「助けてください」

彼は、そう叫んでいた。
誰か、と。届くものが限られている中、限られているからこそ。

目を合わせる。彼の瞳が、見開かれる。驚きと、喜色と。
それだけで、十分だった。
半歩前を歩く先輩の服の裾を、引く。

「──妹を助けたいんです」

耳にした声そのままを、唇に乗せる。
振り返った茶と翡翠の瞳が、馴れたように私から傍らの彼へと、映った。

「……もしかして」

「……『お悩み相談』」

それだけで伝わると、確信していた。



「ナイトスピリットは、兵士たちの魂……。僕たちにとっての、仇なんです」

王の乱心も、国民の飢餓も。
歴史や物語、世界の反対側にあるもので。
こんな風に近くで触れる事になるとは、思っていなかった。

働かなくては生きられない。働いても生きられない。
エンブリオの恩恵を受けながら暮らしていたと言うのなら、
より圧迫される中、それ無しに生活を保つのは、困難を窮めるのだろう。
王城を目指せば、現王を玉座から下ろすことが出来たのなら、
元の世界に戻る術だけではなく、彼らのような境遇を持つ人々もいなくなるのだろうかと。
そんな事を少しだけ、思う。
一揆の、一揆らしい目的。外から来た私とは、噛み合わないはずの。

「……平凡な農民、だったのなら。妹さんは、戦う術がないのではないの」

一通り事情を話し終えた彼に、気になって問うた。
勝負を挑んだ。そう言うからにはてっきり、多少は何かの心得があるのだろうと思っていたのだけれど。
頷くのを見て、彼らの言葉が届かない先輩へと、視線を移す。
表情が強ばらない様に、数度、瞬きをした。

「先輩。あまり悠長にしていられない。
『行く前』に、のまれたら。……妹さんが、消えてしまう」

言った後に、失言に気付く。彼は、気にしていたようには見えなかったけれど。
それでも、急がなければいけないと思った。
彼に、彼らに、そんな瞬間を見せるわけにはいかない。
一度失ったものを、二度も、失わせてしまうのは。

「お願いします。トリスを助けたいんです」

切実な声に、大丈夫だと、笑顔で請け負う先輩の姿は、懐かしくも頼もしい。
あちらでの日常を、こちらでも果たす事になるとは思わなかったけれど。

「行こう、冬花。……それと」

「ルドルフ。僕は、ルドルフです」

「私は、冬花。彼は、魔異」

こちらでも、する事は変わらない。──今度は私も『力』になれるのだから。

「ルドルフ……彼らのところに、案内して」

ついでに様々な手を尽くして、更生してくれても良い。
なんて。普段の無表情で、冗談か本気かわらかない言葉を零しつつ。

少年の真似か。少しぎこちなく、言葉を紡いだ。

教えてあげましょう、と。付け加えながら続ける。

実のところ、記憶は曖昧な部分が多い。
もう少し。何かを知っている気がするのに、辿ろうとすれば途中で切れる。
そう付け足し。……何かを考えるように、暫し押し黙った。

それは、途切れた記憶と関係して、いるのかもしれないけれど。

ぐしゃり。見開かれた右眼の先で、足元の岩の一つが圧壊する。

姿なき彼、ルドルフの言葉を思い出す。
守るべき民草を虐げ、王に従い、罪なき人々を玩具のように扱う悪鬼たち。
それは死して尚、その性根は変わらず、弱き者を食らう外道。
下卑た高笑いを上げ、獲物の到来を喜ぶナイトスピリットたちを見つめ、魔異は静かに怒りを燃やす。

それは、怨嗟ではない。
邪悪に抗う正義の衝動。
滅ぼし奪う為でなく、救い護る為の想いのかたち。

右眼を、開く。
『意味』持つ右眼が、翡翠の暴風を逆巻いた。
貫く為の、想いのかたち。正しき怒りの、力のかたち。