真っ黒なガラスの眼鏡で視線を隠した牧師さまが、箱の方をじっと注視する。
　見た目はなんだか、あまり牧師さまに見えなくて、隣にいるエンジェルもちょっと怖い顔をした二人だった。
　でも、見ず知らずの僕の話を真剣に聞いて、相談に乗ってくれるこの人たちは、間違いなく聖職者と呼ばれるにふさわしい人たちなんだと思う。

　言われて、思わずギョッと自分の手の中の箱に目を向けてしまう。

　牧師さまの顔と、箱と、交互に見比べる。
　『捨てたはずの箱が、必ず手元に戻ってくる』ということについて、僕は単純にこの箱が、呪われた何かなんだろうと思って深く考えたことがなかった。
　なにか厄介な代物だから、僕にこの箱を持たせて逃げさせたのだろうと、そこで考えることを止めていたのだ。
　僕は偶然、この箱を任されて、たまたまその中に住んでいたエンブリオと（ネクターも持っていなかったのに）契約してしまっただけで、この箱そのものは何の縁もゆかりもない、無関係の立場なのだ。

　でも、牧師さまの言葉を聞いていて、僕は初めて、こう思ったのだ。

　この箱はいったい、何なんだろう。
　中には、ネクターが入っているんだろうか？

◇　◆　◇

　振り上げた戦槌を、出来るだけ勢いを殺さないように思いっきり振り下ろす。
　ガキン、という硬い鋼鉄でも叩いたような音とともに槌頭がはじかれて、身体が戦槌の重さに振り回されそうになる。そのままバランスを崩して倒れ込みそうになったのだけれど、何とかネザーに受け止められて倒れ込まずに済んだ。

　手がジーンと痺れる、どころの話じゃない。
　幸い、僕は生まれつき人間よりも頑丈な身体をしているからこの程度でどうこうということはないと思うけど、それにしたって、振り下ろした戦槌をはじくって言うのは一体、どういう了見なんだろう。

　切り株の上に鎮座した小箱は悔しいくらい綺麗なままで、傷一つ、ついた気配がなかった。
　思わず、脱力感に襲われてそのまま地面に仰向けになる。
　おねえちゃんやアル、あっぷら、トムと離れて、地下牢目指して一人旅。この間は辿り着けなかった、聖職者だの不死者だのがいるっていうフロアの偵察が目的だ、っていうのはまあ建前で、本当は一人になって、この箱を開けられないか試してみたかったのだ。
　開けてみるって言っても、この箱にはそもそも鍵穴がない。鍵穴がないんだけど、溶接されたわけでもないないのに何故か、この箱は誰も開けられない。力自慢のあっぷらに頼んでもダメだった。
　その時は別に、まあいいか、としか思わなかったのだけれど、牧師さまにあんなことを言われた後だと、どうしても箱のことを意識してしまってダメだ。
　挙句に、「いっそのこと壊してでも」と覚悟を決めてみたら、これがまたいくら攻撃すれども攻撃すれどもなしのつぶて。
　流石に疲れてしまって、そろそろ季節の変わり目を感じさせる冷たい空の色を見ていると、ひょこっと、ネザーが僕の顔を覗き込んできた。

　箱の中から現れた、黒い影。ノームのエンブリオ。
　でも、地霊っていうには真っ黒で、まるでそう、シェイドだと言われた方がまだしっくりくると思う。

　ネザーは何も言わない。何も言えない。
　当り前だ、ネザーは喋れない。ただ、口のように見える赤い空洞が、まるで笑っているように見えるだけの黒い影だ。
　腕と羽根の極彩色はちょっと毒々しくて、教会で見たステンドグラスによく似ている。羽根は蠅。腕は獣。

　そのネザーが、唐突にぎょろりと蠢くと、戦うときのように大きく体を——正確には、真っ黒な影を威圧感たっぷりに広げた。
　よく見知った、警戒態勢に入っているときのネザーだ。

　慌てて、足元の影と同化しているネザーに向けて手を伸ばすと、黒い影の中から浮かび上がってくるように戦槌の柄が現れる。掴んで引きずり上げると、ズシン、と重い手応えが返ってきた。
　匂いがする。
　人間の匂いじゃない、昔嗅ぎなれたこの匂い。

　僕と同じ、ニューロの匂いだ。
　木の陰から、鋭い勢いで飛んできた矢を容赦なく、ネザーシャドーの腕が振り払う。
　どこにいるのか分からないと、戦槌を振り回すことしかできない僕には何もできないのだ。

　いったん、戦槌を足元の陰に沈め直して、ネザーの腕の影に隠れながら矢とは正反対の方向に向かって走り出す。一旦、戦況の立て直しを図らないと絶対にまずい。
　幸い、僕の方からあいつらに用はないのだ。倒す必要も義務もない。
　でも、残念なことに、向こうの事情はそんな甘っちょろい事情じゃ片付かないみたいだ。
　思いもよらない方向から矢が飛んできて、一瞬、寿命が縮まりかける。
　——トムやおねえちゃん、アルやあっぷらが一緒じゃなくて良かった。偶然だったけど、巻き込まずに済んだのだ。

　そんなに、大事な箱なのだろうか。
　一人くらい殺したって、躊躇いがないくらい？
　箱なんていくらだってくれてやると言いたかった。でも、ネザーシャドーが、箱を運んでくるアイツが僕にそれを許さない。

　体のバランスが崩れた。
　何が起こったのか理解できないまま、走ろうとした勢いのまま前に転がり倒れる。ネザーの腕と羽根をかいくぐった矢が、足首をえぐったのだと気が付くのに時間がかかった。
　混乱で、周りの音が一気に遠くなった痛みで真っ白の頭の中で、いつも通りに働く耳だけが木々のざわめきの中から、小さな人の声を拾い出す。僕を追いかけている、追っ手たちのひとりだろうか。

　頭に一瞬、カッと血が上る。
　——なんで、そこであのジジイの名前が出るのだ。どうして、いつまで僕は祖父の名前のせいで苦労しなくてはいけないのだ。

　箱を追っているらしい追っ手は、きっと公爵の手の者だろう。
　男爵の罪状も、反逆も知らない。でも、男爵は僕にこの箱を渡した。男爵は反逆罪で捕われた。
　この箱を欲しがっているのは、多分、間違いなくあの公爵だ。

　プランタン西方領を襲った冬枯れの日から、50年。
　僕たちの一族はあいつらに訴えられ、冬枯れの土地に追いやられ、ニューロは下層民としてイベール男爵領の片隅でしか生きられなくなった。
　他人の都合で勇者になれと言われたクソジジイは、結果、周りをみんな不幸にした。

　自分じゃない誰かのために何かを背負うなんて、死ぬだなんて絶対にゴメンだ。
　僕は僕のためだけに生きるのだ。僕の死を願ってる奴がいるからって、絶対に思い通りになんてなってやらない。あのジジイと、同じような道は絶対に選ばない。

　地面の土を握りしめて、痛みに耐えながらなんとか、もう一度影から戦槌を拾い上げる。ネザーが僕を守る様に全身で庇ってくれるおかげで、矢の追撃は届かなかったけれど、これ以上は接近しなければ無理だと判断したらしい人影が何人か、茂みや木の陰から姿を覗かせてくる。
　足の傷が痛くて、戦槌を掴むことはできても持ち上げることも、立ち上がることも上手くいかない。
　顔を隠した人影がどんどん、こちらに近づいてきて、獣交じりの腕や足が容赦なく一歩ずつこっちに近づいてきて——。

　声を掛けてきたやつは、僕の背後から堂々と現れた。この男の仲間達なら、そんなことはしないだろう。背後から奇襲をかければそれでお終いだ。
　聞き覚えのある声に、思わず振り向かずにはいられない。
　そこにいたのは、見覚えがある——でも、できば二度と見たくない顔のうちの一つだった。

　ひどく赤味の強い伸ばしっぱなしの髪の毛に、爛々と輝く金色の瞳。
　あの、王城前であった、ものすごく失礼なよく分からない、人間じゃないらしいやつ。
　練習試合で、フィンって呼ばれてたやつだ。

　ガサゴソガサ、とタイミングの悪い音がする。なんかこう、聞いてるだけで、こいつ絶対間が悪いなって分かるタイミングの音。

　——なんでお前がここにいるんだよ！
　状況が把握できずにキョロキョロと周りを見回す暇があるなら、今すぐ逃げろと言ってやりたいくらい、弱気そうな表情と争いなんて欠片も似合わなそうな柔和な顔。いつも一緒にいる、チビのエンブリオも一緒だ。

　何か誤解されているんじゃないかと心配したらしいフィンが口をはさむより早く、今度は三人目の声。
　もう、一体、この場所の磁場はどうにかしてるんじゃないだろうか。

　ああ、うん、三人目も知り合いなのな、うん。
　っていうか、道案内ってなんだよ。お前の苗字、『羅針盤』って意味なんじゃなかったのかよ。

　自称『何でもない屋』の足元の地面に、牽制するように飛んできた矢が突き刺さる。
　能天気そうに片手をあげてあいさつしかかっていたトートの表情が、ふっと静かになると、ぐるりと周囲を見渡した。

　穏やかじゃないも何も、見知った顔ばっかり三人、全員、明らかに状況が分かってないまま大集合。
　これは、もしかしなくてもいわゆるアレだ。
　いわゆる一つの、こいつら全員、たぶん、迷子とかそういう話なんじゃないだろうか？

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※今回の日記の冒頭はENo.1252・ボクシーさんとのメッセ内容を一部引用・お借りさせて頂きました！
※また、後半はENo.353・ティルムくん、ENo.985・フィンさん、ENo.1023・トートさんをそれぞれちょっとずつお借りさせて頂きました！
※一方的にストーリー内にお借りしている内容なので、レンタルさせて頂いた方々のお話や時間軸と矛盾している部分があったらごめんなさい。参加者の数だけ分割世界がある、ということでお許しを……！

うぐっ、と声を詰まらせ。

顔は悪くはないはずだが、見た目を気にしているようだ。

えっ、という顔をする。エンブリオが中にいると思っていなかったからだ。

不安そうな声を聞き、相手を心配させないようにと大丈夫だよ、と微笑む。

ネザーシャドーを眺めていた雪菜だったが、ふとその視線の方向に気づく。

そう言いかけたところで

ネザーシャドーは勢いのままうさ吉を掴んだ。

ちょっとだけ肩をすくめて見せて。

そこまでいうとびしっ、となんか何かを真似た様などや顔立ちポーズを決めた。

・°☆.。.:*・°☆。.:*☆.。練習試合を終えて.:*・°☆.。.:*・☆.。.:*・°☆


のそりと、向こうの陣営から歩み寄ってくる人影が一つ。

そう言って、クイと親指を花冠の方へと指し示す。

ネザーシャドーを見下ろす。
叶うならば撫でてやる。

しかし、と再びノエルに視線を向けて。

〜にんじん撃退からしばらくして〜

少年がひとり、目の前に立っている。
興味深そうにノエルを上から下までじろじろ見つめている。

いきなり耳を掴まれた。もふもふもふもふもふ。
触った後の手を嗅いでいる。

なにかにんじんっぽいものと似通ったような不躾さと失礼さである……。

君の話を頷きながら聞き、

ちょっとしまった、という顔をして

どこか上の空の様子な少年と、たじろぐだけの少年の背中を軽く押し、移動を促した。

少年は今までと比べてどこか弱々しく、不安そうな表情を浮かべている。

先程までとは打って変わって、少年は己の思惑を語っていく。
その反面、トガノはどこか話を聞き流しているような感じで、あまり口を挟んではこない。

ハハハと笑い出した。

少年の顔を覗き込むように見ている。