るまでの間は、フラフラと妹を探しつつ漂っているしかないという訳だ。

　そういう事で、メルンテーゼに降り立った当初の俺は仕方なしに妹の気配を探しつつアチコチを飛んで回っていた訳だ。この状態の時の俺は一種の幽霊にも近い何かで、物理的に怪我を負わせようったって不可能なのはわかっていたから少々危険な目に遭っても平気だ……みたいな慢心があったのは確かだったように思う。



　ソコを狙われたのだ。
　黒い、闇のようなモヤのような、よくわからない何者かに。








　そこはやたらと暗かった。
　闇が沈殿している様な空気の動きがあまり感じられないような、そんな場所。

　迷い込んだのは偶然だ。怪しい場所に行こうと思って踏み入ったワケじゃない。ただ、不思議な気配を感じてもしやアイツの残した残り香か何かだろうかと近付いて調べようと思った、それだけの事だった。何せよ身体は幽霊状態だ。こんな時に襲われたとして、俺を傷つけられるような存在がいるとは思えない……そんな風に、気を抜いていたのもいけなかったんだと思う。


　闇に踏み入った次の瞬間。
　——…翼に熱が走った。

　灼けつくような激痛。直接、肌に熱く熱された棒を押し付けられた様な激しい苦痛。もしもコレで肉体があったならば痛みに墜落してもおかしくない様な、そんな大ダメージだった。見れば、翼を形作る輝きの大部分が黒く陰っている。『俺』というモノを構成する情報の一部に手酷い損傷を負った証だった。同時に、まだ肉の殻を被ってすら居ない全身にぐったりとした脱力感すら感じる。まるで生命エネルギーを一気に奪い去られた様なそんな損失感。


　考えるまでもない。闇に潜んでいた何者かの襲撃だった。
　その何者かは俺を獲物と認識したのだろう、深い闇の向こうから俺に向かってユラリと腕を伸ばしてくる。

　本来ならば撃退の為に力を振るいたい所だが、現時点で俺はこの世界に最適な身体を作る為の準備段階にある。次元竜としての力の殆んどは使えない。悔しい話だが、精々今の俺に出来る事はこの場から逃げだすことぐらいだ。最も、それを恥と思う程にプライドが高い性格でもないのだけれど。
　ともあれ、俺はその場から急いで離脱した。



　その黒い闇の正体を知ったのは、かなり後の事となる。

　ローバル。
　メルンテーゼにおいては、妖精やエンブリオの魔力やエネルギーを奪い去る存在としてひっそりと暗躍する邪悪な存在。


　そしてソイツに俺が負わされた大きな傷跡は、精神が肉体に大きく影響を与える次元竜にとっては決して無視出来ない程の影響を残しちまった。アイツが傷つけたのは翼。ソコには、次元竜が自在に時間や空間を渡り世界を巡り歩く為の術式が刻み込まれている。それを損傷しちまったことで俺は、肉の殻としての翼に怪我を負っただけではなく、生まれ持って身体に備わる次元竜としての力の一部を封じられてしまったのだった。























　翼の損傷を癒やすことは不可能ではない。
　実際、俺の翼はそれから暫くの養生を経て無事に空を飛べるまでに回復した。

　表面的には。


　このままでは俺はこの世界から出ることが出来ない。肉の翼では空を駆けることは出来ても、次元を渡り歩くことは不可能だからだ。だが、癒しの術式や薬などで癒える肉の殻の翼と異なり、その内側にある次元竜としての核にあたる情報の損傷は簡単には癒えない。ソレを癒やすためには長い長い時間をかけるか、或いは純度の高いエネルギーの大量摂取が必要だった。
　本当なら、時間をかけてじっくりと癒やすべきところなのだろうとは思う。でも、俺にはそうするだけの時間的余裕はない。今はまだ動きがないことがわかるとはいえ、何時アイツがこの世界から飛び出してしまうかわかったものではないからだ。なるべく早く万全な状態を取り戻さないといけない。


　だから、一揆に参加するという展開はその時の俺にとっては渡りに船だった。

　エンブリオの存在は（その詳細は知らなかったとはいえ）この世界に来た当初から感じ取っていた俺にとって、この怪我を癒やす良いエネルギー源だったからだ。ソイツらを正当な理由を持って集める事が出来る。しかも契約によって縛り付けることすら可能だというのだから。
　そりゃああのじっちゃんばあちゃんには恩はある。何とかローバルの棲家から退散して肉体を構築し、そこで力尽きて倒れていた俺を助けてくれた恩人なのだから。でも、何も、彼らへの恩というだけで俺はこんな物騒な争いに参戦した訳じゃない。エンブリオは強力な存在だ。元より戦うことを得意としていない俺からすると捕獲するのも手間がかかる。一揆に参加すればそれを倒すための助力を得られるのだからその道を選ぶことは効率の面から考えても間違いじゃないだろう？

　それに、エンブリオをしっかりと分解吸収して取り込むためにはその身体を構築する様々なモノをしっかりと解析し見極めないと難しい。確かにアイツ等の存在は他の生物に比べれば純粋なものだけれど、それでも不純物はゼロじゃない。要らないものは取り除き必要な物だけを残さないと効率よく回復は出来ないのだ。だが、その為には程度時間が必要となる。
　だから俺は契約によってアイツ等を俺の元に留め置き、契約の際に俺の生命エネルギーの一部をネクターと共にアイツ等に摂取させた。そうする事でその組織の細部までをも侵蝕して解析と後の同化吸収作業を楽にする事が出来るからだ。






　そうして、今。
　全ての準備は整った。

　俺の眼前で、金の輝きに染まるエンブリオ達の身体がバラリと崩れた。まるでそれは金色のパズルのピースが崩れ落ちるみたいで暗い夜闇の中では一際鮮やかに映る。俺の尾の先に大きな口が開く。普通の食事に使うものではなくて、こうやって生命エネルギーや情報体を取り込む際にだけ使う特別な口だ。ズラリと並ぶ牙が金の輝きへと伸びる。


　そのまま、貪るように喰らった。

　光の煌きの一欠片すら残さない様に。

　エンブリオであったその輝きの全てを喰らい尽くした。


　じわりと身体の奥底に力が戻ってくるのを感じる。
　染み入るように、今、喰らい尽くした生命の欠片が同化吸収されていくのがわかる。

　これだけの量を一気に喰らい尽くしたのだ。
　もう暫くかけて奪い取った生命エネルギーを馴染ませてやれば、メルンテーゼに降り立つ前の万全な状態への復帰も可能だろう。




　俺は大きく息をついた。
　これで一つ懸念は消えた。喰らえる限りは喰らって置いてやった方が、いざまた同じような目に遭った際に今回みたいに時間をかける必要もなく回復できるので、これからもエンブリオを喰う事は止めるつもりはないが……これなら何時アイツが世界を飛び出しても追っていける。後は、妹を見つけ出して里に送り返すだけだ。

　そろそろ夜営の所に戻ろう。
　思って振り返って、俺は息を呑む。



　何時から其処に居たのか。
　振り返った視線の先には、ただ静かに佇むステファニーの姿があった。





※ENo.178 黒谷シュウスケさんのところの敵キャラ『ローバル』をお借りしました。

人間の命は短い。
クライが零した言葉に、まったくもって、と同意の言葉を返した。

フイユモーヴの肩に止まった妖精型のエンブリオが、興味深げに覗きこんでくるクライに気づいて楽しげに肩を揺らした。

クライの話の中の老人たちについて、十分な手を打っている事を聞いて納得の様子を見せた。

冗談のつもりか、妖精の翁は相変わらず愉快そうにほっほっと笑っている。






そして、意を決して尋ねた途端、クライの表情に陰りが出たことに申し訳無さそうな表情を浮かべる。
それを取り消すように、すぐに小さく頭を振った。

あるいはずっとでしょうか、と首輪の装飾を撫でながら、独りごちた。

クライの言葉を復唱する。
考えこみ始めるフイユモーヴの肩、リフが宙へ羽ばたいた。

減らず口はそのまま、しかし先ほどまでのような笑い声は上げず、考え俯くフイユモーヴを気に書けるように周囲を漂う。
やがてフイユモーヴがおもむろに顔を上げ、クライに尋ねた。

拒まれ得ることも承知の上で、まず尋ねる。
再び正面から、クライに問いかけた。

　さきほどまでしていた女難な話を、思い出す。

　もしかしたら、何かの役に立てるかもしれい。そう考えつつ、ゼゼは問う。

　気にするな、と言うことであればこちらから言う事は何もあるまい。
　しかし、世の中にはいろいろあるものだと、思うトカゲであった。

一揆が始まるまでずっと故郷に留まっていた分、見るもの全てが新鮮であった。知らなかった物事を知る喜び。それが高じての希望だったが、しかし、それを聞いた次元を渡る竜殿はふと僅かに苦笑を浮かべていた。

　続く言葉は、世界ごとの優劣。そしてどこか皮肉めいた呟き。
　多くの世界を見てきた者ならではの憂いと達観。それが彼の見せた表情に込められていた気がした。

それは戦闘後のことであった。

クライに声を掛ける一人の女性。
ひんやりとした空気が流れる

きょろきょろと周りを探しながら問う。
その目の前が本人だと気づかずに。

その視線は全く遠慮がなく、酷く不躾なそれだったと思う。
クライを見て、その身体を見て、尾や、通常のひとが持たぬ器官へと視線をやってから、
ゆるやかに、首を傾げる。

それから一言、そう、問うた。

あなたが、テオドールとの会話を終え、仲間の元へと戻る際、物陰から紫色の影が飛び出てくる。

青年は最初怯えた表情で後ずさるが、あなたの顔を確認すると、驚いた顔で近づいてくる。

エリファスが伝えたのは、あなたが先ほどまで話していたテオドールの特徴そのものだった。