ひんやり冷たい土の上に、ぐさりとスコップを差しては掘り返す。
　冬を迎える前の収穫が終わった畑が暇になるかというと、そんな事はまったくなくて、枯れ菜や未熟苗、雑草の片づけで結構な手間を取られたりする。雑草の繁殖、害虫の越冬、畑にゴミを残しておいていいことなんて一つもない。せっせと片して、集めたものは腐らせて有機肥料にする。

　それが終わったら次は整地作業。
　冬の寒気は格好の病害虫対策だ。できるだけ深く掘り起こして、天地返しをしながら土を寒気に当てる。石灰を撒くのも忘れない。

　冬の畑の準備をしたのは、久しぶりだった。
　昔はこれから訪れる雪の季節と、たくわえの心配が憂鬱であまり好きではない作業だったけれど、今日の作業は随分と賑やかで、同じメルンテーゼでもやっぱり、ぜんぜん違うのだなぁと思う。

　冬の畑は殺風景だ。薄い水色の空と相まって、どこか淋しく見えるものなのだけれど、ここの畑はメルンテーゼとはまた違う異国情緒ある敷地内にあるせいか、なんとなく不思議な感じがする。こぢんまりしてて、全体的に手作りっぽい。

　振り返ると、様子を見に来たらしいナナシがお盆にお茶を乗せているのが見えた。

　トムからの返事を確認して、荷物を簡単に脇にどける。まとめて置いておけば大丈夫だろう。

　おねえちゃんは颯爽とナナシの元に駆け出していく。
　女の子が絡んだおねえちゃんは元気だ。さっきも、露草とかいう人魚のような人にうっとりしていた。

　へ、と驚いた僕とは別に、振り向いたナナシとおねえちゃんがああ、という顔で僕の方を見る。
　——この耳と尻尾って、そんなにその、人間から見るとダメなのか？


◇　◆　◇


　湯をもらい終わって、タオルで水を拭いて、脱衣所で借りた浴衣を広げてみる。
　どうやって着るのか四苦八苦で悩んだ後、周りの人間に教えてもらって着てみたところでこれは尻尾があるとまず着られない服だと判明。
　結局、尻尾を着てても大丈夫そうな甚平を借りる羽目になった。

　トムがお腹を抱えて、苦しそうにぷるぷる震えている。

　耳もしっぽも、そりゃあ、水を浴びたら当然だけど毛量が減って見える。日ごろに比べて随分と貧層に見えるだろうし、それは分かるんだけど、それの一体なにが面白いのかはまったくもって分からない。
　だいたい、笑ってばっかりもいられないのだ。働かざるもの食うべからず、稼がないやつは風呂に入れない。労働を条件に風呂に入れてもらっているのだから、可能な限り働かないと。
　乾きかけのしっぽと耳は放っておいて、ナナシから受け取ったお茶を休憩所まで運びに行く。

　じーっとこっちを見ている女の子に、いきなりそんなことを言われた。お茶だけおいてそそくさと去ろうとすると、背を向けた僕のしっぽを見て、その子が何かに気が付いたように声を上げる。

　とてとてと近寄ってきた女の子が、まだ乾いてない僕のしっぽに触らないようにしながら、まるで距離でも測るかのようにここから、ここくらいまで、というように手で指し示す。ほら、と顔を上げて、無邪気にここだけ見て、と笑った。

　一緒にお茶を運んでたトムが死んだ。周りの人間もダメージを受けて一斉に吹き出した。女の子だけがニコニコと笑っていた。休憩所は壊滅的打撃を受け、各地でタオルが手から滑りせき込む人が続出した。
　コーヒー牛乳を吹き出した人が二人しかいなかったことは、不幸中の幸いだと言っても良かったかもしれない。


◇　◆　◇

　休憩所にお茶を運び終わったら、一休み。
　椅子に座ってもらったお茶をすすってる僕の半乾きの髪を見て、ナナシが露草さんの方を見る。人魚のような姿の露草さんが控えめにこっちに視線を向けて、ああ、と小さく頷く。

　魚のように宙を泳ぐ露草さんが、小さな瓶を持って戻ってくる。
　なんか、いかにも女の子が好きそうなサイズのやつ。でも、見た目はけっこうシンプルで、誰が使ってもおかしくなさそうな感じ。油だから、そんなにいっぱい入ってるものでもないのかな。

　瓶の蓋を開けた露草さんが数適、油を手になじませると、座ったままの僕の髪の毛を一房、手に取って毛先の方を揉み始めた。なんだか、髪をマッサージしてるみたいだな、って思う。

　ナナシは明るくて話し上手で、露草さんは落ち着いていて思慮深い。対照的だけど、どっちもバランスが良くて、でもこの二人だけだとちょっと場が落ち着きすぎる感じがする。
　流石にずっと露草さんに任せる訳にもいかないから、やり方だけ教わって残りは自分でやってみることにした。伸ばすと痛みやすいからなんとかって言われるけど、毎日こんな風に手入れをしてたら絶対、面倒で途中で放り投げると思う。

　後ろから、トムがげっそりした顔をしてこっちにやって来る。女の子はこういうの、好きみたいだけど、男ってけっこう、そういうのはどうでもいいんだと思う。
　欠片も良い匂いだとは思ってなさそうなトムが、心持ち、精神的に遠巻きな目でこっちを見ている。

　当たり前、みたいな顔でじろじろ、トムが髪の毛を見る。
　無駄なものを取っておく理由が分からない。単純で、当たり前の疑問だ。

　あっけらかんと、トムが笑う。

　契約や解約と一緒だよ、その方が便利だろ、とトムが首を傾げる。
　なにか違和感を感じた気がして、でも、それが上手く言葉にならない。

　笑っているトムの顔が少し、いつもと違って見えて、僕は少しだけ答えを返すのに時間がかかってしまった。

◇　◆　◇


　髪を切らないのは、半分、意地のようなものなんだと思う。
　小作農なんてやるのに、髪が長くて良いことなんて一つもない。使用人を取りまとめていた奴にも散々っぱら嫌味を言われたし、村にいたときも変な顔をする大人は少なくなかった。

　母はいつもそう言って、僕の髪を編む。作業に差支えないようにまとめて、少しでも長さを減らすように編んで、留めたゴムにリボンを巻きつける。
　どうして母が隠したいのかは知らない。ただ、祖母や母、父が望むようにはしたいと思ったし、三人がそれを僕のためにやっていることは分かったから、何も言えることなんてなかった。
　切った方がいいのかな、とは思った。だから伸ばした。バレてしまえば良いと思ったことはない。でも、それもこれも祖父のせいだと思うと、無性に腹立たしくて何となく、髪を伸ばした。父も母も、何も言わなかった。
　祖父のことが嫌いだった。

　男爵の館に引き取られて、長い髪はもっと嫌がられた。
　上等だと思う。嫌われるために、もっと伸ばしてやろうと思った。アイツらに好かれたいだなんて欠片も思わないし、向こうだってニューロと仲良くする気なんてないのだろう。

　忌々しい顔をされる度に、絶対にあいつらの思うとおりになってなんかやるもんかと思った。
　憎まれっ子世にはばかる、だっけ。
　いなくなった方がいいって思われるなら、死んでもそこにしがみついてそいつらに嫌な顔をさせてやった方がマシだ。僕を見るたびに50年前を思い出すなら、ざまをみろと心底思う。

　祖父がどうして勇者になったのかなんて分からない。
　都合よく教会のやつらに利用されて、他人の、身勝手な人間のために死んで自分たちの一族に迷惑をかけるなんて、絶対に理解できない神経だ。
　僕が死んでアイツらが幸せになるなんて真っ平御免だし、僕を嫌うやつらに親切に振る舞ってやる理由なんて少しもなかったし、それだったらさんざっぱら、大手を振って迷惑をかけてやる方がまだ腹の虫が収まる。

　ときどき、ネザーシャドーはどうして西方領を腐らせようとしたのかな、と思うことがある。
　何を思ってそんな事をしたんだろうとか、そこに至るまでに何があったんだろうとか。
　そんなにここが嫌いだったのかな、とか。
　もしそうだとしたら、ちょっとだけアイツと話をしてみたかったな、とも思う（あっちは自分を封印した男の孫にそんなこと思われたって、困るんだろうけど）（でも、案外、僕らは話が合いそうな気もする）（僕もこの土地が好きじゃないからだ）

　呼んでみる。一人ぼっちの下男部屋、誰もいない簡素なベッドの上、眠れない日の夜、燃えさしの蝋燭の頼りない火に向かって、囁くように小さな声で。

　冷たいシーツ、窓から覗く月、静まり返った夜の時間、揺れる影と飲みかけの水差し、近づいてくる冬の気配。
　答える声はなかったけれど、その時間だけ僕は勇者ラノーエルの子孫じゃない、魔王の名前を呼ぶ悪者になれた。


◇　◆　◇


　他人の都合のためになんて、絶対に死んでなんかやるものか。
　別に、目的もなければ、帰る場所もないのだけれど。


◇　◆　◇


　でも、そうだな。
　トムや、おねえちゃんや、アルやあっぷらと一緒に旅をするのは、ちょっとだけ、楽しいなって思うよ。
　ちょっとだけ、メルンテーゼが救われればいいのになって思うよ。


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※今回の日記はPTMのENo.461・おねえちゃん、ENo.2117・フローラくん、ENo.1741・トムおよび、メッセ相手のENo.139・ナナシちゃんと彼女の湯屋・鬼の古巣＆露草さんをお借りしました！

まあね〜、と言って笑う。
だが、特にそれを盾に偉ぶるような感じの笑いではない。

冗談だよ、という言葉にホッとしたように胸をなでおろす。

ノエルがふと目を落としたのに気づいたようだ。

背後からそろそろと近づく…

勢い良く尻尾に飛びつく

尻尾の感触が気に入ったらしく、今にも頬ずりしそうな勢いで撫でたり、握ってみたりしている…

口元は見えないが、対称的にこちらは笑っているようで。

反応を待つように一拍おき。

身近なことみたいな、実感のこもった疲れた口調。

英雄、英雄ねえ…と小声で反復するようにつぶやき。

じゃなけりゃ、身勝手な義理人情が絡み続けるぜ？と続け、
大声に怯えることなく、にやりと笑った・・・様な気がした。

ノエルの姿を見詰める瞳が、ピタリと動きを止めて。
そのまま小さく、落ち着いた溜め息を一つ。

これだから”天然”などと言われるのかもしれん。
ひとりごつ。自嘲を帯びる。

指先はネザーシャドーを、窘めるように撫で遣る。

ノエルの耳に手を伸ばし………触れる直前でぴたりと止める。

は、と何かに気づいたように声を上げる。