ENo.96 トレニア＝フロイントリヒ

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　ENo.825 ラナンディア・フェルシュング様
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　↑平和な日記

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　↓平和じゃない日記

本編ゲスト：
ENo.3159 イリヤ・R・ヴァヴァーナ

　話の始まりは、緩やかな沈黙からだった。
　話をするのだと告げられて数秒。
　相手が考えを纏めるのに口を噤む間、自分といえば席の向かいで悠然とした態度を崩さずにいた。

　急かす事もなければ、必要以上に注視する事もない。
　緊張はこの場にふさわしくないし、好奇心を向けるなど持ってのほかだ。
　ただ受け入れるということを見せた、待ちの姿勢。
　傷を認めさせるのは私が望んだことだけれど、それを開示されるのが自分であるべきとまでは思っていなかった。
　だが、彼は私の事を選んでくれた、ならばそれに向きあおう。
　――心の手を、彼に差し伸べて。

　彼の語りが始まる。
　耳を傾けながら、その声色から伝わる、彼の形に想像を巡らせていた。
　大人であろうと形を作っていない彼は、はたしてどのような人だろうか。
　私の考えた彼が正しいだなんて限らないけど、それでも知りたいと思う。
　どういう道筋をたどってきたのか、順序をたどることで、彼が主観を出来る限り客観的に告げようとするのがわかる。
　変えられようのない過去。
　手出しの出来ない、しかし間違いなく自身がしでかした事が記憶と語りによって再現される。
　それに向きあう震えが声色から伝わってくる。
　変えられないという事はきっと想像より重い。
　何よりも身近なのに、何故決して届かないのだろう。
　口にした瞬間、絶望的な壁を思い知らされて、心に響くのだ。

　――不愉快な内容でもいいのか、って？

　勿論だ、私は貴方に手を差し伸べた。
　私が悪徳に慣れきっている事とは関係なく、私は貴方と向きあいたい。

　――そして、彼の語りが始まった。

　話に耳を傾ける。少しだけ逸れた話をさせて貰えるなら、語られた内容は私の世界でも幾らか覚えのあるものだった。
　彼の境遇とは違う。
　私にとっては出入りしている宮廷によくある、怪談の一つでしかない。
　不老不死の求め方。
　ありきたりで、でもだからこそ輝かしく魅惑的に映るのだろう。
　無知とはどれほど罪深いものか、認識出来なければ、足場の危うさに気づくこともなければ、その道が地底に続いてる事すら知覚することはない。
　命を扱う術は、当然の如く命を礎にする。
　それは私が扱う神への祈りですら同じで、それを彼は知らなかったようだけれど、今は彼の話をしているのだから、特に訂正する事なくそのまま流した。

　命を差し出したことのある隣人にどう接すればいいというのか。
　それはお前が扱っている技術のためだと言われて、この道をまだ進む事が出来るのか。
　今まで信じてきた数多くがあり、それは新たに知った真実と共に天秤にかけられる。
　不安定ながらもバランスは保たれ続けた事だろう。
　壊れる瞬間まで、数多くのものを載せ続けて。

「僕はあの人の魂と肉体を穢して地位を得ました」

　――それが、貴方の傷か。
　命を扱う罪深さなんて後からついてきたものに過ぎない。
　大切な人を引き換えにした、それが全てだ。
　それの引き金になったあらゆるものを疎んだ。
　歩んできた道筋すら認められなくて、何よりも自分の事を強く否定した。
　大切な人が願ってくれたのはこんな結末なのかと、そう思うだけで心が軋む。
　隣人の言葉は果たして彼を突き落としたのか、それとも背中を押したのか。
　一歩進んで、でも耐え切れずに逃げた。
　そして、現在に至るのだという。

「巻き込みたくない、ですか。……まぁ、それは構いません」

　彼の話が全て正しいと仮定するなら、イリヤさんに勝ち目があるようには思えない。
　ホムンクルスは人間に逆らえるのか、逆らえたとして、どれほどの戦力に数えられるというのか。
　不確定要素は当てに出来ない。
　現実的に考えるのならイリヤさんとあの変態の一対一、辛口で評するのなら死亡確実だろう、死亡じゃなくて標本かもしれないが。
　とはいえ。

「でも、貴方はそれでも巻き込みたくないと言うんですね。
　……いいでしょう。正直、イリヤさんがそういうのなら私に止めるつもりはない。
　それが貴方の確固たる意志なら、いくらでも好きにしてくれていい」

　目を細める。
　生きる理由は他人に依存してはならない。
　だからそれが本人の意志なら、私が干渉するつもりは全くと言っていいほどになかった。
　でも。

「【死にたい】と思う人間はこんな事言わない」

　何故こんな長い話を一々私にしてくれたのか。
　遺言？　感傷？　くだらない。
　死を待つのならそんな事どうでも良くなるはずだ。だから、彼の望みはそんなものじゃない。

「……【生きたい】と言いなさい。手を貸そうだなんて思わないけれど、貴方が願うなら私はそれに応えよう」

　厳しい言葉を向けた分、それ以上に強い言葉を彼に向けた。
　願いを口にしろ。
　それを持って運命を変える誓いを作れ。
　【最悪、死ぬのは自分たちだけ】――そんな逃げ道は、今すぐ叩き壊せ。

　トレニアさん、と彼の唇が言葉を発した。

「戻るためのお守りを、作ってくれますか」
「――Ja.」

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「クチナシの花？　……縁起でもない」

　一度、場所を移動した。
　願いに対して何を見繕うにしても、喫茶店で解決出来る話ではない。
　礼拝堂に戻り、さぁ渡すなら何にしようかと思案を巡らせる。
　実用品ならいくらでもあるし、作る事が出来る。
　でも彼が私に求めるのはそういった戦闘に関係する類のものではないだろう。
　私の姿勢的にも、直接関係しない、彼の背中を支える象徴的な何かの方が望ましいはずだ。

「……ふむ」
　少し、思いつきが浮かんだ。
　奥に向かい、自分の武装を納めてる部屋を確認する。
　比較的小物の類を収めている……あった。

「――これを」
　持ちだしたのは一振りの短剣。
　刃の素材は銀、中央には魔術を込めるための紋様が刻まれている。
　研いではいるが、どちらかといえば儀式用の色合いが強い。両手に剣を持つ都合上、私が実戦で使う事はまずないのだが、司祭としていずれ必要になるかもしれないと、一振り所持していたものだ。
　彼に使えるか、と言われると微妙な所だろう。
　でも、それでもいい。この刃はただ傍らにいて寄り添うだけのもの。
　鋭さではなく、ただ存在を持って力となる事を願う、私からの贈り物としてふさわしいと思えた品だった。
　とはいえ……私はやはり心配症だから、ちょっとした仕掛けは施しているのだけれど。

　鞘ごと渡し、礼を言う彼に頷いて見せる。
　ふと、彼が何かを思い出したかのように術式を展開した。
　……召喚か、そういえばフィリーディス君も似たような術を扱っていた記憶がある。

「……今はこれを受け取ってもらえるかな」

　少し首をかしげたが、Ja.と頷いて受け取った。
　……律儀な人。一々返礼なんてしなくてもいいと思うのだけれど、きっとこれも見栄の一部なのだろう。
　箱までは理解出来たが、彼はさらにもうひとつ小瓶を呼び出した。もう一度首をかしげる。

「何ですか、これは」
「ハンドクリーム」

　……そんなもの使った試しもなかった。
　呆れたかのように笑みの視線を向ける。

「季節の変わり目は肌の調子もおかしくなるから、……教会での作業や剣を持つときに調子が悪いよりはって」
「……気遣いは有難く受け取りますが」

　……貴方はそうしている方が似合っている。

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　彼が引き上げた後、一度は手にしておくべきだろうと、贈り物の包装を解いた。
　ハンドクリームからはほのかに甘い香りがする、少しだけ近づけて探ってみたが、これは薬草の系統だろうか。
　調合で色々とブレンドすることも多いと聞くが、私の調合技術は医療面に偏っていたから、この手のものは余り馴染みがなかった。
　教会近くの森に住んでいた、森人（エルフ）の少女なら或いは何かわかったのかもしれないが。

　――自身に必要のないもの、そう思ってはいたが、だからといって貰った気持ちを無碍にしたい訳でもない。
　未知に対する少しの緊張を持ちながらも、指に少しすくって、まぶした。

　手を擦り合わせながら浅い物思いにふける。
　クリームが馴染み、薄く感触として手を覆う。
　……そういえばつい少し前、手に負担をかけたばかりだった事を思い出した。

　尤も、彼が案じたような剣の負担ではなく別の件。
　一ヶ月半ほど前のイベントで、素手で高温のものを扱う機会があったという、それだけ。
　他にも二名同じ事をしていたが……分け与えるのか、と浮かんだ考えを明確に否定した。
　意地悪をしている訳ではない、ただ、これは私を案じて贈られたものだから。
　他人の気遣いを勝手に回してしまうのは何かが違う。
　他に使った所で何か言われる事はないだろうけど、必要性がないなら、今は独り占めしても罰は当たらないと思えた。

　彼からの贈り物はもうひとつあった。
　ポプリかと思って手にすると、手指が取ろうとしたもの以外の感触にあたる。
　これは……植物の種？

「――。トレニア」

　余り知られてはいないようだが、私の名前は確かに花の名だった。
　隠れて渡すところが、精一杯勇気を振り絞ったであろう彼らしい。ただ――。

　　――名前ですか？　トレニア、と。
　　　用件が終わったら、忘れて頂いて構いません。ただ役割に応じてつけられた名前ですから――。

　申し訳ない事に、このセリフを口にしていた三年前から、私はたいして変わってはいない。

「――Ja，でもお気持ちは有難く」

　教会は聖人を花になぞらえる事を好む。
　孤児である私は、そのままそれらの名を受け継いでいた。
　ただ、私たちの教会はただものじゃない。故に。

「――“可憐な欲望”」

　それが私の名に託された意味だった。