暮れなずむ西の空が、ちらちらとオレンジに光る。
それを反射するのは、星屑の小川の揺れる水面。
真っ黒なシルエットになって、水面のきらめきを蹴散らす子供の笑い声。

小川に待機したままのエンブリオたちは、それぞれマイペースに過ごしながらアジュガとカリンカランの帰りを待っていた。
待てども待てども、昼に出かけたきり、二人は帰ってこない。
それでも、一同は対してそれを深刻視することもなく、ただのんびりと二人を待ち続けていた。
マイペースなアジュガたちのことだ、行く先でうさぎか魚でも見つけたのだろう。
それとも、この夕焼け空をどこかに座りながら、じーっと眺めているのかもしれない。
我々の主人はそういう娘で、その保護者もそれを止めきれない性分も持ち主だ。

それでもさすがに日が落ちる頃ともなると、誰ともなく顔を見合わせる。
これはさすがに、少しおかしい。
川原がざわつきはじめたところで、川遊びをしていたキョンシーが、対岸を指差した。

ぽうと明るい、一つの光。
それがこちらに接近してくる。誰なのかはわかっていた。

そう言って、キョンシーは再び川辺の光の方へと走り出す。
水の流れに一度足をとられ、顔面から川に突っ込むも、すぐに立ち上がりカリンカランのもとへ。
子猫が蝶をひっかけるような動作で、乱暴に明滅する光を捕まえると、そっと掌の中を覗き込む。

潰さないように、指先で優しくつまみあげる。

濡れたキョンシーの手でか、その涙でか、くっしゃりと濡れた妖精が一匹、そこにいた。


* * * *


戻ったカリンカランは茫然自失で、一言も喋らない。
そしてアジュガはここにはいない。
不穏な空気がエンブリオたちの間に流れるが、その空気を打ち破るように、パンパンと手を鳴らすものがいた。
布巾を手にした有角の、小柄な女性が一人、しゃんと立っている。

白い布巾がばさりと音を立てて、二人を包み込む。
サンインは布巾とじゃれつくような勢いだったが、カリンカランは殆ど、されるがままのような状態だった。

この小柄なメイドとシツジは双子の兄妹で、名をそれぞれクェンティンとセレステという。
本人たちは自分が悪魔であると名乗っているが、実証するものは存在しないので、それが正しいのかは誰にもわからない。
ただし、その羊のような角と耳、底の見えぬ穴のような黒い瞳は、人ならぬ者には間違いないということを示していた。
また、彼らはメイド・シツジと呼ばれる種族の中ではやや異端な方で、主人へ敬意を殆ど示さない。
代わりに見下すようなこともしなかったが、そのためにアジュガと彼らは、かなり対等な関係を築いていた。
それでも人に仕えることをやめないのは、その種族からか。
彼らの身長はどちらも130センチほどしかない。

そして、二人に絡まっているキョンシーの名はサンインという。散桜と書く。
クェンティンが130センチ程度なのに対し、彼女は150センチはあるため、はたから見ていると託卵された鳥の巣のようだ。
彼女の性質は子供そのもので、従順ではあるが力加減はできず、よく笑う。
また、アジュガのものとは比べ物にならないほどの、花と薬を混ぜたかのような、独特の臭気を放っている。
これで腐敗を防いでいるのかもしれないが、詳細は誰も知らない。

三人とはそれぞれ地下牢で出会って以降、行動を共にしている。

双子曰く、面白いから契約を決めたそうだ。
あの同じ景色の続く退屈な地下牢に、ふいに出現した侵入者が、人間側の主であるラズロを打ち倒すさまを、近くで見ていた。
そこに敬意などは全く存在しない、本当に「ただ面白かったから」ついてきているだけなのだろう。
この刺激に飢えた退屈な使用悪魔たちは、良くも悪くも嘘はあまりつくことがない。
この荒れ狂う一揆衆の中に、もっと刺激的で興味深い人類が現れたときは、ふっといなくなるのかもしれない。

サンインはもっと、もっとまぬけな理由で、彼女は単純に逃げ損ねたのだ。
ラズロ撤退時に、置いていかれたまま、流れでアジュガたちについてきた。
はじめは警戒も少々されていたのだが、あんまりにもおつむが弱いことがはっきりしたので、今ではすっかりそのままにされている。

サンインがぐじぐじと鼻水まで顔を拭う横で、カリンカランは布巾を背負ったまま、焚き火の炎に当たっていた。
そこにセレステがしゃがみこむ。
彼女も小柄ではあるが当然、妖精と比べればずっと大きい。

そう答えたカリンカランのところへ、クェンティンも腰を落とす。
カリンカランは目の前の、同じ色をたたえた四つの瞳を交互に見やった。

それから、カリンカランはぽつり、ぽつりと話し始めた。
カリンカランの視点から見れば、どう考えてもアジュガの心臓であるベルエトワールが、アジュガを騙していること。
アジュガにそのことを相談して、彼女と口論になったこと。
そしてその場で契約を打ち切られ、彼女を探し回っても見つからず、今に至ること。
セレステは始終淡々と、対するクェンティンは同調してウンウンと時折頷きながら、カリンカランの話を聞いた。

サンインは特に参加していなかった。
そろそろおねむの時間だったからだ。

話がある程度済んだところで、焚き火に薪をくべていたヴィツが立ち上がる。
炎の灯った小さな小枝を一つ、右手に掲げて。
そして夜の暗い闇の向こうの方を見据えた。
彼は喋らなかった、炎を手にしているこの状況で、人と会話することが無理だということが分かっていたから。
それでもその行動ひとつで、彼の意思はすべて、周囲のエンブリオたちに伝わった。

セレステもそれに続き、立ち上がると、薪を一つ手にとった。

ひとり、またひとりと松明を手に、夜の闇の中へと消えてゆく。
カリンカランは、寝息を立てるサンインの近くで焚き火を守りながら、その様子を眺めていた。
先行部隊を見送り、最後まで待機していたセレステが、闇の中へ消えながら、カリンカランへ振り返る。

そうして彼女も闇へ消え、あたりは静かで真っ暗で、何も無かったかのような夜の川辺に戻った。


* * * *


周囲に朝もやが立ち込める。
ふわりと光る周囲の空気に、カリンカランは意識を取り戻す。
眠ってはいなかったはずである。
それでも、ただただ火を絶やさないように薪をくべ続けていた以外の記憶が存在しない。
つまり、あの夜の間に何も状況は変動しなかったということだろう。
—アジュガは帰ってこなかったのだ。

状況を理解したカリンカランは、まずは横になっているサンインに毛布をかけなおす。
そして再び、焚き火へと薪をくべた。
小さな火種に戻りかけていた炎は、ほんの少し勢いを取り戻す。
他のエンブリオたちが帰ってきた様子も無い。
皆、寝ずにアジュガを探し回っているのだろう。
自分だけがアジュガを探しに行けない、はがゆい気持ちばかりが募る。

そのとき、後方から砂利を踏む音が聞こえた。

誰が帰ってきたのだろうと、振り向いたカリンカランは朝もやに目を凝らす。
それなりの身長をしている。
双子やヴィツではない。
カリンカランにはその人物の動きが、一度も会ったことのない誰かのもののように思えた。
国王軍だろうか、気を張り詰めながらサンインの前に立ちはだかる。
しかし、風が霧をさらって、そこに見えたもの。

少し大きめの日よけの帽子。
白藤色の、ケープの中に纏められた長い髪。
一揆衆に混じるには簡素すぎる、草刈用の鎌。
そして髪によく似た、薄紫をたたえた妖精の織物から作られたスカート。


霧の向こうから姿を現したのは、今、皆が血眼になって探している、「彼女」そのものだった。



カリンカランは大きく目を見開く。
そして、何かを考える前にはもう、少女のもとへと飛び出していた。
急スピードで滑空すると、アジュガの目の前で一旦止まり、瞳を覗き込むようにホバリングする。
そのときに感じた、一瞬の違和感は感じなかったものにして。

そう言うと、アジュガはくすくすと笑い出す。
突然のことに、あっけに取られるカリンカラン。
その声色は、間違いなくアジュガのものであるのに、どこか少年じみた響きを響かせて笑う。

アジュガはカリンカランを捕まえると、自ら焚き火の場所へと移動した。
そして、薪を一つくべると、カリンカランを近くへ座らせ、自分も川辺へと腰を下ろした。

ふわふわとそう述べると、アジュガの姿をした誰かは、にっこりと笑ってこう名乗る。

＼ちょっと日記から時間がもどるよ！／

【意訳】：妖精の作った物だから、ねェ……。

仕組みはわからずともそれが"妖精の仕業"とだけ判れば納得せざるを得ない。
チャンダナにとって妖精とはつまり理不尽の代名詞であった。

呟いて、抱えていたものを降ろす。

　　　　　　　　　　捨て去られたものたちのための流れにようこそ。