ENo.3 満月の森　夜明の海　王たる者と騎士

王宮に咲く桜は見事だった。それが桜という名ということすら私は知らなかったが。

紫に見えるほどの紅色。楚々とした淡紅。穢れのない純白。

今は亡き、いや在るか定かではない私の国に、桜はあったか、と陛下は聞いた。

覚えている限りではありませんでした、と私は答えた。

「この世界にも桜があるんですね」
「よく見えるなぁ…って、あ、僕にも見えた」
「見える見えるー！！すごいーっ！」
「一応魔眼とか邪眼に属する目だもの。邪魔なものを透過するのは便利よね」

無用心にも街からふらりと出ようとしていた街人から聞き及ぶ話。今は遥か遠くに見える森の中に桜があるという。
意識して視線を向ければ確かに見えた。人間の目では距離と障害物で不可能だろうが目の前に桜の大樹が広がっている。
いくら目の前に見えようと花びらに触れることは不可能だったが。

「あると解ってたら寄り道お願いしたのに…」
「お花見お花見ーやーりたいーなー」
「花見の名所には屋台がでる世界もあるんですよね？」
「そうだな。夜通し道路を封鎖して酒盛りする世界もある」
「それはどうなんでしょう…」

桜の木、浮かぶ満月とくれば酒と結びつけないわけがない。……花札ではないと断っておく。
お弁当持って少し遠くの桜の名所へ。ぼーっと座って桜を眺めて。
流れてくる思考はどこまでも平和で、穏やかで、満たされていた。

桜の木の下には死体が埋まっている、という話を聞いたことがあるかと問われた。

そういった魔性の植物でないのならばありません、と私は答えた。

陛下は穏やかな笑みを浮かべ、そう思わずには居られないくらい桜を美しく感じる者もいたのだと仰有られた。

一番濃い紅紫の花をつけた木。これは建国に合わせて植えられたのだと、陛下は笑う。

「今からじゃ見に行く頃には散っちゃうよね」
「この世界の標準が解らないけど、大いに有り得るわ」
「気がつけば季節が過ぎてるもんなぁ。年が明けたのなんて解らなかったくらい…」
「光陰矢のごとしどころではないからな。体調を崩す救援者がいないか心配になる」
「優しいのね」

季節の変わり目は風邪をひきやすいというのが定説だ。
豊かで恵まれたセルフォリーフではあるが季節の変わり方は凄まじくとても体が適応できまい。
一年中安定した気候の世界に住んでいた者にとっては地獄のような場所だろう。

『桜は記念に植えるといいものだと教わった。共に育ち、数百年、数千年のあいだ咲き誇るからと』

『この国が関わった全ての争いをこの桜は知っている。そう考えるとなかなか感慨深い』

陛下はここに死体を埋めたことが、あるのですか？

『死体を運ぶのは生きているのを運ぶより大変だから、指示したことはないかな』

「桜スイーツ！」
「桜スイーツっ」
「桜の塩漬けがあれば、作らせて頂きますが」
「桜は八重桜じゃないとだめなんじゃ…売ってあるのかな？」
「八重桜は一重の少し後に咲く筈なの。漬ける時間もあるし去年から残してあるものが順当でしょうね」

風流なのは理解できるが、最初に桜を塩漬けにして食おうと思った奴は何を考えていたのだろうか。
香りと見た目が良いから八重桜を使ったと見た気がするが、単純に一重のものより旨そうに見えたからとかがあり得そうな線だ。
桜ご飯。桜湯。それらはともかく、桜さえ載せておけば大抵のものは桜スイーツになるだろうというのは浅慮だろうか。

―――――どんな季節でも食べ物の事ばかり考えている気がする。

『死体といえば…この桜はエドヒガンという種類が元になっている。特徴的な花が咲くから判りやすい』

陛下が手を伸ばしたのは別の桜。淡い紅色の花がついていた。
花の根本というか、茎というか、そこに丸い膨らみがある。

『えど、ひがん？』

『江戸は地名、彼岸は理想の世界。あるいは死後。だからこの桜の下に死体が埋まっていても納得はする―――おいで』

「羊羹とかおまんじゅうとか…」
「ああ、ほらここレアチーズケーキ」
「塩味…あ、塩抜きって工程があるんですね」
「塩を残すと餡の甘味は引き立つ。当たり前だが本来は和菓子向きだな」
「お花見しながら食べるなら和菓子だよねっ！洋菓子のほうが好きだけど！」
「持ち歩き的に洋菓子はあまり向かないから……崩れたり潰れたり」

端末には大量の塩漬けの作り方と少量の調理法が浮かんでいる。
菓子屋には意外と季節物として出まわるが、一般家庭で馴染みがないから当然か。
…故郷に居たときは何に使うのか解らないくらいに作っていた記憶があるのだが。

手招きされるまま近づくと、陛下は木の幹に耳を押し当てる。
私にも同じ事をしろということなのだろう。

『―――――音がします。水のような』

陛下は静かな笑みを浮かべて目を閉じていた。お召し物が汚れます、というのは言わない。
ああ、そうだ。陛下は銀色の鎧を着ていた。鎧だからいいかと思ったのだ。

『ひがん、悲願。この桜なら死体の悲願を叶えてくれるかもしれないね、供養という意味でなら。
　試しに埋めてみようか？ちょうどこの桜は食用にできないから』

死体がある。あった。山ほどという表現がいくつからの数を表すのか解らないが。
無視できないくらいには死体があった。作ったからだ。

「レアチーズケーキとロールケーキの二択っ！」
「いきなりとっても狭まったね」
「容器に入れた状態で完成できるか、持ち運んでも崩れない物か、ね」
「桜湯はないとして……お茶に桜はないんでしょうか？」
「お抹茶とかに浮かべる？」
「一応、葉をブレンドしたものなら紅茶も緑茶もあるの」

『……なぜ、食用にならないのですか』

未だ桜の木に二人で耳を当て向かい合ったままだった。
間抜けな格好で間抜けな問い。それでも陛下は楽しげに笑う。

『花が一重だから。八重を使った方が豪華で見た目が良いらしいよ？』

目だけを上に向ける。確かに花は一重だった。しかし納得がいかない。
空気を満たす香りも、花の美しさも、充分だと思ったからだ。

『ならば私がお作りします。八重桜に劣らないものを』

『言うと思ったよ。…どうせだからこっちにしよう』

陛下が流れるような動作で別の木へ移る。慎ましやかな淡紅を纏った木だった。
この色もまた良い。桜と同じ色の唇が優美な弧を描く。

「こっちが私の即位記念。これくらいの色のほうが桜らしくていいと思うよ。
　ほら、建国記念はそっとしておいたほうが良いだろうし」
「解りました。大事にさせて頂きます―――――？」
「ここにいらっしゃいましたか」

桜の影から現れたのはこの国の、軍事のトップ。陛下の腹心その一。
その歩みが私の姿を認めて止まった。

全てが止まる。停止する。風に舞う桜すらも。

「随分早かったね。もう終わったのか」
「はい。他の者には休憩をとらせています。……負傷者の手当ても終わりましたので」
「それはよかった。君も休んだほうが良いと、私は思うんだけどね？」
「お言葉ですが一番休むべきなのは陛下です」

全員が桜の下に集う。全員が全員鎧を着込んだ物騒な絵面。
この国の剣と、盾と、その持ち主。

陛下を挟んだ二等辺三角形。そのバランスに落ち着いたのか再び桜が舞い始めた。

「経営者には労働基準法は適用されないから大丈夫だよ」
《　大丈夫ではないでしょう　》

…………………………。

「二人の仲の良さに嫉妬してしまうねえ」
《　誰と誰の仲が　》

睨み合い。実に不毛だ。陛下の可笑しそうな笑顔だけが唯一この場で意味がある。
つ、と上げられた腕に反応するタイミングも同じ。膝を折って頭を垂れる早さも全く同じ。

「仕事熱心で優秀な部下が二人もいて私は幸せだよ。というわけで二人にお仕事だ」
「……？」
「袋、ですか」

手渡されたのは白い布袋だった。大人の上半身くらいのサイズがある。なんとは無しに嫌な予感がした。
顔を上げれば満開の花のような笑顔がある。眩しい。二人して目を細める。遠くを見るような気持ちで。

「満開、八分咲き、蕾の3輪か、満開2つと蕾の3輪だけ摘み取ってね。一重桜の塩漬けに最適な組み合わせらしいから」
《　……陛下はどちらに　》
「お花見の打ち合わせでもしてくるよ。じゃあ、頑張って―――ああ、摘むのはこの木からだけにしてね」

それだけ言うと陛下は踵を返してしまった。私達には残念ながら陛下を止める権限はない。
呆然としていたのは互いに一瞬だけで、同時に視線を交わすと直ぐ様桜に手を伸ばす。
互いに枝を折らないように。幹を傷つけたりしないように牽制しながら。

「よかったです、残してる人が居て」
「作ったのは良いけど使い道は…って空気がしたもの」
「漬け方次第ではお漬け物みたいに食べられるのにねーっ」

浮遊の術まで使って散々摘み取った花は袋を限界まで膨らませていた。
花の数から重さまで全く一緒の袋が2つ、それを見た陛下は笑い転げないのが不思議なくらいに顔を歪ませていた事を憶えている。

仕事そっちのけ状態で二人で浸けた桜は花見兼聖誕祭で大量に消費されてなお残った。

…聖誕祭？

「―――――ッ！！！」
「わ、起きた」
「びっくりしたー…桜の塩漬けあったよっ」
「おはよう。調子が悪いなら言ってくれたら良かったのに」
「…い、え。すみません、考え事をしていました」

意識だけで頭を振り、現状を認識すべく気合いを入れた。
過去に、記憶に引き摺られていたら他の人格にまで影響がいく。

私はリンディ。

違うくせに

　その第二人格。

二人目？一人目

　　今はただの救援者。

助ける？

　　　　見える桜は八重桜。

赤い

「レアチーズケーキでしたね。お作りします」
「無理しないでね？」
「むぐむぐ。そのまま食べてもおいしーよ！」
「早っ！？あ、でも美味しい」
「中々拘っているな…よし、食い尽くされる前にやってしまおう」
「じゃあ私たちはまた引っ込みましょ。また」
「はい。また」

何も、止まらない。
一重　八重　赤　白　私の　界を埋めていた。