恨んでは駄目よ。

　そう、彼女は言った。
　床につき最早起き上がれない程にまで衰弱しつつも、その微笑みは変わらなかった。



　これは全て私が選んだ事。
　誰に強制されたのでもない。
　自分で選んだ道。

　その結果、どうなるのかも全て理解した上で私は選んだのだから。
　だから恨んでは駄目。
　それはただの逆恨みにしかならないのだから。



　そう言いながら差し出された手は、こんなにも華奢だっただろうかというほどに細かった。
　この頃にはもう、何も受け付けない身になっていたからだろうか。
　触れれば壊れてしまいそうな脆さを感じさせるそれを、そっと握り返すのが精一杯で。



　今でも耳に残っている。
　消えない記憶に焼き付いている。

　自分が覚えている彼女は、最後にこういったのだ。




　貴方の道は二つに一つ。
　受け入れるか、拒絶するか。
　……その二つの道は、貴方に『生』か『死』を与えるでしょう。
　どうか、お願い……最善の道を選んで。




　その囁きは、多分きっと、自分に対しての懇願だったのだろう。
　そう、思う。





















　……それは、現時間軸から幾らか前に遡っての、ココではないどこかでの出来事……









　何度目の報告になるのか。
　消息を絶った仲間の後を追う事を命じられて、早、数十年になる。最初こそは偶然かと思っていた。何と言っても、相手は荒事には慣れていない身。あっさりと捕まり滅されるものと高を括っていた。……しかし、物事は予想外の方向に転がり始める。

　触角を震わせて空を見上げた。いや、正確には何を見上げているという訳でもない。ただ、感じ取った断末魔の気配に顔を上げたというだけなのだが。その感覚は酷く忌まわしい。思考に直接響いてくるような痛切な叫びにも似たそれは、特殊な術式が伝える最期の通知だ。

　その感覚は、『次元竜』の個体が一つ、失われたという証に他ならない。


　自分をはじめとした、『外』での活動を主な役割とした個体は必ず携帯する特別製の次元渡りの碧玉。そこには、所有する個体が失われたタイミングとその座標を知らせる特殊な術式が刻み込まれている。それは例えば外敵などを迎え撃つなどの有事の際に、危険因子がその場所にあるのだと知らせる……などという風に使われるものだ。

　次元竜は、『死』を迎えるとその個体に関する全情報を喪失してしまう。今まで生きていく中で意識して、或いは無意識の内に蓄えてきた情報は既に『門』の向こう側なので問題ないが、ソレとは別の個体としての情報、個性や感情、その他諸々の全ては『死』を迎えると同時に消失する。無へと還り、誰の記憶にも残らない。精神体の崩壊は肉体の滅びを呼び、その個体が存在していた……という認識すら失われてしまう。
　次元竜とはそこまでに脆く儚い生き物なのだ。しかしそれでは同族に危機を伝えられない。その為に用意された魔法具である。同じ魔法具を持つ者が同じ情報をなるべく共有できる様に。そういった代物だ。



　今、伝わった感覚に静かに瞑目する。
　それが自分の知らぬ一族の誰かだったのか、それとも友人や知人の誰かだったのか。そんな事は最早わからない。永久に失われてしまった何かでしかない。ただ、それでも喪失は損失だ。決して喜ばしいことではないし、憂うべき事項ではある。

　それは自分の使命だ。
　失われた同胞の得た情報を集め、自分は追わなければならない者が居る。

　きっと今回得ることになる情報は、そのための標となることだろう。

　この場には居ない、記憶の中に残る者の事を思いながら。
　羽根を休めていた一頭の竜は舞い上がったのだった。

男は目を伏せ、踵を返そうとした。

多少憤慨したような、しかし徹底された無表情で青年は続ける。

そう呟いた直後、殺気が全身から噴き出すように溢れる。

殺気が2人の間に満ちたのは一瞬。
その後、何事も無かったかのように続ける。

　空間、次元、世界。さらには時間を渡る術。それらの言葉を聞き、蜥蜴は小さく首をひねる。
　普段考えもしない分野であることも手伝って、少々理解の追いつかない話であった。

　理解が追いつくかは怪しいところだが、それでも聞いておかないほうが気持ち悪い。

　完成されていると思えたが、全能ではないという言葉が返ってくる。さすがに何でも全て一朝一夕ではないようだが、それでも十分破格の力と思えた。

　長命ならではの苦労は多いとは思う。だが、知識欲の観点でいえば、それは間違いなく憧憬を覚えることではあった。

　カンプとともに注視していたランプへの施術。
　溢れた光に、カンプが驚きゼゼの影に隠れたりもしたが、ゼゼは熱心にその様子を見ていた。見たことの無いものを見ることは、単純に楽しい。
　そして間もなく施術は終わると、

　呼びかけるとおそるおそる濃紫の顔を覗かせ、住処であるランプへと近寄る。

　少し不安の混じる声で、夜の精霊は問いかけた。

どうなってるんだろう、と首をかしげて。

やりたいこともあるし、と呟く。
平和主義者なのではなく、終わった後に目的があるからはやく終わってほしいらしい。

あなたの疑問には迷わずに、きっぱりとそう答えた。

本調子とは行かないらしい。
つらそうに青年はぼやきつつも、手にしたのは銀の銃。

自慢げな妹に対し、兄はどこか気怠げにぼやくのみ。

妹が拾ってきたシロモノに、兄は首を傾げた。