（ENo.1195ミハウ・クワイアトコウスキさんの日記と併せてお読みいただけると幸いです。）

「っと、これでよし……」

　そんな声と共に、ミハウは皿を両手に持って現れた。
　既に設えられたテーブルには、綺麗に盛り付けられた、色とりどりの様々な料理が二人分、湯気を立てている。
　彼はスープ皿を空いたスペースに置いて、こちらを向いた。

「すみません、お待たせしました。これで全部です」

　一つ言いたい。
　どうしてこうなった。
　先ず、宿に泊まるということが滅多に無い。進攻中なのだから、当然だ。宿自体も、そうあるものではないのだし。
　その上に、この料理である。豪華としか言いようがない。
　いや、確かに、今日は私の誕生日だ。それは間違いない。
　彼は「腕によりをかけてご馳走つくる」と言ってくれた。それも間違いない。
　けれど、けれども——良いのだろうか。
　椅子に座って、手を膝の上に揃えて料理を眺めていたら、不安そうな声が聴こえた。
　ああそうだ、私はまだ返事をしてない。

「……ええと、コトカさん？」
「……ありがとう。これ、全部ミハウが作ったのよね？」

　そう訊いたけれど、まあ、そうなんだろう。
　一応、手伝うか訊いたところ、「主賓なのだから待っていてほしい」と丁重に断られたのだし。さっきからずっと、頑張って用意してくれていたみたいだし。
　ほっとした様子になってお礼については、「いえ」とミハウは言う。笑って、頬を掻いた。

「あ、はい、そうです。ちょっと手の込んだものをと思いまして……」
「そうよね。良いのかしら、こんな」
「いいんですよ、年に一度の誕生日ですから。それに、お約束しましたしね」
「……じゃ、お言葉に甘えるわ」
「ええ」

　申し訳ない気もしたけれど、折角作ってくれたのだから、食べないのはもっと良くない。
　それにびっくりしたけど、嬉しくないわけじゃ、ないのだから。
　ミハウは一生懸命、この料理を私のために作ってくれた。それは、確かだ。
　彼に目を遣る。座らないのだろうかと思って見ていたら、彼は少し慌てた様子で椅子を引いて座った。
　ピンで纏めていた髪を下ろして背に払うと、姿勢を正してから、私の方を向いた。
　思わず、こちらも姿勢を正す。

「じゃあ、えと……誕生日おめでとうございます、コトカ」
「ありがとう。……その、色々、用意してくれたりして、……うん、すごく、嬉しいわ」

　どうにも上手く言えない、し、目も合わせられない。きちんと、お礼は、嬉しいってことは、言うべきなのに。
　ちゃんと聴こえたか、ちらりとそちらを見る。「どういたしまして」と言う彼は、照れたように笑っていた。少し、嬉しそうにも見える。
　それから手で示された料理は、どれもおいしそうだ。

「……さ、冷めないうちにどうぞ。どれでも、お好きなのを食べてください」
「ええ、頂くわ」

　ローストビーフ。温野菜のサラダ。スープ。他にも、色々。
　どれもすごくおいしくて、やっぱりミハウは料理が上手だな、なんて思って。
　これだけの食材集めるのは大変だっただろう、とも思う。調理だって、大変だっただろうし。
　申し訳なかった、けど、嬉しかった。

「……これ、キノコなのね、中身。」
「ええ。キノコ、お好きだって仰ってたのを、思い出しまして」

　クレープ包みの中身は、キノコと野菜を炒めたものだった。
　そういえば前に、食べ物の好き嫌いを訊かれて、伝えた。
　覚えてくれていた、らしい。

「おいしいわ」
「よかった」

　ほっとしたようにミハウは微笑した。それから、続けて。

「……良ければ、普通の食事の時も、作りましょうか？」
「……大変じゃないなら」
「ええ、大丈夫ですよ。毎回は難しいですけど、何回かに一回なら、それほど大変でもないですから。使う材料自体は比較的手に入りやすいものばかりですし」
「それじゃ、お願い」

　——ミハウは、いつも私のことを気にしてくれている、と思う。
　戦う時だって、こういう時だって。
　それに比べて私は、どうなんだろう。何か、彼にしてあげられているのだろうか。



　***



「あ、すみません、ちょっと待ってて下さいね」

　食事の終わりが近づいた頃、ミハウは空いた皿を重ねて片付けると、おもむろに立ち上がった。
　テーブルを離れ、少しして——パイの乗った皿と、取り皿を持って戻ってくる。
　言いながら、彼はパイをテーブルに置いた。

「……お待たせしました、お約束してたパイです。食後に、と思ったので少し小さいですけど」
「……あの、ミハウ。本当に、こんなに良かったのかしら……」

　まじまじとパイを眺める。見た目も綺麗だし、匂いも良い。
　リクエストした本命は、これだ。
　ミハウは席に腰掛けながらきょとんとした表情を浮かべて、すぐに笑った。

「最初にも言いましたけど……良いんですよ、今日は君の誕生日ですし。それに……久しぶりに、思う存分料理が出来て、私も楽しかったので。ですから、お気になさらずに。美味しいと思って頂けたなら、十分です」
「でも、私、あなたの誕生日に何もしてあげられてないわ」
「いえ、でも……おめでとう、って言って頂きましたから」
「それだけよ？」

　気付いた時には、彼の誕生日は過ぎていたし。しょうがないと言えばそうだけれど、私は「おめでとう」というたったの一言しか、言っていない。
　なのに、こんなに祝ってもらって。
　ミハウの視線が、こちらを向く。

「だから、です。……自分の誕生日のことを言われた時には、……正直、私自身も忘れていて、ああ、そうだったんだなと思ったくらいでした。けど」

　彼は組んだ手に目を落として、穏やかに、ただし自分のことに関しては、感情の薄い声で呟いた。
　私へ視線を戻すと、柔らかな声音で言う。

「でも、その、だからこそ……あの言葉が、嬉しかったんです。祝ってくれるとは、思ってもみませんでしたから」
「……嬉しかったの？」
「え、あ、はい。……あの時は、その、なんと言って良いか、わからなくて」

　彼は頷いて、申し訳なさそうに表情を曇らせた。
　そっか、嬉しかったんだ。私の、言葉でも。

「そう、……なら、良かったんだけど。あんまり嬉しくないかと、思ってたから」
「そ、そんなこと！」

　ぽろりと零れた言葉に、ミハウは珍しく声を上げて返した。
　しまった、と、思う。
　今のは、言うべきじゃなかった。絶対に。

「……あ、えと、ないです。もし、そう見えていたのなら、すみません」
「……あの、私こそ、ごめんなさい」

　また、余計なことを言ってしまった。
　言わなくても良かったのに。言わない方が良かったのに。
　まただ。
　祝ってくれて、いるのに。それなのに。

「私、いつも一言多い、から、……だから、」
「え、あ、……いえ、私は、気にしてないですから…、あの」

　視線が下がる。見なくても、困っているのは伝わってくる。
　途中までは、上手く行っていたと思うのに。私のせいで。
　いつかみたいに、ここで去るようなことはできない。けれど、言葉はいつものように出てきてくれない。表情を隠してくれるフードだって、今は無い。
　今日は最初から、調子を狂わされた、と言うのも妙だけれど、それでも、そんな感じで。
　どうしよう。
　どう、しよう。
　ミハウが、名前を呼んだ。

「……コトカ。……その、本当に、気にしなくていいんです。君が、そうやって言ってくれることは、私も、その通りだなって思うことの方が多い、ですし……」
「でも、傷付けたでしょう」
「そんなことは……ない、とは言えない、です……前に、その、嫌い、って言われた時は、痛かったです、ね」

　私を傷つけいてしまわないように、しているのだろう。告げる声は、穏やかだ。
　ただ、彼が痛かったと感じたことは、紛れもない。
　言葉が沈んでしまう。そうすべきは私じゃないと、分かっているのに。

「そう、よね、……ごめんなさい」
「でも。……痛みを伴う言葉だったからこそ、気付いたことがありました。気付けたことがありました。……それは、君が言ってくれたからです。私ひとりだったなら、ずっと、情けない、と思い続けて、頑張っている自分を認める、なんて事考えようともしなかった」
「それでも、傷付けたのは間違いないじゃない」

　恐る恐る顔を上げた、ら、視線がかち合った。真っ直ぐにこちらを見る、草色の瞳。
　それが何だか怖くて、そろりと目を逸らしてしまう。いつもは逆なのに、なんてどこか現実逃避するように思う。
　気付けたことがあると言ってくれているけれど、私は、彼を傷付けた。
　それは、変わらないのに。
　ミハウは、言葉を重ねる。

「そうかもしれません。それでも、私は、君に言ってもらえてよかったと思っています。傷ついても、それでも。……それに、君がそれを言うなら私も、君を傷つけてきたと思いますから」
「……本当？」
「ええ」
「本当に、そう思う？」
「はい、そう思います」
「……そう」

　穏やかな調子で、彼は何度も肯定した。
　ミハウは、優しいから。私を気遣って、嘘を吐いているのかと、思ったけれど。
　本当に、私が言ったことで、気付けたことがあったと思っていて。
　それで傷付けたことも、ゆるしてくれるのだろうか。
　そう思って、良いのだろうか。
　ゆっくりと、彼に視線を向ける。

「あの、ね、……ありがとう、ミハウ。その、私、言い方きついから、また嫌な思い、させちゃうかもしれないけど、気を付けるし、……これからも、一緒に居てくれる？」

　ぽつぽつと、そう言った。
　これからも宜しくと言いかけて、そもそも彼と自分が行動を共にするようになったのは本当に偶然なのだということを、思い出す。
　私はまだ、一緒に行動していくと勝手に思っていたけれど——ふと、不安になって。
　そんな私の言葉に、どこか安堵したようにミハウは表情を緩めた。

「……ええ、もちろん。……私の方こそ、直さなくてはいけないことだらけですから。こんな私でよければ、これからもご一緒させてください」

　彼は、少し眉を下げて。
　そっと、組んでいた手を解くと、私に向けて差し出した。
　目を瞬かせる。
　私はおずおずと、手を伸ばした。
　握った手は、私よりも随分大きかった。

「……ありがとう」

　それから、私たちはパイを食べた。
　コケモモとブルーベリーのパイ。
　母様が作ってくれるのとは、当然、味は違う。
　けれど、すごく、おいしかった。

　ウルヘアもしげしげとナビを見ている。

ドドドドドドドドドドドド！！！！！！！！！！！

ちら、と緑髪の青年のほうを見やる。

ぱちぱち目を瞬かせて首を傾げた。よく知らないようだ。

それからコトカが手にしている杖に視線を向けると、

「エンブリオはいないのか」という質問には頷き、肯定を示した。

ただの、とは言いがたいと、そう言われたなら緩く首を傾いで。

結局のところ、半端者だ。
そう零す声が虚空に落ち込んだ。

上目遣いでちらちら視線を飛ばしてくる。すごい構ってほしそうだ。
こうして弱々しそうなふりをして、善人の恩情につけこむのはどくにんじんの得意技なのである。

上げられた好物には相槌を打って聞いていたが、苦手なものを聞いて

思わず、繰り返し。
食べられるようなものだったろうか、と自分の記憶を探るも、
出て来なかったのか、きょとんとしたまま、コトカを見て。

問いが自分に返れば、少し思案して。

　少女の傍らのイヌワシは、威嚇をするように鋭い眼光を敵に向けた。

武器を下ろして、周りを見。脅威がないのを確認して、息をつき。

　ウルヘアは得意気に、少女の杖の天辺に留まっている。