14.


　深夜のメルンテーゼ。
　日暮れから風に水の匂いが混じりはじめ、日没とほぼ同時に降りはじめた霧のような小雨が今なお続いている。建物をしとしと鳴らす雨音は善き悪しきの分別なくあらゆるものを消し流し、余分のない落ち着いた気持ちにしてくれる。
　それ故か、今夜のタンポポ荘は眠りにつくのが少しだけ早い。
　そして、カフェバー『リチェッタ』の入り口には「CLOSE」の文字が入った木札がかけられている。
　中には誰もいない——はずなのだが、扉の前に近づき、よく目を凝らしてみればぼんやりとした光が扉の隙間から漏れ出ている。さらによく見れば、扉の先に薄い布で幕引きされているのがわかる。光を遮るためだ。当然、こんなものは日中にはない。
　耳をそばだててみれば、あるはずのない声が聞こえてきた。
　もしかしたらこれは、タンポポ荘の中で命を落とした者の霊魂か何かなのかもしれない——

　なんて、そんなことはビビって逃げ出した誰かが勝手に流した噂話でしかなく、実際に深夜のリチェッタに群がっているのは幽霊などではなくエンブリオたちだ。

　もちろんエンブリオというのは様々な形態を取っているためすべてのエンブリオがその場にいるわけではない。住人たちのエンブリオの一部が深夜のリチェッタに集まっている。それが種族故の特性なのか、主たちのマネをしてみようと思ったのか——理由はいまいちわからない。そもそも理由なんてものはないのかもしれない。



　さて、店内である。
　いつもは日中と同じぐらい賑やかなはずが、雨降るこの日は少しだけ様子が違った。
　それはつまり、異分子がいるからである。なんだってそうだ。いつもと違う状況、選択、感情。そういった「ズレ」が摩擦を生む。
　そして、今この場での異分子というのは——

　四足で立ちながら頭上を睨むアニマと、カウンターの上でそれを見下ろすアルラウネである。
　アニマの側にはオロオロと戸惑うフェアリーが、アルラウネにはノームが駆け寄ろうとしている。他のエンブリオたちは近づこうとはせず、遠巻きに様子を眺めたり、我関せずと見向きもしなかったりと様々だ。

　突き放すような、アルラウネの甲高い舌打ち。

　その言葉に、アニマの眼光の鋭さがいや増す。
　——だというのに、アルラウネはそよ風を受けたかのように上機嫌な笑みを浮かべるのだ。

　何の話だ、と聞き返す間もあらばこそ、

　まるで水をかけられたかのような、アニマの反応。

　楽しくてしようがないといった、アルラウネの笑い声。

　風切り音に、アルラウネの言葉が止まる。
　「アジリティ」。電光石火のアニマの動きが、アルラウネには視覚することができない。アニマがカウンターの上へと着地するのと同時、取り残されていた爪撃が追いつく。はらりと、アルラウネの髪の毛先が宙を舞う。
　ただひと言、

　烈火の如く毛を逆立てるアニマに、今まで見せたことのない氷のような無表情のアルラウネ。
　アルラウネの右手が、明確な意志を持って動き出したそのとき、
　二人の間を、巨大な「握り拳」がまるで雷のような音を立ててカウンターを引き裂いた。

　衝撃で宙に投げ出されたアニマとアルラウネが床に着地。見上げると、そこには微笑を浮かべるノームがいる。
　先に我に返ったのはアルラウネの方だった。毒気を抜くようなため息を深く吐いて、

　オロオロと右へ左へ身体を揺らすノーム。

　ばたばたと音を立ててカウンターをどうにかしようとするノームとフェアリー。アルラウネは眠そうな目つきでそれを一瞥するとすぐに視線を外して、ふわりと浮いて手近なテーブルの上に乗る。一足遅れて我に返ったアニマがその後を追って、椅子に飛び移る。

　ノームとフェアリーがこちらを見ている気配。アルラウネはそれを無視し、横目でアニマを見て、

　アニマの息を呑む音。アルラウネはそれを笑うことはせず、むしろ不思議そうにアニマを見直して、

　ギリ、と歯噛みする音。
　どこで引っかかったのかと思っていたがそこか——アルラウネは一人得心する。
　そして、失意の表情をするフェアリーにもアルラウネは気づいている。ただまあ、それをアニマは教えてやる義理はない。

　アニマは目を丸くする。

　再びアニマの瞳に怒りが灯るが——今度のそれは、今にも消えそうな風吹く中の灯火だ。

　アルラウネから目を逸らして無言を返すアニマの顔には、明白な困惑の色があった。
　アルラウネは答えを待ちはしなかったし、どのようなものであれ聞く気もなかった。

　そう言うだけ言って、アルラウネはテーブルから飛び降りてリチェッタから立ち去ろうとする。
　周囲の視線が絡みついてきて、気分が悪くてしかたがない。さっさと帰ろう、そう思った。
　しかし、アルラウネはまるで忘れ物をしたような顔つきで、アニマの方へと振り返った。

　アニマはただ、石像のように固まるしかない。
　アルラウネは無表情だった。それにもっとも疑問を感じているのは、他ならぬアルラウネ自身だ。周囲の好奇の視線がイラつくものだから、アニマに当たってやろう——そう思って言ったことのはずなのに、まったく愉快な気分にならなかった。不愉快な気分にもならなかった。
　なぜ自分はあんなことを言ったのだろうか。
　そんな自問を抱えながら、アルラウネはリチェッタを去っていく。

　遠くで見ていたノームが、今にも泣き出しそうなフェアリーの頭を撫でながら、しかしその視線はアニマとアルラウネがいた場所を見つめながら——ぽつりと呟く。

どう見ても花には見えないし、ナナシはいまいち納得が言っていない様子。

一瞬押し黙ると、何を思ったのかポポロに顔を寄せて匂いを嗅ぎ始めた！

匂いを嗅ぎつつついでにぺたぺた。触っても問題のないような辺りを確認するように触っている。

　クロエは怪しげな知識を満面の笑みを浮かべつつまくしたてる。

　『ご主人様』をポポロがどういう意味で言ったのかはともかく、クーリアは普通に主従関係と理解したらしい。
　と、言うよりは、別の『ご主人様』を知らないのだろう。

　主従関係も充分特別な関係と言えるのだろうが…
　とにかく、不健全な関係ではないようだと、少し安堵したような顔をしている。

〜過去編〜

最初から世間ズレした奴だとは思っていた。
それでも真正面から話そうとするから、余計に疲れるのだ。

理解しようとして、思考を巡らせて、ますます信じられない。
八つ当たりじみた冗談は、言った本人に更なる混乱を招く結果となる。

話を聞くばかりではわからないことが増えてゆく一方。
X-13はそのタンポポ荘が何なのかを、自分の目で確かめることにする。
そうしてポポロを急かし始めた。

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〜再会編〜

短い返事と共に、差し出された鍵を受け取る。
鍵に付いてるストラップを確認するように見た後、ポケットに仕舞い込んだ。

フードを被り、その場から背を向け歩き出す。

(花壇に何を植えようか、もう考えているらしい—）

(「これでも育ててみる？」とエプロンの裏ポケットから取り出す—）

【球根】
「ムスカリ」という青紫の花の球根。
香りが良く、水栽培も容易だが、猫には猛毒らしい。
花言葉は「明るい未来」

効果音があれば『バァ—z＿ン！』って付きそうな
言いっぷりだった！

　ぞくり、と背筋が震えた気がした。

　何故だろう。とても明るい笑顔なのに、異質な気配を感じる。
　元より、妖である自分よりも遥か高みに居る存在だから、だろうか。

　そんなことがありえるのだろうか？

きょとん、とした顔で、ポポロが言った言葉を繰り返した。
思いも寄らない考えだったらしい。

思わず田舎の言葉が。とんでもなさ過ぎるもの、仕方ないね。

ポポロさんを(ある意味)危険だと見なしたのか、顔を真っ赤にしてポポロさんと距離をとります。腰が引けているのでそう早くは距離もあきませんが。