眼が、ぎょろりと動く。
　


　赤い色の眼——青い色の眼——また赤で——青になる——。

　——チカ、チカ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ひと
　万華鏡のように移り変わる、その女の瞳。

　 　　　アレ
　瞬間。女の瞳が、絵の具をぶちまけたかのように赤色へと塗り潰される。



　あぁ、化物が牙を剥く！　僕は為す術もなく首を刎ねられ、惨めに己の弱さを自覚させられるばかり！
　もう駄目だ。やはり本物の吸血鬼相手に、戦おうなど愚かな事だったのだ！


　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　、 、 、 、 、 、


　化物は僕の事を“偽物”と罵ると、紅い霧となって消失した。




　弱肉強食という言葉は、知恵ある者にとっては滑稽な妄言だと思う。
　弱い肉だって知恵と勇気次第で弱者を凌駕するし、強い牙だって慢心と状況次第で足元を救われる。

　だけどやっぱり、僕は弱者だと思うんだ。
　風斬東は、生まれ持っての勝者であるのと同じように。絶対的に弱者であり、絶命的に被捕食者なのだ。

　——“吸血鬼”。
　本来絶無的な力を持っている存在。人など歯牙にも掛けず、深き闇夜の帝王として君臨する存在。なのに。

「……僕にそんな力が有るなんて、どうにも思えないんだよなぁ」

　ジリジリと、太陽が砂地を照らす。青竹色の帽子は光を吸収し、すっかり熱くなってしまっていた。
　光を浴びた吸血鬼の僕だったが、灰に帰る様子はない。何だか自分が、吸血鬼のなりそこないであるような。僕自身の弱さを、この太陽が照らし出しているような、そんな風に思えた。

　レーネフィアを一瞥する。
「暑い。……とっとと突破しますわよ、こんな場所！」
　額に汗を浮かべ、不機嫌そうな表情を見せていた。

　どうやら名高い吸血鬼であるらしい彼女にしても、太陽光で砂地の一部へと変わってしまう事はないようだ。
　普段から光属性の“虐待”を受けているだけに、耐性でもあるのだろうか？

「考え過ぎ……か」
　日頃はどこか抜けた様子のレーネフィアだが、彼女は間違いなく吸血鬼だ。
　自信を裏付けするだけの強さは持っているようだし、何よりあの底知れなさは吸血鬼でしかあり得ない。

　ならば、何故。
　何故僕は今こんなにも——落胆しているのだろうか。

　　　　†
「死体が出ました」
　人気の無い水辺。銀髪の少女は死体を目の前にしながら、淡々とした様子でそう告げた。

《そんな事はいつもの事だろう？》
　通信機の向こうより聞こえる、少年のような声。声は少女よりも淡々と、夕食のメニューでも聞いたかのように答えた。

「余裕ですね。先日——ミラルカの同行者を聞いた時は、あんなに焦っていたというのに」
　　　　　 からか
　少女が揶揄うように言うと、声は珍しく動揺した色を見せた。
《……、仕方ないだろう。対象——ミラルカの同行者が、揃いも揃って吸血鬼の関係者だって言うんだ。焦りもする》
「吸血鬼といっても、“彼女”以外は別の分割世界における存在のようですが」
《そんな事は問題じゃあない。あの中には、始祖の血族までいると来た。……分かるだろ？》

「内通者、ですか」
《ああ。この件、どうやら一筋縄では行きそうにないね——っと。話が横道に逸れたね》
「逸らしたのです。……死体が出ました」
《二度言う程に、大事な事？》
「ええ、とても」

　少女は屈んで、死体に躰を近付ける。
「この死体は、セイレーンです」
《そうかい。水辺だからね、珍しくもない》

セイレーン
　人 魚 の証である鱗を指先で撫ぜる。すると鱗はポロポロと崩れ落ち、水面へと流れ出た。
　流れる鱗は星屑の光が反射し、流麗に煌めいている。
「珍しいのは人魚ではなく、その死体です」
《ほう？》
「人魚は、後天的な吸血鬼でした」
　通信機の向こう側から、息を飲む音が聞こえる。
「以前、“何かしら”の事情で噛まれたのでしょう。恐らくは、半年以上前に」
《首元は？》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 ヴァーミリオン
　鱗は流れる。セイレーンの首から溢れる、血 液 色に染まった水面を揺蕩いながら。


「最近、噛まれた痕が」
　通信機の声が、熱を帯びる。
《はっ、凄い凄い！　じゃあ殺したんだね！？》

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　、、 、 、、
「えぇ。ミラルカ・ハウダニットは——吸血鬼の血を、吸ったようです」

背後から墨を流したような影が声をかける。

軽く両手を挙げて敵意がないことをアピールしている、ようだ。