風を捉え、気流を泳ぎ、雲中を切り裂いて羽ばたく。

思う侭に中空を駆け抜け、風の向こう側へと。

天の大海原に、我に追い縋るモノ、只一つとて在らず。

居丈高なりし悠々たる険を誇る山々も、我が足の遥か下。

水上を越え、山岳を跨ぎ、飛鳥を追い越し其の先へ。

気紛れに地上に降り立ちては、暴を振るい、肉を喰らう。

眼前に如何なる障りも無し、見下ろす全て我が一存に。


今日とて目に留めたるは、蛮勇振るいし小粒なるマタギ。

以前喰らいし狩人は槍を投げ、其の前に喰らいし猟師は矢を放った。

如何にも笑止、地を這うモノに我が肉を抉ること能わず。

何の用心が要るものか？

翼を窄めて降下の制御、胸倉を千切らんと牙を鳴らす。

ヤツは初撃を逸した。あとは最早やぶれかぶれ。

確実なる好機。一気呵成の急降下。

刹那、ヤツは宙を駆け、握る刃を振り抜ける。

すれ違い様、我が一翼は胴より離れ、姿勢を保つこと侭ならず。

マタギは天空に、我は下方へ。

落ち行く我が目前に

地が

地が

地が

.

.....

...............................................................................

耳慣れた声の響きに、ぼやけた意識が装いを取り戻して行く。

どうやら我は羽織を被せられ、仰向けに寝かされている。
傍らには赤々と燃える焚火と、花冠の座姿。
ゆっくりと首を起こせば、額の上の布がずるりと滑り落ちた。

身体がひどく重い。
それでいながら、頭のみが浮遊しているような。
未だ脳の奥底には霞が掛かり、時折り鈍き痛みが駆け抜ける。

落ちた布を花冠が額に載せる。
湿った布の冷たさに比して、己の頭部が異様に熱い。

我と我が命を脅かすモノが、確かに己が内に在る。

為ればこそ、死の床に大人しく追従出来得るものでは無い。
浮ついた意識に引かれるようにして、不可思議な程に舌が回る。

否。
吐き出さねばと、我が奥底が頻りに急かすのだ。

言葉を紡ぐ傍らにも、瞳力は衰え、目前の男の輪郭は朧となる。
静寂のすぐ向こう側で、嘗て己が目指した世界が、その身を晒け出していた。
我が、我としてのみ存在し得る場所。

先ほどよりも、花冠の姿は一回り小さく変じて見えた。

炎の揺らぎに合わせ、花冠の外郭が弾ける。
また一回り、目に映る姿は縮こまり、小さくなった。

焦点を正すべく、視線を中空へと向ける。
赤く照らされた木々が、その身を風に預け、緩やかに枝葉を揺らしている。

視界に留まるモノ全て、何も変わって居らぬはずなのだ。

小さく、喉が鳴る。

額に乗せた布へと、花冠が手を伸ばす。
目前に姿を表した掌は確かな輪郭を帯び、直ぐに見えなくなった。

濡れた布の清涼が、火照った身体に染みる。

目蓋の緊張は急速に解され、瞳には帳が降ろされた。
その裏側に、傍らで座る男の姿を描き出す。

落ち着き佇む男は、変わらぬ姿で其処に立ち。
それは何処か、遠く離れた場所に居て、此方を見詰めていた。

目蓋の向こうの男に、語り掛ける。

——パチリ


薪が弾ける音と共に、花冠の身体が膨張した。
炎に照り映え、大きく見上げる姿は、それで居ながら遠く。

風に靡く揺らぎと共に、その影は立ち消え。

瞬間、己の腕は、暗闇の向こう側に在るモノを捉えようと、手を伸ばし。


花冠の下衣を、指先に捕えた。

手繰り寄せようとするも、指だけでは力が篭らぬ。

僅かでも、微かでも、留め置く感触をこの手に欲して。
その幽玄の如き身体さえ、触れ得ることが出来るなら。

より深く掴み取らんと手を広げ、肩を伸ばして這い上がろうと。

差し出した腕は、容易く払われた。

花冠が、その身を一歩下げる。


その、距離が。
彼岸と此岸の境よりも、遥かにして。
まるで陽炎の揺らぎにも似た、不確かなる視野の向こうの様に。


身を起こし、両の腕で花冠の行く後を追い掛けた。

刹那、伸ばした腕が掴まれる。
引き寄せられ様に、無防備な胴体への重い当て身。

意識の糸は千切れ、暗転する視界が目前を覆い包んで行く。

自らが呻いた言葉すら、耳に入らず。


目蓋に焼き付けた男の姿も、また。
音が消え、色を無くし、姿形が崩れて落ちて。

それは、小さな光の集合と成り、霧散して消えた。



これが、衰滅と言うモノだ。

幾度と無く与え、されど決して捉われずに来たモノ。

全ては雑ぜて、そして消え失せた。




*　*　*　*　*




柔らかな風に頬を撫でられ、目覚める。

悪寒は去り行き、視界も明らかに。
生の温もりが、体躯を駆け巡る。

額に置かれた布は、未だ湿り気を残している。



そして、傍らを見遣れば。


——変わらず、其処に男は居た。

自分の想像とは少しずれていたようで、私は謝罪の言葉を述べる。
ただ、どうあっても信用してはくれないようだ、という事は分かった。

はずだったのだが、どうやら私の言った言葉が何かひっかかったようだ。

確かにこの人とは、今ここで会ったのが初めてだ。
だが、『一揆の参加者』という面では同じ立場だろうと。
そう思って言ったのだが、前提から違っていたらしい。

——ひとつ、気になることもある。
それについて聞いてみるのも、悪くは無いはずだ。
ここで交戦する羽目にならなければ、だが。

純粋な興味もある。
外の世界の命を軽んじるように思えるここで戦う理由など、強者には無いはずだと。

だが、それと同じくらい。
『持ち主』に言われた仮面を保てない事が、恐ろしかった。

フィンの言葉に、少しだけ間をおいて答える。

投げ掛けられた外套は、少年の視界を容易く遮った。
それと同時に、彼の肩に乗っていた小さなノームが飛び退くように地面へ降りる。

降り立ったノームは、女性の「何も知らないのか」の問いに少し首を傾げた後、

首を横に振りながら、腕全体で×の字を作ってみせた。