深い森のなかを歩く。
普段のようにトートと一緒ならそこまで不安になることも無いのでしょう。


けれど、いまはそうではありません。
トートは倒れて、私はひとり。
最近は隣に誰かがいるのが当たり前だったので、ずいぶんそれに慣れきってしまいました。
必ずトート、もしくはタイガーさんが居てくれてましたから(軽トラックを人数にいれるのは少しおかしい気もしますね)。


今はひとりでいることがずいぶん怖く感じます。



最初から、こうなることはわかっていました。
私はエンブリオ。
ですが、エンブリオではない。



エンブリオの研究の中で産み出された産物。
エンブリオ研究の副産物、人工エンブリオ。




確かに、人の手でエンブリオが産み出せたら、という事は誰もが考えることでしょう。
エンブリオで保ってるこの世界。
その、エンブリオを自分たちの手で産み出せたら。



私達の生活はエンブリオによって支えられてきました。
世界の根幹を担うものを産み出すのというのはずいぶんと途方も無い話に聞こえます。
太陽を産み出そうとするのと、似ているかもしれません。



でも、人というのはすごいものですね。
本当にエンブリオを産み出してしまうのですから。
それが、0からエンブリオを作りだす技術というわけでは無かったですが、それでも確かにエンブリオは作られました。




それが私という事になります。



しかし、人間は神様ではないので0からエンブリオを作り出すことはできません。



しかし、人の世の常。それには代償が必要になりました。
エンブリオを産み出すには、人の魂が必要でした。



等価交換というのでしょうか。
確かに生物を産み出すには、代わりの魂が必要になるかもしれません。
筋の通っている話ではありましたし、理解の出来る話です。





そして、エンブリオを産み出すための実験の参加者の一人。
それが私でした。




私は人間でした。



ですが、もう人間ではありません。



私のような性質を持つエンブリオは強制型エンブリオというそうです。
相手の意思に関係なく契約を行い、その契約者の生命を糧に生きる。
契約者の意思とは関係なく生命力を使ってしまうため、契約者が命の危機に陥ることも珍しくないようです。



人の生活を豊かにするための研究が、人の死を呼ぶ生物を作ることになるとはずいぶん皮肉な話のように思いました。


私はもはや人間でも無いし、人の生活を豊かにするエンブリオでもありません。


立派な化け物です。




ー・・・





私は、少しでも力の強い人間を探すことにしました。
魔力にしろ何にしろ、生命力が高い人間なら、強制型の私が契約しても耐えられるような人間。
しかし、そんな人間はなかなか見つかりません。


私は探しました。
生命力に溢れ、力のありそうな人を。
しかし、私の強制契約は近くにいないと成り立ちません。
私が強制型だと気づかれたら誰も私に近づこうとはしないでしょう。


生命力に溢れ、力があり、
なおかつ私が強制型のエンブリオだと気づかれないような鈍感の人。


そんな人を。




この世界の一揆の話を聞いて集まってきた異世界の人達。
その方達は誰も彼もが強い力を持っていました。
しかし、態々他の世界から一揆に参加するような人達。
私の正体を隠し通せそうな人達なんて誰もいませんでした。
当たり前です。生命の力が無くなっていけば誰だってわかります。



それに気づかないような鈍感な人なんているわけありません。





ー・・・





そう考えていた私の目に、ひとりの人物が映りました。
その人は道のど真ん中に立ち尽くし、周囲をきょろきょろと見回し明らかに挙動不審でした。
肩に背負っている大剣は冒険者のそれであることがわかりますが、その風体からは全くその威厳が感じられません。
ただ、異世界の人間である以上ある程度の力を持ってここに来ているのでしょう。
私は声を掛けることにしました。


その男も私のことに気づいたようです。私のほうに顔を向けてふわりと笑いました。
なんとも人の良さそうな笑顔でした。たぶんこういう人は詐欺師とかに一発で騙されるんでしょう。
けれど、私は。

きっと、この人だったら何とかなる。

なんだかそう思えてきたのです。
私は次の瞬間にはこういっていました。



「野良エンブリオに興味は無いですか？」



おそらく、私が生涯言った台詞の中でも後悔した台詞ベスト3には入ると思います。
何はともあれ私はトートのエンブリオになりました。



後の惨劇は皆様も知ってのとおりです。


まさか、魔術が全く使えない男だとは思っても見なかったですが。















ですが、トートも倒れました。
だって、それはそうでしょう。私とトートは随分長い間一緒でした。


トートは私が強くなったと言っていましたが、それは当たり前です。
だって、トートの力は全部私が奪っていたんですから。






もう、一緒にはいられません。




私は行かなければ行けません。





この生命の力を。使って。

…みんなを助けないと。















ー・・・



「ああ、戻ってきたのね」




彼女は私の顔をちらりと見ると、少し眉をひそめました。
相変わらず、彼女は気だるそうに椅子に腰かけています。



まるで身体に疲れそのものを纏っているかのような様子です。


彼女は言葉を続けます。


「必要な魂は集めてきた？」



私は小さく頷きます。



「あなたもなかなか、運が無いわね」



彼女は、熱のこもらない様子で続けます。



「家族を救うために、わざわざ実験に参加したのに、それが家族を破滅に追い込んだ」



私は思わず唇をきゅっと結びます。



「まあ、強制型エンブリオのあなたが普通の人間と一緒に過ごしてたらどうなるか。そんなことは分かりきったことだわ。逆にそれこそが実験成功の証とも言える」




彼女の言葉が耳に届くたびに、私の内側に入ってくるたびに身体の震えが大きくなるのが分かります。



どうして、私はこんなに震えているのでしょう。



怒り、悲しみ、罪悪感、いろんな感情が沸き起こり、座り込みそうになります。
でも、私はまだ倒れるわけにはいきません。





「あなたが奪った家族の魂は、元気かしらね？」




彼女はさして興味も無さそうに呟きます。




「まあ、そんなこともあるわ。生きていれば突然全てを失ってしまうこともね」




そういって、彼女は少し笑いました。







ー・・・







「実験を引き受けるリスクについてはずいぶん説明したはずだけどね」



うまい話というのは何事にも代償が付き物なのよ、と彼女は煙草の煙といっしょに言葉を吐き出します。


私にだってそんなことはわかっていました。


でも、せめてそのリスクを負うのは私であってほしかった。
私の家族であってほしくなかった。



「それでも、あなたはチャンスが得られた。だから、あなたはここにいる」



そう、だから私はここに来た。
もう一度やり直すために。







「さ、あなたが持ってきた魂を渡して。それがあなたの家族を救う。さっさとはじめましょう」





ー・・・





私は震える身体を抑えて、前に一歩進みます。
やっとここまで、辿り着きました。



家族に会える。



また、皆に会える。




ずっと待ち望んでいた、このとき。

皆をやっと救える。




この日までの苦労が、頭の中に蘇ります。


魔術の使えない男と契約を結んで旅した日々。
ひどい男でした。


料理と言えば雑草の料理ばかり。
トラックに乗れば毎回事故を起こす。
かっこいいことを口では言うけど、旅の道中では敗戦ばっかり。



良かったんです。
これで、良かった。



見ず知らずの男の魂ひとつと、家族の魂。



比べるまでもありません。



皆に会えるんです。
やっと家族に会える。



悪くないですよね。
私は悪くない。




むしろ喜ばないと。
こんなに嬉しいことはない。



意味不明なタックル男と永遠にお別れして。
家族のもとに戻れて。







なのに、どうして涙が止まらないんだろう。