——街に、夜の帳が降りる。

喧騒が薄れ、人通りもまばらになった石畳の道に
カツン、と硬質なハイヒールの音が響き渡った。

「さぁてと。楽しい楽しい殴り込みの時間だ。用意はいいか、相棒さんよ」

両の拳を打ち鳴らして、ジャックは陽気に声をかける。
しかし、視線の先にいるブラックの表情は硬く暗い。

「全然良くない。俺は帰りたい」
「この後に及んでまぁだ駄々こねてんのか？ったく、往生際が悪いにも程があんぞ」
「ふざけるな。何が悲しくて、こんな、女の、フリを、しなくちゃならないんだ。……ゾッとする」

言葉を区切り、語気を強め、苛立たしげに髪をかきあげるブラックは、
事もあろうに女物のドレスを身に纏い、その顔には化粧まで施していた。
平均的な女としては幾分背が高いものの、元々細身かつ女顔であるためか
その変装は傍目には到底男とは思えない仕上がりになっている。

「大丈夫だって！！すっっっげぇ似合ってんぞ。マジで絶世の美女ってヤツ！
これが本物の女だったら喰っちまう所なんだけどなー！あっはっは！！」
「……そういうお前はまさにクリーチャーそのものだな」

──そう。問題はこの、いつもと変わらぬ大声で笑うジャックの方なのだ。

高い背丈に太い首。逞しい二の腕、厚い胸板……
筋骨隆々の体躯に纏うドレスはホルターネックのデザインで、
鍛え抜かれた胸板の盛り上がりが嫌でも目に付く。
背中の方も大きく開いて、これではまるで筋肉を見てくれと言っているようなものである。
そしてただでさえ悪目立ちする出で立ちだというのに、その上何を思ったか
頭には何故かメルヘンチックな縦ロールのウィッグを被っていた。
精悍な顔にまるでそぐわぬ白粉をはたき、真っ赤な口紅を塗りたくったその迫力たるや、
森の魔物も裸足で逃げ出す恐ろしさである。

「ンマァー！クリーチャーだなんて失礼しちゃうっ。どう見ても傾国の美女じゃなあい」
「本気で言ってるなら恐れ入るよ…」

無駄に甲高い裏声とクネクネとした動きに、ブラックは渋面を浮かべる。
その肩をバシバシと叩いて、ジャックはあっけらかんと笑った。

「ま、こうでもしねーと中に入れねーってんだから仕方ねェだろ？
折角だしパァーっと遊ぼうぜ！はっはァ！！」
「……帰りたい」

項垂れるブラックの肩を抱き、ジャックは意気揚々と目的地に向かい歩き始めた。



◆　◆　◆　◆　◆　◆



そうして辿り着いたのは絢爛豪華な屋敷前。
招待客をチェックする名目でか、門前には警備の人間が立っている。
ジャックは懐から2通の招待状を取り出してそのまま通り過ぎようとするが、案の定呼び止められてしまった。

「おい、お前！ちょっと待て！」
「あっらぁん、何かしらァ？」

大柄な男がジャックの肩に手をかけ、強引に引き戻させる。
向けられた顔の迫力に一瞬ぎょっとした表情が浮かんだ。

「お、お前だお前！デカイお前！！明らかに男だろうが！」
「マァアアアひっどぉい！アタシのどこが男だって言うのよォ？ ア゛ア゛ン゛！？」
「ヒッ」

思い切り凄まれ、警備の男は思わず情けない声をあげる。
そんなやり取りをみたブラックは小さく溜息を吐くと、
おもむろに男にしなだれかかり、上目遣いに相手を見つめた。

「ねぇ、お願い…私、こんな立派なお屋敷なんて来るのは初めてで。
妹と一緒じゃないと怖いの……ジャクリーヌと一緒じゃないと、ダメなのよ」
「そーよォ〜、ブランジェリーンおねーさまを一人になんてさせられないわぁ〜」

便乗して余計な言葉を重ねるジャックにブラックは小さく舌打ちをするが、
当人はにやにやと笑うばかりでどこ吹く風だ。

それでも男がたじろぐ気配を察してすかさずグッと身体を寄せると、
腰や臀部に手を這わせながら耳元へと口を寄せ、囁く。


「……ね、ナカに入れてほしいの。お願い…」



◆　◆　◆　◆　◆　◆



「あっはっはっは！！さっきのお前の色仕掛け！マジ傑作だったぜ！！
なんだかんだサマになってんじゃねぇか、ブランジェリーンおねーさま？ ぎゃはははは！！」
「うるさいジャクリーヌ。それ以上笑ったらブチ犯す」

“ブランジェリーン”の色仕掛けによって、まんまと屋敷に侵入することが出来た二人は、
赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩いていた。
案内係によれば、この廊下を抜けた先が会場になっているらしい。

「それにしても、招待状なんてよく手に入れられたな」

思い出したように言うブラックに、ジャックはふふんと笑ってみせる。

「どうやら花は多いほどいいってんで、街中の女のとこに行ってるようだぜ。
ちょーど引っ掛けた女も持ってたんでな。頂いてきたまでよ」
「…お前もお前だけど、女も女だ。女にとっちゃぁ夢の切符だろ。よく渡したな」
「ま、やっぱりっつーかな。気味悪ィからいらねぇんだと。突然こんなん来たら怪しい以外の何者でもねぇからなぁ」
「ふぅん……“2人とも”？」
「そ、“2人とも”。なかなかヨかったぜ？」
「聞いてないっての。気持ち悪い」

そんなブラックの様子を楽しそうに眺めつつ、ジャックは小声で問いかけた。

「で？これからどうするよ。強行突破ってわけにもいかねーだろ？」

その問いにブラックはルージュを滑らせた薄い唇をニッと吊り上げる。

「そうだな……まずは一般招待客に混じって様子を見よう。
それで怪しい奴が居たら、そいつの気を引くなり後を尾けるなり…だな。
ここで暴れるにはあまりにも多勢に無勢すぎる。
今日の所は奴らが不正を働いたり、《ネクター》の独占を企んでるっていう証拠を持ち出すことを目的にしよう」
「了解。いっちょやってやろーぜ、相棒！」

互いに拳を突き出して、お決まりの文句を口にする。




「「In bocca al lupo!」」




◆　◆　◆　◆　◆　◆



扉を開けた先には大きなホールが広がり、豪奢なシャンデリアが輝きを放っていた。
カジノ、とはよく言ったもので、見回せばいくつものゲームテーブルが人だかりを作っている。
ポーカーにバカラ、ブラックジャックやルーレットにダイス……一通りのゲームがそろい踏みしているようだ。
ホールに集う人々も一様に着飾り、こと女達の装いはとても華やかだ。
その中に時折混ざっている貴族らしい姿の男が、得意げに女性たちを侍らせ囲っている……そんな姿も珍しくはない。

「くっそ、スケベじじいども、好き勝手しやがって…そこに相応しいのは俺だっつーの」
「……何言ってんだお前」

呆れた顔でジャックを見上げながら、ブラックはより中へと歩を進める。
床には廊下と同じく柔らかな絨毯が敷き詰められていて、履きなれないヒールでも足を痛める事なく歩くことが出来た。

「シャンパンはいかがでしょうか」

人波を縫うようにシャンパンガールがやってくる。
ブラックはそのまま通り過ぎようとしたのだが──ジャックはそうもいかなかったようで、
にっこりとした笑みにつられ、喜色満面に酒を受け取ってしまう。
それを見たブラックは思わず額に手を当てた。

（どこまで自由なんだ、こいつは）

心の中で思わず毒づく。
…まだこんなところで怪しまれるわけにはいかないのだ。

「ジャクリーヌ。あなた、いい加減にしなさいよ」
「そーは言ってもよ……ゴホン。
そうは言っても、勧めてくれたものは頂きませんと。オホホ」

幾分慣れてきたとはいえ、ジャックの妙に甲高い裏声はひどく耳障りで、
ブラックはうんざりした表情を浮かべたくなるのをぐっと堪える。
それを誤魔化すようにニコリと笑うと、周りから見えないようジャックの足を思い切り踏んだ。

「い──ッ！？」
「おっと、声を上げるなよジャクリーヌ…
どこで誰が見聞きしてるかも分からないんだ、普通にしてろ。普通に」
「だからってなんっで足踏む必要があんだよ！」

そそくさと目立たぬように壁際に寄りながら、器用に小声で言い争う。
ブラックは今日何回目かも知れぬ溜息と共に、ジャックに言い聞かせるように口を開いた。

「いいか、ジャ…ジャクリーヌ。今は“まだ”目立つような事はするな。
ただでさえお前は人目を引くんだ。これ以上変な事をして目を付けられたら動き辛くなる。
俺の目を盗んで変な事はするんじゃない。いいな？」
「へーへー。分かりましたよ、ブランジェリーンおねーさま」
「…あと、今のお前は女なんだ。さかりのついた犬みたいに女見てにやけたりもするなよ」
「どういう意味だよ、それ」
「そのままの意味以外何があるって言うんだ」

そう言ってジャックが手に持っていたシャンパンを奪うと、残りを一気に飲み干した。
「ぁ！」と小さな悲鳴が上がるが、その顔を睨みつけて封殺する。
しかし恨めしそうな顔の後、もう一度「あ」と声をあげるジャックを、どうしたのだと見つめれば
ジャックは一拍遠くを見るように目を細め──いきなりブラックを抱き寄せた。

「ばっ、何するんだ…！目立つだろ…！」
「いいから！アレ見てみろって！」

促されて視線を投げたその先には



──紅いネクターの花。



会場の奥にある小さなステージのような場所に、まるでアートの如く夥しい量のネクターが飾られている。
巷では枯渇しつつあると聞く花が、何故こんな場所に、これだけの量があるのか……
目標を確認した二人は視線を交わすと、ニヤリとした笑みを浮かべた。

「よし。ポーカーテーブルに移動しよう。何事もないって顔してな。
で、いつも通り稼いでやろう。ただし、あくまでも“女”としてだ」
「OK。へへ、カードは久々で腕が鳴るぜ」
「読み通りにいけば……もっと面白い遊びに誘われるかもな？」

くすくすと笑いながら、二人は再び人波の中へと足を踏み出した。



◆　◆　◆　◆　◆　◆



……テーブルの上に次々と築かれるチップの山。
ポーカーテーブルの周りには野次馬による人だかりが出来ていた。
しかしその半分はジャックの異様な風体を見に来ているのだろう。ブラックは内心相棒を哀れんだ。
が、当の本人はと言えば、よほど手元の札が良いのだろう。
自信満々の笑みを浮かべ、——あれ程釘を刺したのに、周りにいる女性たちに向けられているようだ。

「……おい。本来の目的を忘れるなよ」
「…うるせえなァ。分かってるっての。お、きたきた！」

むくれていた顔を即座にパッと輝かせて、ジャックは手元の札に目を落とす。
そしてディーラーのコールと共に開いたそれは……ハートのストレートフラッシュ。
瞬く間に歓声が上がる。
その声にジャックは実に得意げな顔をして、笑いの漏れそうになる口元を扇子で隠した。
ブラックもカードを開くが、それはスペードのフォーカード。
惜しくも及ばなかった、と視線だけで告げるブラックに、ジャックも視線で応える。——「今夜は俺の勝ちだ」と。
すっかりゲームに没頭し始めている相棒に、ブラックはやれやれと苦笑を浮かべた。

が、その時。
不意に肩を叩かれて、振り返るとそこには黒いスーツを着込んだ如何にもあやしげな強面の男が立っていた。
男はスっと身を屈めると、ブラックの耳元へ口を寄せる。

「…主催者がお嬢様とお話がしたいとお呼びです。どうぞこちらへ」

表情を動かさず告げるその態度にブラックはほんの少し驚いた風に目を見開き、
次いで困ったような表情を作ると、小さく首を傾げた。

「でも私…ジャクリーヌと一緒じゃないと……」
「お嬢様お一人をご指名です」

有無を言わせぬとばかりに、男はブラックの手を取って強引に引っ張る。
痛みに眉を顰めるのと同時に、ジャックが事態に気づき声を上げた。

「あっ、何してんだ…のよ、アンタ！」
「ジャクリーヌ」

だがそれはすぐブラックに制されてしまい、ジャックは渋々口を閉ざす。

「…大丈夫、せっかくのお声がけだ。
中を探ってきてやる……後で迎えに来てくれ」

小さく囁き軽くウインクをして、ブラックは黒スーツの男と共にテーブルから姿を消した。
周囲はその成り行きをポカンと眺めることしか出来ず、ディーラーもどうしたものかと手を止めている。
そんな様子に舌打ちをして、ジャックは再び椅子にどっかりと腰を下ろした。

「あらぁ〜、見世物じゃないのよォ〜。お分かりかしらぁ。アァン！？」

その声と形相に周囲の野次馬からは小さな悲鳴がいくつも上がる。
ジャックは身を竦めるディーラーに向き直ると、真っ赤な唇でにんまりと、口元に野性的な弧を描いた。

「さ、カードをちょうだい」




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続き
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答えながらも、村の人々を思い浮かべる。

脳裏を過ぎった1枚の写真。
そこに写る幼い2人の子供は、共に同じ髪色をしていなかったか。

しかし、どうしてそんなに不安そうな声で聞くのだろう？

ただの軽口に、まさか真剣に質問を返されるとは思わなかった。
真意をはかりかね、こちらを見つめる青い瞳を見つめ返す。


ああそうか、もしかすると——

戸惑ったようにチセは答えた。
幼いころから、チセの周囲には常に近しい人の死があった。
それが原因かもしれない、とチセは何となく思う。
そして、その事がきっと共に旅をしているアールとの関係にも影を落としている事にも、チセは何となく気付いている。

終いに、という言葉は、チセの耳に届いていた。
届いていたが、知り合って間もない仲に話せる様な事でもなさそうな雰囲気を感じ、チセは聞かなかった事にしたらしい。

言葉を返しながらも、チセにはブラックの言葉が心の隅にかかり、どこか歯切れが悪くなった言い方を誤魔化すように視線を外した。

まじまじと二人で物珍しい目で直視され、不安に駆られた。

ジャックさんのようになれるほどの量…。すごく、多そうな気がする…。
たぶん、私だと吐いてしまうんじゃないかな…。

肉料理が出て、軽食が出るところ。そういうお店があるのだろうか？
大衆食堂のようなお店しか、入ったことがない。興味が少なからず沸いている。
それに、ブラックさんには、もうちょっと話をしてみたいことがあった。

頭で頷き、「はい」という動作で了承した。
少なからず、名前を知ることが出来たし、悪い人ではない。

…それに、たまには宿屋に帰るのが少し遅れても、そんなに気にはされない気もする。
だって一人じゃないし、それに実の子供というわけでもないし、結局は他人なんだ…ろうし…。

チセは不満そうだ。

敵に遭遇して臨戦態勢を取るアールとチセの前に、突然二人の女（？）が現れた。

そう言ってブランジェリーンと名乗る女は、モンスターに向かって魔力の宿る薄刃を構えた。
——どことなく見覚えのある武器のような気もするが、きっと気のせいだろう…。

　

/n0/笑顔を浮かべてはいるが、どこか寂しそうにチセは言った。

少女はソワソワしている。