ENo.3 満月の森　夜明の海　王たる者と騎士

【シー＊アリ＊アカリ（527）さんをお借りしました！】

梅花氷裂

「ぅ、ひ」

詰めが甘いとはよく言われていた。お前はやりすぎくらいで丁度いいと。
でもこれは、詰めたってどうしようも……

―――――

リンディの体は4つの人格が交代で使っている。
4つの人格全てを生かし、存在させ続ける為に。
戦闘中にころころと口調が変わるのは割かしそのせいである。
しかし、共同生活が長くなればなるほど『一人の時間』が欲しくなるのは道理というもので。

「共鳴する空間　参式」

微睡みに満ちた空間にささやかな声が響く。夜着に身を包み寝台に横になった彼女の手には羊皮紙が握られていた。
魔法陣にリンディの魔力が吸い取られ、魔力の蜃気楼が立ち上る。

媒体は己の魔力。呼び出すのは魂の一つ。
彼女は目覚めない。細心の注意を払っているのだから当たり前かもしれないが。

寝言のような詠唱が折り重なり、集積した魔力がヒトの形を作っていく。
それがいよいよ実体を持つ、その瞬間。シャボン玉が弾けるように魔力の人形は掻き消えた。

―――――

広がるのは森。或いは林、とか山。
何度か目をしばたたかせ漸く事態を飲み込んだ。
自身が行った召喚術が成功したのを。

いや、正確には八割がた成功というのかもしれない。
夜着を纏った体は間違いなく女性のものだったからだ。

「……やっちゃった……」

声は自分の、第三人格の声。まだ大人に成りきっていない声だ。垂れ下がる前髪をつまんで色を確認し、ため息をついた。
髪は銀糸のように美しく、影はやや青みがかかっている。自分の髪はもっと別の色をしていたが、ここの誰も知らない。
気を取り直して歩き出す。

「この辺だったかな…？目印がここで…」

真夜中の月明かり。それにも負けない空色の輝き。魔力の残滓が発光している。
この魔力はここ数日でこっそり仕掛けたものだ。戦闘中とか移動中にすこーしずつ。
魔力を湯水のように使って戦うスタイルだから多少細工をしておいてもばれなかった。
或いはバレてて黙ってるんだろうけど…きっとその可能性が高いと思う。

「曲がって、すぐ……ここだ」

感覚を共有して『同じように味わう』のと、自分が体を動かし堪能するのは違う。
でも下らないことだから皆に頼むことはできなくて。

セルフォリーフは意外とこういう隠れスポットが多いらしい。
高い茂み。角が丸い長方形を描く岩。立ち昇るのは独特の臭いがする湯気。

温泉だ。

誰かが手を入れたのか岩は滑らかな表面を晒している。何より、脱衣所…というには質素な小屋があった。
偶然見つけたそこには『凶暴化した生物に勝てる人、どうぞ。私は無理でした』という看板のみが立っていて。
異変が起きてゆっくり入れなくなったんだろうというのはすぐに解った。

この高い茂みは森と平原の間みたいな扱いなのかもしれない。不意打ちで多少強化されてるようにおもえるんだろう。
……全裸で入るわけだから当たり前では、あるんだけど。

「混浴だけど誰もいないよね…夜中だし」

小屋に入り魔力で結界を張った。簡単な人払いの術くらいはこの体でも使える。
知らないものは辿り着けないこの場所で。のんびりと鼻歌を歌い始めた。

「湯気すごいなぁ」

寒いと暖かいを行き来している今、夜はかなり冷え込んでいる。そのせいか立ち上がる湯気の量が増しているようだ。
誰も居ないのは解っているがマナーだろう、一も二もなく体を流す。ついでに頭も流した。
ぺたりと張り付く髪を掻き上げ、タオルを岩に置いて湯船に陣取る。

「はぁ……」

満天の星空、澄んだ空気。贅沢な『たった一人の』時間。
見上げた先で瞬く星座の名前は解らない。というかこの世界では名前が違ったりするかもしれない。
けど、そんなの関係なしに、この世界の星空は綺麗だ。薄い乳白色をした湯には残念ながら映っていないけど。

「……？」

何か、いま、右の二の腕に触れた気がする。
それは肌をくすぐりながら時折絡み付いてくる、ような。

「―――ッ」

武器はない。召喚術を使えるほどの魔力もない。
知らず強張る顔。慎重に左手を上げる。
お湯の中をゆっくり移動させ、『何か』を掴む―――――

「ん？なんだ？」

「！？」

黒くて細い何かは声を上げた。
それは意外にも『大人になりかけた少女のような』声、で。

ちゃぷ、と僅かな水音をを立てて質量のあるものが近づいてくる。
視界のほとんどを奪っていた湯気が、冷気を運ぶ風で払われた。

「おお、リンディではないか」
「あっ…アカリ、さん？」

闇夜に浮き立つ濡れ羽色の髪。
星の光を閉じ込めた黄金色の瞳。
優しさを表すように下がった目尻に泣き黒子。

そして膨らみを感じさせない、その、いやいやいやいやいや！？

「ふん？お主はいつもの『リンディ』ではないのか。まあよい、予の髪を上げてたもれ。ほどけてしまったのじゃ」
「あ、は、はい…」
「初いやつよな。ほれ」

悪戯っぽい笑顔を向けられ居たたまれない気持ちになった。
くるりと回転したアカリさんの背中にはたっぷりと黒髪が流れている。たぶん諦めて一度全部解いたんだろう。
誰もいない（と思っていた）んだから誰も責めることは出来ないと思う。むしろ邪魔をしただけこっちが悪いかもしれない。

慎重にかき集めると白く眩しい背中が露になった。
細い首に白いうなじ。肩幅もそこまでない。
典型的な『女の子』。救援者とは思えない。

「アカリさん見た目通り細いんですね。通りで服が重そうに見えるはずだ…」
「そちのように『育つ』種族ではないからの。動く必要もない、不自由したことはないぞぇ」
「そういえば神様なんでしたっけ。大変そうですね」

掬った髪を軽く搾って捻り、手渡されたタオルに巻き込んで留めた。
…ものすごいボリュームだけどこれでいいんだろうか。

「ふむ、なかなか器用じゃな。礼でもしてやろ」
「お礼？そんなの要らないですよ、そんな大したことしてないです」
「くれてやると言うのじゃ。ありがたく受け取るがよいぞ」

そう言うと、アカリさんは僕の上にのしかかった。

のしかかった？

「ちょっ、お！？」
「前々から思っておったがやはり『体格』が違うのぉ。この世界の不可思議なことよ」

小さな手が肩に触れ二の腕に回される。まじまじと見下ろしてくる瞳は感心の色を湛えていた。

「そんな鑑賞しないでくださっ…どうせお湯で見えな…というかお礼ってなんです！？」
「ほっほっ。由緒正しき疲労回復法じゃて」
「いぃいぃぃぃいらないですッ！！要りませんから…っ？」

おかしい。体が動かない。僕、というかこの体のほうが間違いなく力は強いはずなのに。
細く薄いタオルすら巻いてない生身の人間を振りほどけないなんて！？

「これでも神じゃからのぉ…ヒトの弱点は熟知しておる」
「そういう問題じゃないですよ！関節をキメる神様なんてちょっと嫌です！！」

僕の叫びにもアカリさんはくつくつと喉を鳴らすだけ。
ぐ、とおでこがくっつく距離に顔を寄せられた。

「ぬしは本当に真面目じゃな。いろいろ溜め込んでおろ？全部出してしまうが良い」

星色の煌きが闇夜に広がる。アカリさん、は、三人組の中で　魅惑　を担当してい、て。

「ふふ、別に取って食いはせぬ。安心せい」
「ぅ、ひ」

頭がぼーっとする。唇に冷たいものが押し当てられた。
それが何か理解するよりも先に唇の隙間から熱いものが流れ込んでくる。

訳が解らない。
変な味と奇妙な匂いが頭を突き刺す。

「っぷあ！お、おさ　け！？」
「お主は成人しておろう？雪見酒とは行かぬがな、飲んで堪能するがよい。
　余も口にする言わば御神酒ぞ」
「ありがとうございます…じゃなくてっ！僕はまだ未成年……」

慌てて体を起こすと世界が揺れた。湯船が激しく揺れている。
ぐらん　ぐらん　おもちゃのように上半身がぶれる。

「ぁー…あ……」
「相当弱いようじゃの。ほれ特別に胸を貸してやろ」
「す……、みませ……でも、いらない、です…」

お酒は『普段やりたくても我慢していること』をしてしまう悪魔の薬だ。
僕は多分、健全な青少年に含まれる。
一刻も早く別れの挨拶をして湯船から出ないと。

「その様子だと他の魂はおらんようじゃな？」

今度は頭の奥が痺れだした。
星明り。黄金の光。目は口ほどに物を言うとか。
目が何か言ってる。アカリさんの目。

右手を伸ばした。辛うじて岩肌を掴む。
やりたくても我慢してる、こと。

左手を伸ばした先に春告草が見える。白く透明な中に鮮やかな赤。
そうか、もうすぐ春なのか……

………………

「っは！？」
「おはよう御座います、リンディ様。まだ夜中ですのでごゆっくりなさって大丈夫ですよ。―――動かないで下さい」

体を起こそうとして押し留めてきたのは確か、アリケさんだ。金の髪と青い瞳がきれいな人。
ベンチに腰掛けたその人の膝枕で寝かせられているのが辛うじて理解できた。

「え、あの、僕は？」
「湯疲れ、といいますかアカリ様が仰るにはのぼせてらっしゃいました。間違いなくお酒が原因です。
　幸い熱燗のようでしたので明日には残らないと思います」

ご迷惑をおかけしました、と深く頭を下げる（でも胸で顔は見えない）アリケさんに首を振る。

「謝られるようなことじゃないです。それよりあの、服は」
「はい。僭越ながら私が着せさせて頂きました」
「ありがとうございました…も、もう大丈夫です」

女性に服を着せてもらうなんて一生の恥だ…ずりずりと膝から頭を下ろし腹筋だけで起き上がった。
ぐわん、と揺れた頭に顔をしかめつつなんとかアリケさんの横に座る。
すると頬に冷たいものが押し付けられた。振り向けば、専用の豪華な椅子に腰掛けたアカリさんの苦笑。

「そこまで弱いとは知らぬでな。詫びじゃ」
「いただ、きます…」

それは小さな硝子の容器に満たされた、半透明のシャーベット。
飾られた鮮やかな梅の花が目を惹いた。

やっぱり判断力が落ちているようだ。
お礼もそこそこにシャーベットを口に運ぶ。

僕が触れた氷梅は甘く、僅かに酸っぱく、
ほんの少し、苦かった。

ちなみに脱走はバレてた。