風がゆるやかに流れている。
　当然、アイヴォリーにしても負けて構わない、とは思っていない。だが、それとは別に現状で明らかに勝てない相手がいることも理解している。世界最強でも宇宙最強に勝てないことがあるくらいだ、世界の中でその他大勢の範疇に入るアイヴォリーが勝てない相手などいくらでも存在する、ということも分かっている。ましてや今のように“世界渡り”で自らの能力を著しく引き下げられた状況ではなおさらだ。そういう場合、出来ることは大して多くない。直接的にいえば被害を少なくすることだけだ。敗北を前提とし、受ける傷を少なくして致命的な箇所を避ける。次の日に響かないようにするしかないのだ。撤退の際にも出来る限りの荷物を確保した上で残していくものを少なくする。敗北がなかったことには出来ないが、その影響を出来る限り薄くすることでそれに近しいことには出来るのだ。
　そういう意味では、今回の戦闘はアイヴォリーにとっては勝てない戦いだった。マーマンとナイトスピリット。今の彼ら二人にとっては荷が重い。強力な一撃を誇るナイトスピリットが後方に控え、そこに至るまでの壁として強健なマーマンが立ちはだかるの組み合わせは、集中攻撃で排除出来る多人数戦であればまた違った結果を引き出せるかも知れない。だが、現在の彼ら二人の火力ではマーマンを排除する前にこちらの壁である自分が倒れてしまう。それがアイヴォリーの見立てだった。だが、彼の相方はそうではなかったらしい。

「アイっ、ちょっと！」

　戦闘が終わって這う這うの体で逃げ出した後、ようやく人心地つける安全な場所を確保した段階でメイリーが厳しい調子で頼りない前衛の名を呼ぶ。呼ばれた当人はこういうことに慣れているからなのか、今回も戦闘に負けたとは思えないほど平然とした様子で結構な距離を逃走してきたにも関わらず、息ひとつ乱れていない。

「お、おゥ。ナンだイキナリ。」

「何でブラッドファング撃ってないのよっ？！」

　この世界の探索者たちは、エンブリオとの契約に応じてそのエンブリオが持つ特技を授けられる。特殊な効果が付いたそれを戦いに役立てることで勝利を自分のものとする。探索者それぞれによってその呼び名や見た目こそ異なるが、エンブリオから与えられるその特技の効果は共通している。言ってみれば別の流派であっても同じ型があるようなものだ。それらを探索者たちの間で共通の知識とし情報を共有するために、エンブリオたちが授けるそれぞれの特技には仮初の呼び名が付けられていた。
　そういった特技の中で、唯一アイヴォリーが現状の切り札として切り得るものがブラッドファング、血の牙と呼ばれるものだ。キラーウルフから授けられるそれは、研ぎ澄まされた一撃を相手に打ち込みその傷からいくばくかの活力を自らに還元する。前衛としては安定感に乏しく、体力的にも決して優れているとは言い難いアイヴォリーが盾の役割を全うするためには受けた傷を癒しながら戦うしかない。とはいえ、メイリーの癒しにも限りがある訳で、自らの一撃で活力を得られる血の牙は今のところ彼にとってなくてはならないものだった。

「イヤ、そう言ったッてアレだけ連打するワケにもイカねェし……。第一そんなに気力が持たねェからよ。」

　エンブリオから与えられた特技の効果を得るためには、相応の精神力を必要とする。魔術を使えば精神が疲労するように、それは物理的なそれであっても同じことだ。それでなくても集中し、必要な瞬間を見極めて効果を引き出す必要があるのだから集中力を要するのだ。それゆえに、特技は決まった回数しか使えない。そのことをアイヴォリーは言いたいらしい。

「ちょっとずつでも回復するんだから最後まで撃てるでしょう？！」

「い、イヤ、まァソリャそうだが……。」

　珍しく戦闘に関してのことで彼女から強い口調で詰め寄られ狼狽するアイヴォリー。大抵戦闘に関してのことは、戦いそのものに慣れているアイヴォリーの専門分野であるだけに彼が算段することが多い。こうして彼女から言われることは滅多にないことだ。

「ボクの回復と合わせればどうにかなったかも知れないでしょ？
　最後まで諦めちゃダメなんだから！」

　何やら熱血な調子で拳を振り上げて彼にそういうメイリーに、アイヴォリーは返す言葉もない。自分としては今回は今回で上手くやったつもりだったのだが、彼女には勝算があった、というのだ。少しの間瞑目し、アイヴォリーは目を開くと小さく頷いた。

「ま、そうだな。今回はメイリーの言う通りだ。ソモソモ、結果として負けちまってるワケだしねェ。」

　驚くほどあっさりと、アイヴォリーは自分の非を認めた。確かに結果として敗北している。それは、彼が負けることを前提としていたからだ、と言われれば返す言葉もない。負けるであろう戦いでも、最後まで望みを捨てず一番勝機のある方法を採らなかったのは彼の怠慢だった。

「ふむ、じゃ明日からそうすッか。シッカリ勝たねェとな。アリガトよ、メイリー。」

　負けることを考えて戦っては、勝てる戦いにさえ勝てなくなる。そんな当たり前のことを忘れていた。珍しく柔らかな笑みを浮かべ、アイヴォリーは大切な相方の頭を掻き回すようにして撫ぜる。いつもこうして、彼女が大切なことを思い出させてくれるのだと感謝しながら。

　　　△　　土　▲
　　（　㊤　皿　㊤）　　がしゃーん
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　／│　　塊　　│＼　　　　　　　　　がしゃーん
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