——それは、泡沫の夢のような時間。

「LaLaLa——♪」

　私が唄い、彼——オルペウスが、それに合わせて琴を奏でる。
　言葉を交わす必要は無かった。ただそこに、歌があれば。

　彼の歌。感情。音に乗って伝わる。
　音が私の浸かった水槽の波を揺らすと、彼の悲哀と愛が全身に染み込んで来るようで。
　水面に映る蝋燭の炎（魔法の炎だから、演奏中に消えてしまう事は無いらしい）も、私達の歌を彩っているようで。
　
　私達の即興詩は、何処か遠い所へ向かっているようだった。
　これが完成した時、きっと私は多幸感と達成感に満ち溢れるのであろう。その時を邪魔されぬ事こそが、私の唯一無二の望みであったのです。



　——それは、僅かな違和感。

「……それにしても。
レーネフィアさんは、自分に相当な価値を付けている……んですね」

　僕がそう述べたのは、彼女自身の立ち回りに対し、僅かな違和感を感じたからだ。
　
「くす、当然ですわ。
私はレーネフィア・ディ・ステラですから！」

　堂々たる様子で、ごく当然の事として彼女は宣言する。
　しかし、僕のような弱い吸血鬼には、それが解らない。

　——ネロスフィーネ・アバド。
　彼女が自分の力に驕るのは、至極全うな事だ。彼女は策を巡らせ、狩人のように確実、そして堅実に物事へ対処する。
　これは過信ではなく、自信。

　——風斬東。
　彼が自分の力に驕らぬのは、とても不自然な事だ。彼は恐らく生まれついての王であり、王である事に理由は要らない。
　これは過信ではなく、確信。

　だが彼女——レーネフィア・ディ・ステラはどうだ？
　　　　　　　　　　　　 　 フレンドリーファイア
　配下である光球には味　方　攻　撃を浴びせられ、従者候補の東には断られる始末。
　だが彼女は過信する。過信して慢心して、直進する。
　それも或いは才覚なのやもしれないが、僕にはその才覚こそが、理解の外にあるよう思えてならなかった。

　だから、問う。

「……聞いてみたかったんですが。
その、自信の源……自分に付けた価値、には、どういう理由が？」

　この自信は、僕には無い——否。有ってはならない物だ。だから気にかかる。彼女の値踏みした、彼女自身の価値を。

「ふ、それは……当然……」
　レーネフィアはそう言って、息を飲む。僕も思わず釣られて、息を。

「——…………」
「……」
「…………」
「………………？」

「はて、何の話をしていたのだったかしら」
　僕は、呆然とした。


　　　　†

セイレーン
　　私　にとって、歌は存在意義で存在証明。
　唄う為に生まれて、歌の為なら死んでいける。歌を聴かせる為に人を捕らえ、歌で魅了する為に歌を唄う。
　徹頭徹尾、何処までも歌の為の存在なのだ。

　そんな私が、彼と唄を共に出来るだなんて、あぁ神様！　貴方の手繰り寄せて下さった、この美しき巡り合わせに感謝致します。
　私は永劫に、彼と二人で生きていこう。私は永久に、彼と歌を紡ぎ続けよう。

　　　　　コンツェルト
　私達の協奏曲も、とうとう終盤を迎えた。
　何だか彼の音が弱々しくなっていたけれど、それもまた私達の演奏を彩る演出。神に捧げる歌の一つなのだろう。

　それなりに長い時間、彼と演奏を共にしてきた。私は彼を信頼出来るようになったし、彼の方でも私の事を信頼してくれているだろう、という自負がある。
　だからその信頼を——形に。

　歌を最後まで続けましょう。そうしたら彼と二人で、この歌のタイトルを考えなくっちゃ。
　そして次の歌を唄うの。とっても素敵な、希望に満ち溢れた歌を。

　　　　†

　人魚姫と吟遊詩人が即興詩を奏でていた王国——“星屑の水辺”の付近に建てられた木造の小屋に、一人の男が訪れる。

「おい！　大丈夫かッ！？」

　遠慮の欠片もないその大声は、煙立ち上る木造の王国には響かない。

「糞……！」
　煙は尚も激しく漏れ出て、小屋からは木の焼け付く匂いが漂ってくる。男は忌々しそうに青竹色の帽子を地面に叩き付けると、扉に向けてタックルを浴びせた。すると驚く程にあっさりと、扉はその機能を失う。随分と古びているようであった。

「おい誰もいないのか！？」
「いるなら返事をしてくれ！」

「ぁ……あ……」

　噎び泣くような声。
　男が燃え滾る炎の中へと飛び込むと——そこには、床に倒れた人魚がいた。

「どうした、何があった」
　男が努めて優しい口調でそう問いかけると、人魚は今にも泣き出してしまいそうな顔で答えた。
「だって、知らなかったんだもの……」
「知らなかった？」
　男は人魚を抱えて、小屋を駆けながら問い続けた。よく見ると人魚は、何かを抱えているようだった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　、、、、、、、
「だって、知らなかったんだもの。人間が、たった数千年で死んでしまうなんて……」

　男には人魚の抱えるそれが、人間の骨である事が分かった。



「やだ、私も死ぬ、あの人と死ぬのぉぉぉ！！　燃えて灰になるのぉぉぉ！！」
　　　 つんざ
　耳を 劈 くようなその悲鳴に、思わず男は力を緩めてしまう。
「おい、馬鹿な事は辞め——！」

「黙れぇぇぇ！！」

　人魚が尚も叫びながら尾を震わせ、男の顔に直撃させる。すると尾に着いていた鱗が、辺り一面に撒き散らされた。

（ここまでずっと、鱗を引き摺りながら自殺の準備をしてきたのか）
　削れた鱗は星屑のように煌めいて、ポロポロと崩れ落ちていく。

　放り出されるような勢いで空中を泳いだ人魚は、そのまま最後、炎の中へと飛び込んだ。

　　　　†

　セイレーンの血を吸ってから、妙な記憶が流れ込んできた。
　あれは以前にも見た、フラッシュバックなのだろうか？　しかし僕はセイレーンではないし、セイレーンも僕ではない。
　あの血を吸ってこの記憶が流れるというのは、妙な話だ。

　ならば、あれがセイレーン自身の記憶だとしたら？　——否、それはおかしい。
　あの記憶の中で、セイレーンは焼死体になっていたはず。僕の前に現れるはずがない……。

　……、妙と言えばもう一つ。
　先程レーネフィアと会話をした際の事だ。レーネフィアのあの様子は最早“違和感”などと言う言葉で片付けられはしないだろう。

「あれでは、まるで——」

　彼女の不可思議な様子を見た時、思わず呆然としてしまった。
　それは“直前の意識”が混濁しているということと、それ以上に——。

　初めて僕が見た記憶。
　死体の山と、誰かの首。血みどろの世界の中、僕に名前を教えたあの女が、一人佇んでいる光景だった。

「——あれではまるで、あの女と同じ。化物の紅い眼じゃないか」