白い軍服を着た黒髪の青年と、白いケープドレスを着た白髪の女性。
ドロワとリーゼロッテ。


問答無用で襲いかかってきた彼女達ではあったが
己を省みぬ暴風のようなイヨルの猛攻の前にリーゼロッテは戦線離脱。
独り残されたドロワは炎の槍を振りかざし突撃を繰り返す
が、所詮は多勢に無勢。追いつめられ、逃走を図る。

結局はただの遭遇戦に終わり、たいした情報も引き出せなかった。
わかったのは、彼らとその縁者の名前。

カーナルド、リーゼロッテ、そしてギル。
そこから導き出される可能性。ベルクレア騎士団。
その名は、いくつかの文献でその名を確認出来る。
その団長、および団員の名。
騙り、もしくはその名を踏襲しているという可能性もあり
彼らがそのものであるかどうかは現時点では不明。

だが、ドロワの名はそこにはなかった。
カーナルドの血を引く者、ということは騎士団長カーナルドその人の息子なのであろう。
血筋により、その将来を約束された


「ユーリが生きていたら今頃は……」

ミチエは小さく、独りごちる。

頬を裂くような冷たい風が雪を運んでいる。

その勢いは、時とともに増していった。




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血を吸った雪が赤く赤く染まる。
小さな、人の形をした赤い染み。
それも新しい雪に覆われて見えなくなる。消えていく。

私の手には何も残らなかった。
何ひとつ。
欠片さえも。
何も。

何も。



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その日は、いつものように夫の帰りを息子と二人で待ちわびていた。
陽も落ち、急速に冷えてきた。
薪を焼べ、夕餉の支度を進める。

「リーヴィニ。鍋を見ていてちょうだい。」

リーヴィニは水の精霊で、私のエンブリオだった。
蓋を開けた腰の小瓶から飛び出すと宙空でくるくると回っている。
そうして鍋のまわりをふわふわと漂っていた。

鍋には煮込んだボルシチが湯気を立てている。
とりたてて美味くも不味くもなく、ただただレシピ通りに作ったような味だった。
あの人はそれに文句を言うわけでもなく、いつも美味しそうに食べてくれていた。

ぐずる息子をあやしつけながら帰りを待つ。
いつもの時刻を過ぎても帰ってくる様子はない。
自警団の仕事が長引いているのだろうか。


吹き付ける雪風に混じって、遠くから何かが聞こえる。
微かに犬の鳴き声が響いていた。低く、重く、遠く。
空を駆ける“猟犬”達の吠える声。冥界の使者。
彷徨える悪しき魂を狩る地獄の猟師たち。
こんな夜は戸締まりをしっかりして、ただただ朝になるのを待つしかない。

けれど。

あの人はまだ帰ってこない。
風はますます強くなり、既に嵐の様だった。
ガタガタと窓が揺れ、家が軋む。
泣いて怖がる息子を抱え、祈りを捧げる。
迷うことなく、約束の地へと真っ直ぐに進めるように。
リンテントポーゼの魔女という肩書きを受け継いでも出来ることはこんなものだ。
薬草を育て、傷薬を処方し、病に対峙する。
怪我は治癒術である程度は治療が出来るが、病はそうもいかない。
リンテントポーゼの魔女は、生と死に関わり、旧くからこの土地を影から守っていた。
その称号を、私はとても誇りに思っていたものだ。


二人で毛布に包まり、空虚な闇を見つめる。
外の音は少しずつ収まっていき、猟犬群の気配も遠ざかりつつある。
あの人は、無事だろうか。
“狩猟”に巻き込まれなかっただろうか。
吹雪で立ち往生していないだろうか。
今夜の帰りを諦めたのなら、それはそれでいい。
こんな夜なのだ。無理をすることはない。

どれだけの時間が経っただろうか。
うとうとと微睡んでいたが、物音に引き戻される。

荒々しく、重々しいノック。

レフが帰ってきたのだ。
慌てて扉に駆け寄り、錠を下ろす。


扉を開けてしまったのだ。
朝まで決して開けてはいけない扉を。
私は、開けてはいけなかったのに。

「イマ　カエッタヨ　アケテオク　レ」


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開いた扉の先には、確かにレフが居た。

雪まみれの、逞しい身体。
自警団の隊長を務めているだけに、確かな腕前だった。
そこいらの魔物程度では到底かなわない。
けれど、この夜は。


小瓶ではなく、木の桶で休んでいたリーヴィニが飛び起きていた。
レフの周囲を矢のように飛ぶ。
全力で警戒し、威嚇している。まるで沸き立つように。
何かがおかしかった。

周囲を飛び回るリーヴィニをレフは億劫につかみ取る。
そして、そのまま握り潰した。
激痛が走り、悶える。
失われたのだ。リーヴィニの存在が。
結ばれていた魂の絆が、焼き切られる痛み。

そうしてレフはその掌を舐めて、啜る。
嘲笑うような目だった。

契約は失効した。私の内から水精の力が根こそぎ喪われる。
虚無感。そして驚愕。混乱。
何が起きているのか、状況の把握が追いついていない。

「り、リーヴィニ!?　レフ、貴方、何を───」

そこから続く言葉は紡げなかった。
嵐のような暴力が、爆ぜるように私達の家を噛み砕いていった。


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気がつくと、私は逆さまに吊り下げられていた。
左足は彼の口内に。
いや、彼だったモノの中に。
既に、ヒトの姿は脱ぎ捨てていた。
レフを殺害し、その姿を奪った魔物。
執拗な猟犬群からの追跡からも逃れた魔物が、そこに居た。

ぞぶり、と嫌な感触。そして目の前が真っ赤になるような衝撃。

床に落ち、転がり、一拍遅れて来る激痛に身悶える。
左腿の途中から先が消失していた。
白い骨の先端が、私の意識を現実に引き戻す。
衣服は既にボロボロで、何だか既にわからない魔物の体液まみれ。
リーヴィニの後、他のエンブリオも奪われ、喰われた。

泣く声は、聞こえない。
ユーリの声は、どこにもない。
目の前で、喪われた。
永遠に。

臓物が零れる脇腹からも血が溢れ続ける。
治癒の力も喪失に追いつかない。
ただ、生と苦しみを長引かせているだけだった。
それでも、抗っていた。

左脚を嚥下した魔物がにやにやと笑ってこちらを見下ろしている。
悦しんでいるのだ、あいつは。

目を背ける。
悲鳴を上げながら這いずり、倒れて壊れた戸棚に縋り付く。
戸棚の奥から封を施された小箱をどうにか取り出した。



怖かった。

奪われるのが怖かった。
殺されるのが怖かった。

運命を呪った。
それを定めたであろう神も。


殺したかった。

私からリフを奪ったあいつを

私からユーリを奪ったあいつを

あいつを殺せるなら、何だってよかった。

何にでも縋る気持ちだった。
そう、何にでも。



それは、異界の“戌”を封じたものだった。
悪魔を封じた闇色の宝石。
リンテントポーゼの魔女が代々管理する封印処理遺物。
存分に血を吸った箱が砕け、石に亀裂が入る。
石を掴み、噛み砕く。今更、歯が欠けようがどうでもよかった。

封を解く鍵は、ガルテンジアの血。
そんなものは今、垂れ流し放題だ。

軛を解かれた悪魔が顕現する。
青い肌。夜色の毛並と大きな翼。四対の瞳。

「オマエカ 我ヲ呼ブノハ？」

「……せ…」

「ハァ？」

「…よこ…せ…」

「お前の力を、お前の全てを！私に！」


その悪魔の名は知っていた。用意されていた。
再び封印するために。その力を御す為に。
互いの真名を組み込み、呪式が発動する。
私の脚とした。腕とした。内臓とした。
血と成り、肉と成り、骨と成り、入り交じる。
失われた、壊れた箇所に悪魔の身体を繋げて埋め合わせた。
悪魔を、呪術の鎖で縛りつけた。
そうして、ヴェルトロスと呼ばれる悪魔を無理矢理に契約させた。


スキュラの法、という術がある。
異界の女神の名を冠するそれは魔物を肉体に取り込み
己が力とする術式で、エンブリオのそれより強制的で、忌まわしいものだ。
解約の出来るエンブリオと違い、後戻りは出来ない。
故に、禁術とされた。
だが、万が一に備えて受け継がれ、習得はされていた。
そんな日が、訪れてしまった。




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悪魔と契約を交わし、肉体を交わし、魔女として地に立つ。
見に纏う衣も無く、獣のような姿だった。

しかし半人半魔のその魔女に、魔物は興味を失っていた。
単純に、不味いのだ。喰って不味いモノに用はない。
いかにもつまらなさそうに唾を吐き捨てると、大きく翼を広げた。
既に半壊し瓦礫となった家の残骸を吹き飛ばし、飛び去っていった。
耳障りな哄笑が明け方の空にいつまでも響いていた。


そして数日後、昏睡していたミチエはジヴィーテ家の者に保護されることになる。
かいつまんで説明はしたものの、真相について語る事は無かった。

　　　　　　　　　　幻妖な光を放つ木の葉の裏側から、覗きこんでるあなたはだぁれ？

　　　△　　土　▲
　　（　㊤　皿　㊤）　　がしゃーん
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　／│　　塊　　│＼　　　　　　　　　がしゃーん
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